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「二十分も経ってないから大丈夫だろ、茶も出してる。調書はこれからだからな、善良な市民なら喜んでご協力くださるはずだ」
「ああ、それなら前のをそのまま写して、日付だけ今日に変更したらいいですよ。状況はまったく同じですから。では僕はこれで」
「用事は終わったかい朝彦、迎えに来たよ」
勝手をするな、と竹井の堪忍袋の緒が切れる寸前に、黒い風が如月の後ろに舞い立った。正確には、風のように颯爽と現れた、漆黒の外套に身を包んだ長身の紳士が、如月を守護する騎士のように背後から肩を包んだ。
「それにしても、随分不潔で不快な場所にわざわざ来たものだね、君は」
突然の部外者の登場に、周囲の人間が一斉に胡乱な視線を投げる。鼻につく言い草は上流階級のそれで、口調には蔑みすら感じる。上品で掴みどころがなく扱いづらいが、気取ったところは一切ない如月とは雲泥の差だ。
侯爵ではないだけマシだが、この男も鳴坂署の鬼門ということは明らかだった。
「どうしてここに……」
呆気に取られて呟く如月を無視し、男は椅子の背もたれに掛けられた彼の外套を手に取る。そして、如月の肩を促すように軽く叩くと、朗々とよく通る美声で、帽子も取らないまま名乗った。
「私は仁礼恭一郎、櫻侯爵の名代です。朝彦は連れて帰りますよ」
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