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それだけでも十分鬱陶しいのに、最近帰国したこの旧友も、何かと如月を構ってくる。上海帰りの男爵で、懐具合も豊かな適齢期の美男子とあって、昨今の社交界では一、二を争う人気という話だ。その喧騒に嫌気が差し、旧友と連んでいる方が気が楽だと、時間を持て余すと如月を訪ねてくるのだが、突然訪問しても空振りしないように、普段からいくらか柳に握らせているようなのだ。
「たまたま侯爵がご在宅でね。電話口で噴火しそうな勢いだったから、私が代わりに君を迎えに行くと申し出たんだ。侯爵自ら出向いたら、世間の耳目を集めるだけで朝彦のためにもならないと」
「伯父を止めてくれたことだけは感謝するよ」
「おや、私の運転は気に入らないとでも?」
「ジロジロ見られない、屋根のある車の方が僕は好きだ」
「春らしくなってきたんだ、素直に外の空気を楽しんだらどうかね」
急な坂を登りきり、さらに緩やかな坂を下がって上がり、その先に広がる屋敷街をしばらく進んだところに、如月邸はある。こじんまりとした木造銅板葺の洋館で、若緑に塗られた壁の色から、近所では『若草館』と呼ばれている。如月が生まれ育ち、今は秘書の柳と住む家だ。
青銅の柵の前に車を停め、二人は車を降りた。玄関で出迎えた柳に、如月はチラリと目線で抗議の意を送ったが、鉄面皮のこの男は動じることもない。主人の情報を売り渡すことに、良心の呵責を一片も感じていないのは明らかだ。すぐにお茶をお持ちします、と身を翻し、奥に消えていった。
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