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八野圭人は、やんわり目元を緩めた。
「じゃあ、中島先生との食事会、行きましょうか」
目、鼻、口、輪郭、眉、頬、額。
人間は同じ要素から作られる。
しかしそのわずかな要素のバランスが、人の命運を分ける。
笑った顔は、目が大きく、瞼の厚みも少ないために目尻に皺が寄って、頬骨も浮かぶ。
「森山さん、ほらほら」
「じゃあってなんですか。行かないって…」
「台本と、手土産のお礼は食事会に参加すること。それで取引しましょう」
「いや、後出しじゃないですかそれは」
「ちなみに食事会の会場は中島先生のご自宅ですよ」
「い、いいいいい」
ご自宅?
「ご自宅ですよ」
「そ、そんな…そんなのもっと駄目じゃないですか…」
行きたくなってしまう…行くしかなくなってしまう…だってこんな機会人生で一度しかないのに…
中島章太郎の家に合法的に入ることができるのに、それを断るなんて俺には……
「森山さん、負けを認めましょう」
なんで、「真顔」に対して、「笑顔」という崩れた顔の方が人は魅力を感じるのだろう。
大抵の人が、崩れたものよりは、
整った、
きれいなものが好きなはずなのに。
崩れた表情こそが人間らしいから?
感情が通じ合うから?
俺は、人の笑顔が時々、怖い。
特に、こんな風に、
整った顔が笑う時。
ひとつは、
整った顔の笑顔というもの自体が、
希少なものだから。
ふいに入った店で、希少な指輪や絵画や楽器を目の前にして、見入ってしまうけれど、何か不安になる時の、その気持ち。
ふたつは、
整った顔の笑顔には、攻撃性があるから。
笑う本人が意図的でも、無自覚でも、見る人に心理的な負担や圧を感じさせるから。
みっつは、深く考えてしまうから。
その笑顔が何を意味しているのか、
必要以上に考察してしまうから。
「正直、これほど頑なに断られるとは…予想外でした。だって、ファンだったらこんな機会、逃すはずないのに…
好きな芸能人に“認知されたくない”っていうファンもいるのは知ってるけど、俺、わからないんですよね…
そういう複雑な気持ちが。
好きなのに会いたくないとか。
こういうところですよね、俺…
わかってます。」
いや。別に俺は何も言ってないが…
八野は何か、うんうんと頷いて俺を見た。何か企んだ怪しげな顔だ。
「うん、じゃあ、わかりました。中島先生に、『認知』されなきゃいいんですよね。変装して行きましょう」
「なぜ…そういう思考になるんですか。
あと認知されたくないって、変装してたら認知されてないってことになるとは限らないっていうか、いや…?なる…?ならない…?」
「変装っていっても普通に、顔隠すぐらいでいいでしょ?サングラス、帽子、マスク。これ貸しますから、使ってください」
「ええ…」
で、結局負けた。
好奇心にだ。
決して八野圭人に負けたわけではない。
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