1.出動

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1.出動

ある家を訪ねた。 そろそろ通報されそうだ。 こんな平日の昼間に、住宅街でジャージ姿の男がうろついているんだから。 大きな門が威嚇してくる。 さっさと用件を済ますんだ。 インターホンのボタンに指を置いて、深呼吸をし、また指を離した。 「今日は言うんだ、今日は言うんだ、今日は言うんだ…」 いち、に、さん…と数えて呼吸をする。 「俺は言う、俺は言う…できる…」 ボタンを押す。 ぴーん ぽーん ぴーん ぽーん 1度押しただけなのに、同じ音が2回も鳴った。インターホンってそういうものだったか? これまでに想像したより、何倍も大きい音。 この音は俺にトラウマを植え付けようとしている。 「はい」 「……」 カメラ付きのインターホンだ。 俺の顔は向こうの画面に映ってるだろう。 「もしもし?どなた?」 女性の声だ。あいつの家族か。 「…に、用が…」 「はい?」 「さくら…あさひ君に、お話が」 門の先にある、重い扉が開く。 あの顔が、ちらりとのぞいて、徐々に全貌を露わにしていく。 緊張で顔がガチガチに固まるのがわかった。 彼はこちらに近づく。 牢獄のような門の鉄柵越しに、彼は俺を見た。 彼は、 佐久良 朝緋(あさひ)。 いわゆる、いじめっ子。 その中の主犯格で、大将で、正真正銘の極悪人だ。 「何だよ」 俺だって来たくて来たわけじゃねぇ! と、言えるなら俺はここにいない。 「ぷっ…プリンっ」 「…はぁ?」 「英語のプリント来週の授業まで!小テストもこっから出ます!あと他の配布物もこれに入ってますので必ず確認しておいてください!」 一息に捲し立て、ファイルを柵の隙間から差し出した。 佐久良はただ突っ立っていた。 ここに立たされている時間が、数秒間、いや、数分間か、とにかく長く感じた。 「あの、うっ…受け取ってもらわないと…もらえません…でしょうか」 こんな役割を押し付けられたのは、もちろん俺が弱気で、カースト最下位で、誰もやりたくないことをやる役だからだ。 佐久良には友達らしい友達はいない。 それなのに、みんな佐久良に抵抗や反乱を起こしたりしないし、悪行を止めようともしないし、媚びへつらっている。 なぜ? それはこの一家の政治的権力のせいである。 「お前がやっとけよ」 なんで俺が。こんなクソ野郎のために。 「何?無視?…まあいいわ。しばらく学校いかねぇし、そんなんやったって意味ねーし」 そう、何故だかこいつは学校に来ない。 それも、いよいよ大きな事件を起こしたとかなんとかで謹慎中らしい。 真相は誰も知らないが。 「でも、これ…進路の案内とか入ってて大事だから」 と、担任に念を押されて何が何でも渡せと言われた。ならお前が渡せと言えたら、俺はここにいない。 「あーあーご苦労ご苦労、わかったからさっさと帰れっつーの、クソ」 奪い取られるように、ファイルは彼の手に無事届いた。 しかしそのファイルが開かれることはないと、背中が物語っていた。
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