……何だってするよ――あの母親から逃れられるなら。

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「……ふんふ〜ん」  自分でも相当珍しいと自覚しつつ、鼻歌を奏でつつ目的地へと向かう私。目的地とは不動産店――18になった私の、新たな居住を探すためだ。  そして、これが成人を迎えた昂揚感の理由だ。成人になったということは即ち、少なくとも表面上においては、責任ある社会の一員と世間から見做(みな)される。それが幸か不幸かに関しては人によるのだろうけど――少なくとも、私にとって幸であることに疑いの余地などない。だって、もう私は立派な社会の一員――親の承諾などなくとも、自分の名義で賃貸契約できるようになったのだから。  そして、最も重要な経済面に関してだけど――もちろん抜かりはない。高校入学から程なくして始めたアルバイトで稼いだ貯蓄が十分にあるし、今後も勉強に支障のない程度で続けていくから。生活費は可能な限り切り詰めるし、娯楽費もほとんど必要ない私なら、それだけの収入で十分に事足りる。  むしろ、大変だったのはアルバイトを承認してもらう過程の方だった。でも、いくら難易度が高くてもここは絶対に引くわけにはいかなかった。なので、若い頃からアルバイトを経験しておくことのメリットを科学的に証明したデータをいくつも引用し粘り強く説得した。そんならしからぬ私の姿勢に対し、流石にこれ以上の反対は意味を成さないと悟ったのだろう、決して学業を疎かにしない――具体的には、学年首位から一度も下がらず維持し続けるという条件の下、最終的にアルバイトを認めてくれたのだ。思えば、あの母親が妥協を示してくれたのは、後にも先にもあれ一度きりだったように思う。  ともかく、母の提示した厳しい条件を誇張でなく決死の覚悟で乗り越えた私だ。もう、乗り越えられない逆境(こと)なんてない。  ――だけど、そんな楽観的な考えがいかに浅はかだったかを、程なくして痛感することとなる。
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