1.出動

6/19
前へ
/25ページ
次へ
「気に障りましたか?女性を誘うのは仕事柄、控えめにしているので…」 「そういえば、その通りですね…」 俺の考えすぎだったみたいだ。 ろくに人間関係を築いたことのない俺は、友達同士や仕事仲間の付き合いというものを知らない。 「やっぱり、勝手に手帳見たのが悪かったですよね。すいません」 「それは…」 「手帳?」 あ、真山さんにバレる。 こいつ…八野圭人、ここで手帳の中身を暴露なんかしたら確実に俺はここを去る!! 「個人的な感想なんですが…森山さんは中島先生の脚本と相性が良いと思います。もしも森山さんが話を書き上げたら…」 「そっ…!!そんなあんなのただの落書きで!!全然ですよ!相性だなんて」 「え、何、森山君、小説書いてるの?」 「あーいえほんとに全然書いてないです!」 「何〜?隠さなくたっていいのに〜ねぇ八野さん」 「そうですよ、脚本の中島先生だって…」 お前に何がわかる。 運と顔で生きてきた奴に。 夢を語っても笑われない奴に。 誰にも言えない、言わないことが、唯一の尊厳を守る方法なのに。 中島章太郎の才能も、俺の夢も挫折も、 憧れも、何も知らない奴に。 相性がいい? 話さえひとつ書き出せない俺が、 中島章太郎の何と比べられる。 ああ、腹立たしい。 そうやって中身のない話ばかり。 中身のない野郎のくせに。 運がいいだけ。 実力もないくせに。 調子に乗ってる。 話が入ってこない。 間違えてる。 何もかも。 俺はこんな場所にいるはずじゃなかった。 関わるんじゃなかった。 「森山君、おーい、森山君?顔色悪いよ」 「俺、ちょっと…お先に失礼します」 「え?森山君、ちょっと!」 真山さん、俺は邪魔者でしょう。 呼び止めないでいいのに。 …こんなところ、来るんじゃなかった。 「森山さん!」 八野圭人… 外まで追いかけて来るなんて。 真山さんを置いてきたのか? 「…」 このまま走って逃げればよかった。 でも… 一応仕事の関係者だし、俺だってこんな風にギクシャクするのは本意じゃない。 相手は人気俳優だ。 喧嘩を売っていいことなんてない。 だけど、この男は俺の地雷を踏んだんだ。 「すみません。知られたくなかったなんて思わなくて…無神経でしたよね」 「いえ、こちらこそ過剰に反応してすみませんでした。気にしないでください。 お代は後日お支払いしますし、真山さんと楽しんでください。それでは…」 「助けてほしいんです!」 「…」 “助けて!” その時、あの光景が蘇った。 鮮明に。 海から聞こえる声。 波が来る。 伸びた腕が波の下へ落ちていく。 俺はそこで立ち尽くし、消えていく人を傍観していた。 「森山さんなら、分かると思ったんです。中島先生の気持ちが」 そして現実に引き戻された。 高級店が立ち並ぶ街の路地に。 「……中島先生…?」 八野圭人、そして俺。 「はい、あの手帳、中島先生も使ってるっていう、有名な手帳ですよね。それに、中に書いてあった事は、中島先生の作品のオマージュも含まれてた。森山さんは、中島先生のファンなんですよね」 「…それが、何か…」 「実は、俺は…中島先生に嫌われてるみたいなんです。今回のドラマの脚本、本当は別の俳優に当てがきしたものだったのに、事務所とスポンサーが無理を言ってこんな形に…。」 「ああ…そうだったんですか」 中島先生が… 俺にとっての憧れの人物。 その人が困っていたなんて。 そしてやっぱり、実力なんかないんじゃないか。 「中島先生は、あの脚本を無駄にしたくなかったはずです。だから、俺に代わったとわかっても、仕事を誰かに投げるようなことはしなかった…」
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加