天空都市「彩雲」

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天空都市「彩雲」

 空を見上げた。天を突き刺すように伸びたビルの間から、絵に描いたような青空が広がっている。当たり前だ。これは外気からこの都市全体を守る膜、そこに投影された偽物の空なのだから。 「オイ。ンなもん眺めてたって、仕方ねぇだろ。行くぞ」 「ああ、ごめんね、ヒダカ!」  先を行く相棒の背中を、タイクウは慌てて追いかけた。  天空都市『彩雲(さいうん)』。ここは日本が所有する宙に浮かんだ領土である。  この世界では遥か昔から、雲に混じって空に浮かぶ大地が目撃されていた。そこに何があるのか、宙に浮かぶ大地は人々の憧れであった。  およそ百年前。空を飛ぶ手段を身につけた人々は、その大地に降り立つ。何もないまっさらな土地だったそこへ、人々は当然のように町を作った。  時代の移り変わりで色々変化はあったのだが、日本の天空都市『彩雲』はその名を確立させ、日本人憧れのリゾート地となっていた。十年前、上空に機械を食らう異形、天空鬼(スカイデーモン)が現れるまでは。  舗装された道路の脇には、新緑のような色の街路樹が生い茂っている。これも効率よく光合成を行う為、人工的に作り出されたものだ。ガードレールによって隔てられた車道は、不自然なほど静かである。歩道も、時折歩いている誰かを見かけることがあるかないかくらいだ。ようやく朝と呼べる時間帯、きっと人々は目覚めたばかりでまだ移住区の辺りにいるのだろう。  閑散とした銀行や郵便局のウィンドウを眺めながら歩き、二人はビルとビルの間に伸びた裏路地へと入っていく。人とすれ違うこともできない狭い道を進んでいくと、やがて薄闇の中から地下へと続く階段が現れた。  彼らは迷わずそこに足をかけ、一歩ずつ踏みしめるように下りていく。錆びてきた手すりと奥に見える古びた木製の入り口が、どこか懐かしい感情を呼び起こさせた。  カフェ&バー『桜』。店主の名前をつけたそのカフェは、そこにひっそりと店を構えていた。扉は手動、メニューも紙で注文形式もアナログ。「昭和」の時代を思わせる、元よりレトロな雰囲気が売りのカフェ、だったのだが。彩雲のエネルギー問題により、その形式は一部標準的なものになってしまった。  タイクウは銅の取手を掴み、木製の扉を開く。軽いベルの音が客の来店を告げた。入って左側に丸テーブルと椅子が三組、そして右側にはバーカウンターがあり、その前には脚の長い椅子が四脚ほど置いてあった。昼食にもおやつにも中途半端な午後二時。しかし、一番奥のテーブル席に一人の男性客がいた。ベルの音を聞きつけて、調理場から店主が顔を出す。 「あら、二人ともいらっしゃい」 「桜さん、こんにちはー」 「おう」  無愛想なヒダカの返事に、淡海桜(おうみさくら)はペールピンクの唇を吊り上げ苦笑する。ショートボブの栗色の髪が軽やかに揺れた。  彼女とタイクウたちが出会ったのは彼らがまだ幼かった頃、もう何年も前になる。まだ彼女の祖父母がこの店を営んでいた頃からの付き合いだ。そのため店に来たと言うよりは、近所のお姉さんの家へ遊びに来たと言った感じがする。 「二人とも今日は食事? それとも……ただの暇つぶしに来たのかしら?」  もう慣れたもので、彼女は二人を一番奥のカウンター席に通してくれる。そこに腰かけながら、ヒダカが桜を睨むように見上げた。 「さすがに、こんな所で暇は潰さねぇわ。仕事がねぇか聞きに来たんだよ」 「閑古鳥バレバレだよね。僕ら」 「……それはそれで、暇つぶしみたいなものよね」  呆れたように言って、彼女はお冷をタイクウたちに差し出す。桜は一人で店を切り盛りしながら、彼らに仕事を斡旋してくれることもある。  幼い頃から世話になっていることもあって、二人は彼女に頭が上がらない。ヒダカの口の悪さも、桜の前では少しだけマシになるのだ。 「仕事は、残念ながらないわ。だけど、ついでに何か食べていったら? どうせお昼まだなんでしょう」 「じゃあ、肉。牛のやつ」 「水だけで良いよ」 「え、お肉……⁉」  その声を上げたのは、桜ではなかった。タイクウたちは声のした方、奥のテーブル席へと視線を向ける。ただ一人いた男性客、タイクウたちと同じか、少し年下くらいの青年が、目を丸くしてこちらを見つめていた。  グレーのシャツに紺色のスラックス、短く切り揃えた黒髪は清潔感がある。体は細身で気弱そうだが、真面目な印象を受ける青年だ。胸元にある、シルバーリングを下げたチェーンだけが、少し浮いて見えた。  注目を集めていることに気がついたのか、彼は慌てて視線を外して俯く。タイクウもヒダカもかなりの長身であり、体格もたくましい。特にヒダカはミリタリージャケットとカーゴパンツを着用し、青年とは正反対の風貌だ。オールバックにした髪型に加えて目つきも鋭いので、威圧感を与えてしまうかもしれない。  青年を安心させるように、桜は首を傾げて悪戯っぽく微笑んだ。 「珍しいですよね。ウチは小さなお店ですけど、品揃えには自信があるんですよ?」  地上との往来が廃止された天空都市では、菓子や酒といった嗜好品や、鮮魚、大型の家畜の精肉などを、気軽に手に入れることができなくなった。限りある資源や土地では、生産可能な量が少なすぎるのである。  魚はプールでの養殖が追いつかず、富裕層のみ口にできる高級品。また肉と言えば、もっぱら大豆を加工して作ったものがほとんどだ。 「じゃあ、まさかこのメニューにあるもの、本当に頼めば出てくるんですか⁉」 「いやぁね、写真集じゃないんですから、本当に出てきますよ。ウチはちょっぴりグレーな、独自の仕入ルートがあるので」  桜の視線が一瞬タイクウたちへと向いたのは、気のせいではないだろう。青年は何かを決意したような眼差しで立ち上がり、口を開いた。 「じゃあ、噂は本当なんですか? このお店で、特別な運び屋さんに依頼ができるというのは」  噂になっているのか。タイクウは少し驚き、横のヒダカへ目で合図を送った。彼は桜と青年のやり取りなど我関せずで、まるで酒を飲むように水を少しずつ飲んでいる。 「本当なら、是非紹介していただけませんか⁉ 僕、どうしても、地上へ行きたいんです!」  桜の言葉を待たず、青年は立ち上がって叫ぶように訴えた。 「あなたが地上へ?」  念を押すように問いかけた桜の言葉に、彼は我に返ったように押し黙る。 「ごめんなさい。変な意味はなかったの」  桜がなだめるような口調で告げた。 「そうよね。地上との往来が絶たれてまだ十年、いえ、もう十年かしら。地上に色々と残してきてしまった人も多いわよね」  桜は少し遠い目をして、ひとり言のように呟く。すぐに我に返ると、再び青年に柔らかい笑みを向けた。 「やっぱり、そんな運び屋なんているはずないですよね。航空機は飛ぶことを禁じられていますし、数年前に行われた武装降下作戦も失敗。編成された人たちはその……全滅したって聞いてましたから」  青年の言葉にほんの少しだけ、ヒダカが肩を震わせた。僅かな沈黙の後、彼は唇の端を吊り上げ笑う。 「もしその中に生き残りがいて、何の物好きか、また天空都市(ここ)に戻ってきていたとしたら、どうだ?」 「戻って……え? そんな、ことが」 「まぁ、その辺は企業秘密ってことで一旦置いておくとして、だ」  ヒダカの視線を受けて、タイクウはグローブをはめた右手をコーチジャケットのポケットに突っ込んだ。小さな紙を取り出すと、それをアピールするようにヒラヒラと振る。 「興味があったら、話だけでも聞いてみる? 無料相談、受付中ですよ」  タイクウが取り出した紙には、『運び屋 藍銅鉱(アズライト)』と刻まれていた。
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