五、たまご、孵る

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五、たまご、孵る

ある日の早朝でございました。 ふと目を覚ましますと、夫がたまごのカゴを持って、ふらふらと部屋を出てゆくところです。 「時藤さま。こんな朝早くにたまごを持って、いったいどこへ向かわれるのです」 「もうだめだ。もうだめだこんなものは。やはり捨ててしまおう」 時藤さまは、カゴを手にしたまま首を振り続けています。 「何を。主上の命で……いいえ。貴方さまが、苦労の末に探し当てた宝でしょう? そんなことをしてはいけません。まだ生きているかもしれないのに」 「でも、あの方はわたしにくれてやるとおっしゃった。ならばわたしのものだ。わたしのものならば、好きにして構わないはずだ。これがあると落ち着かない。ずっとずっと、夢を見続けてしまうのだ」 「おやめください、時藤さまーー」 わたくしが起き上がろうとしたそのとき、たまごがかすかに動いたのです。 「あっ」 「まさか」 わたくしは品位も作法も忘れて、時藤さまのもとへ駆け寄りました。 ふたりでたまごのカゴを大切に抱え、簀子縁(すのこえん)へ出ました。 夜明け前の、薄く橙に滲んだ空が見えました。 しんと澄んだ空気の中、珍しく小鳥のさえずりも聞こえず、ただ胸の高鳴りだけがありました。 わたくしたちは長いこと、たまごを見守っておりました。 明るい朝日が差しはじめたのと、何か、可愛らしい泣き声がひびいたのは同時でございました。 「産まれた」 「おやまあ」 わたくしたちは、互いに顔を見合わせました。
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