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ぐぅ、と腹がなる。
八野がひとつ俺の前に置き、ひとつを自分で包みを解いて、黄金色の生地の柔らかな丸みにふんわりと噛みついた。
なんという美しい食べ物だ。
これはもう、芸術…
「さあ、さあさあ」
八野が頬張りながら言う。
俺はその丸い物体をぎこちなく包みから取り出してかぶりついた。
「…面白い」
実に、さらさらと読んだ。
台本というのは本とは違い演者の動きなどが挿入されたものであるが、
だからこそ読みがいがある。
「でしょう、そうなんです。
ただ、台本がすでに完璧。
出来上がったものになっている。
欠けたところはない。
だからこそ…苦しくて」
「苦しい?」
馬鹿を言う。何が苦しいものか。
「こんなに面白いものを、俺が演じていいのか。俺でいいのか。そんな考えが止まらなくて。
もともと完璧なものに、俺が泥を塗るようなことにならないかと。
いっそ、俺のような演者などいらないのではないかと」
本として読めば良い。
中島先生は元々、小説家だ。
本として売ればいい。
そう考えるのは当然のこと。
ああ、正直そうだ。
変な力が作り出した歪みのある作品になるくらいなら、ドラマになんてしないでほしい。中島章太郎の作品に干渉するな。
中島章太郎の古い厄介なファンとしては、そう思う。
だが。
それじゃ、困る。
この国が、国民が、テレビが、ドラマが、エンタメが。
中島章太郎の作品を放送しないなんて。
たとえ小さな棘が刺さっていたって、
俺はそれをできるだけ多くの人に触れさせたい。
そして知らしめたい。
偉大な作家、中島章太郎の話が面白いということを。
テレビ局の一人であるからには、テレビドラマを愛するからには、この世界に恵みの一雫を与え、種を植えるには。
完璧な作品だから、誰が演じても面白い。
役者のせいでつまらなくなるほど、中島章太郎の話はヤワじゃない。
そんなこと今までなかった。
これからもそう信じている。
馬鹿にしないでほしい。
「…あなたがこの作品にふさわしいかなんて、俺なんかにはわかりません。そんなこと決める資格もない。
でも、八野さん」
なんだかまだ夢の中にいるようだ。
憧れの人の世に出ていない文章を読んでいて、これからそれを演じる役者がそこにいる。
そんな事態がありえるだろうか。
ありえない、自分が自分じゃないみたいに感じる。夢の中で動く自分には、制御が効かない。
「あなたはプロでしょ。どんな風に思われても、脚本家に嫌われても、事務所もスポンサーもクソでも、金もらって、与えられた分返してやるのがプロでしょ。
あなたの役を欲しい人が何人いると思ってるんですか。…そんな悩み、贅沢すぎますよ」
「うん…。そうですよね、その通りです」
ふわふわの和菓子が、もう口の中を通り抜けてしまった。
「はい。俺も世間もそう感じます。
でも…
何歩か、譲って差しあげるとしたら」
俺はまた口を開いていた。
コントロールの効かない夢の中にいるみたいに。
そして、さらにもうひとつ、黄色く丸いお菓子を手に取った。
これも、コントロールの効かない食欲のせいだ。
「八野さんには、選ばれた側だからこその悩みもあると思います。選ばれた人にしかわからない悩み。
選ばれてこなかった自分からしたら、あなたの悩みなんて嫌味にしか聞こえませんけど。
でも悩みは悩みですし。
…実際のところ…
悩みに、贅沢も何もないと思うし。
贅沢な悩み、なんて言うのは嫉妬を隠すためのこちら側の防衛、かつ攻撃であって、言うなれば持たざる者の八つ当たりです。
悩みが何もない考えなしよりは、贅沢なことで馬鹿みたいに悩んでるほうが、俺は人間味があっていいと思います。
まあいい悪いとか、俺が決めることじゃないんですけど。以上、一般人の感想です」
「森山さん…」
頬張った生地とクリームが混ざり合う。
「あー…何様って感じですよね。すいません。本心垂れ流しちゃって…」
「いえ、嬉しいです。そんなふうにあけすけに話してくださって。馬鹿みたいとか贅沢だとか。誰も、面と向かってそんなこと言ってくれないですから」
「あ、はあ…」
悪く言われて喜んでる…ってことか?
「どんなに仕事の人と仲良くなったって、俺は商品だし、看板だし、外の人間だから。役者同士はまた別の方角で面倒だけど。
森山さんのような方とは、なかなか本音で話すことはできないので」
変に持ち上げずに素直に話すことが、この人には好感に繋がるんだろう。
「はぁ…やっぱり住む世界違いますね。
でもそれは俺も同じですよ。
仕事は仕事。仕事の人間関係なんて、浅くていいんじゃないですか。円滑ならそれで。嘘でも作り笑顔でも、営業トークでも。あなたはマスコットみたいなものだし」
「ま、マスコット…」
表情が百面相みたいにコロコロ変わる。
心の中が全て顔に出ているようだ。
こんな人が芝居をするなんて、面白い世界だ。
そういえば、八野圭人の演技をきちんと見たことがない。
ドラマだって、放送はまだだ。
「あ…失礼しました。マスコットって悪い意味じゃなくて…つまり、人気者ってことです」
あぶね。
寝起きのせいか、思ったことがダラダラ溢れてくる。
このまま、ムカつく俳優あるあるとか永遠に話してしまいそうだ。
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