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旅先で見つけた、小さな本屋。
僕はその店のドアを開けた。カランカランと小さな鐘の音がした。
「いらっしゃいませ」
小柄な若い女性がにっこりと微笑んだ。この春大学を卒業し就職した自分と同じくらいの年代だろうか。
中を見渡す。どうやら絵本専門の本屋らしい。
帰ろうか。
僕は絵本にはあまり興味がなかった。
この街には、趣味の史跡巡りでやってきたのだ。地元のガイドブック的なものでもあれば、と思って立ち寄ったところだった。
それでも店を出ることができなかったのは、その女性がどこかで見たことがあるような気がしたからだ。
本を見るふりをして、そっと女性を盗み見る。その視線に気づいたのか、女性はこちらにやってきた。
「何かお探しですか?」
「あ、いや、えっと。……珍しい絵本とかないですかね?」
郷土の絵本や地元の出版社の絵本などを頭におきながらそう答えた。すると女性は少し悩んだあと、すっと僕の顔の左横に手を伸ばし、一冊の絵本を取り出した。
「これとか、珍しいですよ」
その絵本の表紙には生まれたばかりの赤ちゃんの泣き顔が描かれていた。
タイトルは「おおきくなあれ」。
赤ちゃんが育っていく過程を描いたハウツー的な絵本だろうか。
ちょっと興味がわかないな。
そう思ったはずだった。
彼女はぱらりと本を捲った。最初のページには、元気そうに泣く赤ちゃん。
「どうぞ」
そう言われてついその本を手に取った。その時、どうしてもこれが欲しくなってしまった。
どうせなら薦められた物を買うか。
そう思い、僕はその本を買って店を後にした。
どこかに忘れて来てしまったのだろうか。旅から帰ったあと、その絵本はどこにもなかった。
あの絵本の赤ちゃんはそのあとどうなるのか。僕はわからないままとなった。
***
「ほうら、パパですよー」
妻が生んだばかりの娘に微笑んだ。おぎゃあおぎゃあと元気に泣いている。僕がおそるおそる手を出すと、そっと腕に抱えさせてくれた。
妻は職場の同期だった。最初の頃はほとんど会話をしたことがなく、名前と顔も一致していなかったが、趣味が自分と同じ史跡巡りということでよく話すようになった。
腕の中の我が子を見る。どこかで、見たことがあるような気がした。
妻が娘を見ようと顔をこちらに寄せる。
「あ」
僕は思わず小さな声を上げた。妻はきょとんと僕の顔を見上げた。
誰かに似ていると思ったのだ。あの本屋の女性。
ーー妻だ。
そっくりというわけではないが、どことなく面影が似ている。
そして、腕の中をもう一度見る。
あの時の赤ちゃんだ。絵本で泣いていた、あの。
赤ちゃんなど、見分けがつかないと思っていたが、それは確信となった。
そして、多分。あの女性はーー。
妻は赤ちゃんの頬をぷに、と触りながら微笑んだ。
「あたしたちをパパとママに選んでくれてありがとう」
おわり
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