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「それに先生は被虐趣味者なんだから、怪盗に拐かされて虜になっても嬉しいんじゃないですか」
「……あんた、そんな趣味なのか」
「朝彦、それなら早く言ってくれれば」
「ちょっと待ってくれ……!」
予告状に惑わされない人間までもが、如月の日常に波紋を立てる。小さな洗面器の中の、凪いで穏やかな生活を望んでいるのに、ここ数日で大海の大嵐に投げ込まれたようだ。
竹井と仁礼の自分を見る目が、柳の一言で変わったように思われ、如月は呻いた。付け札を貼るにしても、被虐趣味者は酷過ぎる。
「柳君、全ッ然、援護射撃になってないよ……!」
「援護射撃に来たわけじゃありません」
「じゃあ、何の用だい」
これ以上言葉の暴力を振るわれたら、耐えられそうにない。少々怯えながら促す如月に、飴と鞭の使い分けをよく心得た有能な秘書は、微かに口角を上げながら報告した。
「もうすぐプリンが蒸し上がります。書斎にお持ちしますから、今日が締切の原稿をお忘れなく。仁礼様と刑事さんは応接間でどうぞ、お二人で好きなだけ歓談してください」
柳に助け舟を出したつもりは毛頭なく、自邸の警備という実務的な話において如月はまったくの役立たずだから、適材適所の原則に従い担当を分けたに過ぎない。
後でこっそり感謝を述べに来た如月に対し、柳はそう説明し、『実務的に無能』という二枚目の付け札を主人に貼ったのだった。
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