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怪盗は来たか
予告状の届いた資産家の家宝は、予告された日に恙無く盗まれるに至った。
賊は銃を持っており、怪我人は出なかったものの、銃声による陽動で邸内が混乱を極める中、悠々とエメラルドの首飾りを持ち去ったらしい。厳重なはずの保管場所が洩れていたことから、内通者の存在が疑われているようだ。
被害者には悪夢の夜だったが、如月家にとっては、それまでの日々が悪夢だった。
結局警察を――つまりは櫻を翻意させることはできず、その上どこから嗅ぎ付けたのか、警察が張り込んだ翌日から、大勢の記者が押し掛けるようになったのだ。竹井の一隊が散らそうとしてやり合うたびに怒号が飛び交い、閑静な屋敷街の平和は乱された。
すぐに櫻家から菓子折りを持った執事が派遣され、近所の家々にお詫び行脚に出たので、予告状が新聞に書き立てられていることもあり、如月家が白い目で見られることはなかった。だからといって騒ぎが収まったわけでもなく、家計の足しにと出版社から請けている翻訳の仕事は、彼らの騒ぎに度々中断を余儀なくされた。何があっても顔色を変えない柳ですら、その騒々しさに顔を顰め、堪忍袋の緒が切れると、騒いでいる男たちの前を打ち水して回っていた。
それも、過ぎ去った日々だ。二日前に一つの事件は起こり、もう一つは起こらなかった。あの夜、如月家から盗まれたものは、何一つなかった。
「結局、何もなかったな」
「残念そうに言わないでくれ」
窓の外には、満開の桜。そよぐ風に時折舞う花弁が、この一週間の狂騒を洗い流してくれる。
ようやく訪れた平穏な時間に、機嫌良く行儀悪くソファに寝そべりながら、如月は歌うように古い英詩を誦じた。
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