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2 いじめ
ガチャリと鍵が開く音と、ゴクリと息を呑む音が同時に聞こえてきた。
振り返らずとも分かる。宇佐が緊張してるんだろう。
「……………汚い部屋です」
「うるせ。どこに物があるか分かるから問題ないんだよ。ほら、さっさと風呂入ってこい」
「……一人暮らし、なんですね」
「あぁ。あとシャワーでも湯を溜めてもいいけど、ちゃんと温まってから出てこいよ」
風邪をひかれたら割に合わないからな。
そう思って風呂場まで案内して――というか引っ張ってーー手を離す。けど、宇佐は動こうとせずにこちらをじっと見てくるばかり。
なんだ……?あぁ、着替えとタオルか。
「あー。えっと、制服は洗濯機で洗っていいぞ。タオルと着替えはそこのタンスから適当に使ってくれ。ちゃんと洗ってるから安心しろ」
「…………」
「あれ、違ったか?まだ何かあんの?新品が良いとか言うなよ?」
「………いえ」
じーと見ていたと思えば、あっさりと視線を切ってスルリと浴室へ向かう。なんなんだ?と思わなくもないけど、まぁいいか。
風呂場から出てリビングへと向かい、ソファに座って天井を仰ぐ。
(………いや何してんの俺?)
今更になって思う。何でこんな面倒なことをしてるんだか。
――風邪、ひきますよ?
……まぁ仕方ないか。さすがにあのままってのは後味悪すぎるし。
あーあ、そのまま順風満帆な学生生活を送ってくれてたら関わる気はなかったんだけどなぁ……何でこんな事になったんだか。
解決に協力するべきか?正直そこまでやろうとは思えないんだけど。
あの人気者だった学校一の美少女が一週間であの扱いだぞ?絶対面倒くさいに決まってる。少なくとも嫌われ者でほぼボッチの俺には手に余る。
(……とりあえず様子見だけするか。あとはまぁ、その時次第で)
要するに全てを後回しにする事に決定。未来の俺に丸投げだ。
それにしても長くね?もう30分以上経つんどけど。女子の風呂が長いっていうのは本当だったのか。
姉さんもアイツはそんな事ないのにな。いや、アイツは女子枠に入れるか微妙なとこか。
「くぁ……っ」
あくびが漏れる。やばいな、マジで眠い。仕事しないといけないってのに。
そう思って立ち上がるーーという夢を見ながら、俺は寝落ちしてしまいました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「あの……起きてください」
「んぁ?………………ぅあぁ〜〜……」
最悪だ、やらかした……今何時だ?
時計を見ると14時すぎ。良かったぁ、まだそこまで経ってない。てか宇佐のやつ1時間以上も風呂入ってたの?やば。
宇佐を見ると、上気して色付いた頬とは反対の冷たい視線を向けてきている。客人ほったらかして寝たからって怒らないで欲しい。
「普通このタイミングで寝ますか……?いえ、肩の力はこの上なく抜けましたけど。あの、お風呂と服、お借りしてます」
「おー、結構長く入ってたんだな」
「す、すみません……つい」
「いや別に責めたんじゃない。単なる感想ね」
「……そう、ですか」
耳を澄ませれば洗濯機が回ってる音が聞こえてくる。1時間以上経ってるし、乾燥込みで考えてもそこまで時間もかからず終わるはずだ。
そしたらお帰りいただくとして、仕事はそれからかな。今の内に昼飯食べとこ。
「あ、あの。私はどうしたら……?」
「んん?あぁ、服乾いたら帰れば?それまでは適当に漫画でも読んでていいし」
ちゃんと巻数揃ってないかもだけど。
俺は漫画は読むけど買ったりはしないし、部屋にあるのはアイツが持ち込んだものだけ。
アイツは読みたいやつを読みたい分だけ持ってきて、持って帰ったり帰らなかったりするからバラバラなんだよな。
しかし宇佐は気に入らなかったのか、俺をじっと見たまま漫画に手を伸ばす事はない。
なんだよ、と首を傾げてみせると、宇佐は良い辛そうに口を開く。
「………あの。何故大上さんはここまでしてくれたんですか?」
「……は?ここまでも何も大した事してないだろ」
「そうですか?誘拐未遂までしておいて」
「あ、そっち?」
「冗談です……でも、ここまでしてくれる理由は本当に気になります」
じっと目を逸らさず見てくる宇佐に肩をすくめる。されにしても随分と真っ直ぐに目を見て話すんだな。今時珍しいというか。ただ今は嘘つきにくくなっちゃうから辞めて欲しいんだけど。
「あー……単なる気まぐれ、だな。怪しいんでくれても、余計なお世話だと思ってくれてもいい」
「……では、恩とさせてください。いつか返します」
「いや大人しく二択から選べよ」
義理堅いのか、それとも一方的な施しを嫌うタイプか。
――風邪、ひきますよ?
どちらにせよ、宇佐が風邪をひかなかったんならそれで良いか。
てか飯なんかあったっけ?アイツが置いていったカップラーメン勝手に食べたら怒るかな?うん、ブチギレそうだな。
とか考えていたら、洗濯機が仕事の完了をアピールしてきた。電子音を聞きながら宇佐を見る。
「終わったみたいだぞ。気をつけて帰れよ」
「……………そう、ですね」
あれ?むしろ微妙に暗い顔になってない?脱兎の如く逃げるように帰ると思ったのに。
「どした?帰るまでに漏れそうとかならトイレ行ってから帰ってもいいぞ」
「デリカシー……というか違います」
呆れたような怒ったような視線を寄越すも、どうやらトイレじゃないらしい。
まだ何かあるのか?……いや、そもそも逆か?可能性が低すぎて考慮してなかったけど、そうだとしたらーー
「――帰りたくない、とか?」
「っ!」
驚いたように体をビクッと揺らす宇佐。……まさかの正解かよ。9割冗談だったのに。
もちろん俺と一緒に居たいから等と勘違い出来るような立場じゃない。こいつが帰りたくない理由となれば、思いつくのは先程言ってた件だろう。
(親に捨てられた……か)
とは言え、俺が引っ張ってくる前は帰るつもりだった事から、帰る家自体はあるはず。捨てられたというのは親が家を出て行ったという事だろうか。
それでも学校一の嫌われ者になってしまってるらしい俺の部屋と天秤にかけて帰りたくないというならーーどれほど帰るのが辛いのか。
――今だけは、私がついてますから。
「…………はぁ、そんな事も言ってくれてたなぁ」
「……え?すみません、今なんと?」
「いや、なんでもない」
さてさて、どうしたもんか。これ以上はちょっと踏み込みすぎな気もするけど。
ただ、それでも。
「……いや、なんでもなくなかった」
「………はぁ」
「宇佐は、なんでイジメられてんだ?」
「っ」
息を呑む彼女を見据える。
その視線から逃れようと宇佐は目を逸らす。けど、俺はそれでも目を向けたまま。
(……ここで何も言わないなら、これ以上は何も言わないでおくか)
なんでも助けりゃいい訳じゃない。介入しても良い結果に繋がるとは限らないし、本人の為にならない事だってある。それは嫌と言う程知ってるから。
そもそも介入して欲しくないって人も多いしな。これほどデリケートな問題であれば余計に。
ただ、それでも。
辛い時に誰かが一緒にいてくれるだけで救われる事を、俺は教えてもらったから。
「……クラスメイトのお金を盗んだ窃盗犯、と言われてます」
たっぷりと時間を置いてから、宇佐はゆっくりと話し始めた。言うのかよ、と思わなくもないけど、それだけ追い詰められてるんだろう。俯くと目のクマがより濃く見えた。
あまり表情が変わらない印象の宇佐だが、今は目に見えて分かる程度には歪んでいる。
悔しさか、悲しさか、怒りかーー彼女を知らない俺ではその内心は読み解く事は出来ない。だけど、話を聞くくらいは出来る、と思う。
「そうか。で、誰が発端かは分かってんの?」
「………え?あの、発端って……」
「その悪評を広め始めた原因は誰って意味。イジメの主犯でもいい」
「………あ、悪評…?」
えぇ、宇佐ってこんなに会話のテンポ悪いの?こんな無表情の澄ました雰囲気でおバカなの?いや頭は良いはずだし、疲れすぎて頭回ってないとか?
「…………私がやってないと、そう思うんですか?親に捨てられて、お金がない私を…」
「あぁ、そっちか。いや普通に考えて本当にやってたら退学になってるだろ」
噂になるレベルで広まってるのに退学になってない時点で、それが噂でしかないなんて見てない俺でも分かる。
まぁ教師陣が無能すぎるか、宇佐が誤魔化し上手で決定的な処分に至らなかったパターンもあるだろうがーーうちの高校には高山先生がいる。
彼女が処分していないという事は、まぁそういうことだ。
「……っ、………」
俯いて肩を震わせ、黙り込む。無表情で分かりにくかったけど、どうやら思ったよりも無理をしていたらしい。
さて、どうするか。話も聞いた。恩も、ある。そんな彼女が、泣いている。
(はぁ……嫌われ者のボッチごときに何が出来るかは分からんけど)
解決に向けて、やれる事はやってみるか。気乗りはしないし、解決出来る気もしないけど。
「泣き止んだら、発端のやつを教えてくれ」
「……こういう時は、黙って見守るものですよ」
「そうなのか?知らなかった。次の機会があれば参考に出来るようにしたいなぁ」
「……それ、参考にする気がないやつですよね。適当すぎです」
案外余裕があるのか、それなりの憎まれ口が返ってきた。
とは言えそれが限界だったのか、ついに口を噤んでずび、と鼻を鳴らし始めた。
……はぁ、ティッシュとってきてやるか。
あれ、ティッシュどこだっけ?あーくそ、汚い部屋だな。
誰だよ、物がどこにあるか覚えてるとか言ったの。低次元の言い訳する前に片付けろや。
結局、ティッシュを見つけた頃には宇佐は泣き止んでた。
ティッシュをそっと差し出したら「信じられないくらい遅いです」とか言われたし。すんませんね。
もう探さなくて良いようにティッシュの置き場をどこにしようか考えながら、とりあえず宇佐に制服を取りに行くよう伝える。
しっしっ、と手を振る動作で促したせいか、少し彼女の無表情が苛立たしげに歪んだ気もするけど。そしてやっとティッシュ置き場を決め込んだ頃、宇佐が制服姿で戻ってきた。
「……あの、お借りした服はどうすれば…」
「んん?あー……好きにしていいぞ」
「え、と?」
「いや、自分が着た服がヤローに着られたり嗅がれたりとか嫌だろ?捨てるなり持ち帰るなり好きにしてくれりゃいいよ」
いやもちろん嗅ぎはしないけどね。
別にお気に入りの服ってわけでもないし、一枚くらい無くなっても構わない。しかしそんな俺のなけなしの気配りに宇佐は目を丸くしてリアクションひとつ寄越しもしない。
「いやなんか言ってくんない?」
「……驚きました。大上さん、ちゃんとまともな気配りができたんですね…」
「なんか言えとは言ったけど、そこまでの切れ味あふれる返しは求めてなかったわ」
「だってデリカシーありませんし……」
「あぁ、母さんのへその緒に忘れてきたっぽくて」
「生まれた時からデリカシーがない、と。納得です」
こっちが驚きましたわ。いや結構言うタイプかなとは思ったけど、ここまでとは。美少女レベルと口撃力って比例するのかね?
「……服は、お返しします」
「あっそ」
「嗅がないでくださいね」
「不安なら捨てとけよ」
「冗談ですよ」
冗談なんて言えるんだなこいつ。まぁ少しは余裕が出来たのか?
ともあれ、時計を見れば15時を示している。学生の帰宅時間だし帰るには良い時間だ。
「んじゃ、気をつけて帰れよ。送りはいらんだろ?」
「……確かにいりませんが、普通はフリでも送ると言うんじゃありませんか?」
「知らね。送って欲しかったらそう言えば良いだろ。なんで女子は言葉にせずに動いてもらいたがるんだか」
「……それ、そこそこ広い範囲の女性にケンカ売る発言ですよ」
「もともと好かれてないから言えるんだよ」
「……学校一の嫌われ者が言うと重みがありますね」
「あれ、もしかしてケンカ売られてる?」
そんなに言わずに動かない事って怒る事なの?それとも宇佐も何も言わずとも俺に送れとか思ってたの?
「いえ、単なる感想ですよ」
「口にして良い感想とダメな感想ってあると思う」
「そうですね。ええ、本当に同感です」
そう言いながら責めるような視線をよこす宇佐。
俺の発言が何やらお気に召さなかったらしい。何故なんだろうね。
「んで、送りゃいいんですかね?」
「いえ、必要ありませんよ」
そう溜息混じりに言う宇佐。
なんだか知らないけど、何かを諦められた気がするーーって、忘れてた。
「その前に宇佐さんや。悪評の発端は誰なんだ?」
「……あ。……その話、忘れてましたよね?」
「でも宇佐も忘れてたろ。あ、って言ったの聞こえたけど」
「何の事でしょう?で、思い出してくれましたか」
「まぁそこは悪かったよ。すぐ見つかるようにティッシュ置き場決めてたらついうっかり」
「……なんだか、ティッシュに負けたと思うと話す気が失せますね」
苛立ちを抑えるように眉間に指を当てる宇佐。これは俺が悪かったな。反省します。
「まぁいいです……猪山赤也さんと根津桜さんです」
「ふーん、やっぱか」
「え……知ってたんですか?」
「いや今日のあいつらの雰囲気が、妙に宇佐に好戦的だったというか」
目を丸くする宇佐にふわっとした根拠を告げる。何やら驚いているようだけど、ひとつ気になった。
「というか根津とは仲良くなかったっけ?」
「……普通聞きますか?」
「あー……わるかったって、そう睨むなよ」
今日一の鋭い視線が突き刺さる。そんなに怒るなよ、俺が悪いけどさ。
そういう気持ちを込めてどうどうとハンドサインしてやると、宇佐の眉根が寄った。もはや普通に怖い。ごめんて。
「馬扱いやめてください。はぁ……これが学校一の嫌われ者…」
「しみじみ言うなよ。辛くなるわ」
「それなら良かったです」
「おいこら」
随分と急激に遠慮がなくなるねこの子。
しかし、女同士のケンカじゃなくて男まで絡んでるのか。
陰湿な手段が常套手段――アイツいわくーーの女子だけじゃなく、男子なら結構派手な手段で攻撃されてた可能性もあるな。
予想はしてたけど、やっぱり面倒そうな話だな。
「……アイツらにも聞いてみるか」
「……?すみません、何ですか?」
「いや、何でもない。それより一応もう一回確認しとくけど、送りはいるか?」
話している内に窓から見える青空に夕焼けの橙色が混じり始めている。
家の場所は知らないが、近場でなければ帰る頃には日は沈んでるだろうし一応確認しておく。
「……送りはいりません」
「ふーん。家近いのか」
「………」
俺としては答えすら求めてないような感想に近い発言だったのに、宇佐は顔を俯かせて黙り込む。
いやそんな警戒しなくても、と思ったのだがそうではないようだ。
彼女の髪の隙間から覗く表情は、警戒心などではなく言い辛そうな、何かに耐えるようなそれ。
まさか地雷踏んだ?てか俺のデリカシー云々の前に、地雷原かってくらい地雷多くないですかね?だから怒らないで、お願い。
「………ここから徒歩1時間くらいです」
「お、おお。かなり遠いな。電車乗れよ」
良かった。地雷じゃなさそう。今回は回避出来たか。
「……電車賃も払えません。家も水道以外、使えません」
ダメでしたわ。まさか金銭の方だったとは。
……いや、そこまでの地雷でもないか?俺も水道まで止まるなんて昔はザラだったし。
「……あんな家、帰りたくないです…」
本当に聞き取れるギリギリの音量で呟く宇佐。多分、聞かせる気はなかったんだろう。
俯いて地面を見る冷たい瞳は、ここには居ない誰かを睨んでいるようにも見えた。
家の事情はともかく、他は解決法が簡単で助かったけど。
「んじゃ泊まれば?」
「………………はい?」
困惑3割、何言ってんだこいつ感9割といった比率無視しちゃうレベルの冷たい視線。
確かにこれだけ言えばそうなるだろうけど。そこは言葉足らずというか、これから説明追加するというか。つまりごめんなさい。
「待て、落ち着いてその握りしめた拳を下ろせ」
「……何か言い訳があるなら今の内にどうぞ」
「あのな。部屋は狭いけど、一応ここって2LDKなんだよ。内ひとつに仕ご……趣味部屋があって、たまに友人が泊まってるんだよ。そいつが過ごしやすいように改造してるし、客間としても寝心地は悪くないと思うぞ?」
なんなら俺の寝室より寝心地は良さそうなんだよな。なんかお高めな枕とか持ち込んでたし。
まぁ言うだけ言ったけど、普通に帰るだろうし、そうすべきだと思う。
「えっ……嘘ですよね…」
「まぁそう思うのが普通だよな」
「友人が居るんですか?」
「そっちかよ。てかやっぱりケンカ売ってるだろ」
てかアイツは今日どうする気だろ。もし来るなら宇佐を丸投げ出来るんだけど。
「もちろん帰ってくれてもいい。というかそうすべきだな。駅までは送るし、仕方ないから電車賃も特別に奢ってやる」
帰りたくない気持ちはあるんだろうけど、まぁ普通に考えて帰るべきだろ。それは宇佐も分かってるはずだ。
駅まで送るのめんどいけど。まぁこればかりは頑張るべきだろう。
さくっと送って仕事を終わらせないとな。せっかく早退したのに結局こんな時間だし。そう言えば昼飯もまだだし、駅からの帰り道になんか買うか。あー気付いたら余計に腹減ってきた。
「………………………………お部屋、お借りしてもいいんですか?」
泊まるんかーい。
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