飛べ飛べウササギくん

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飛べ飛べウササギくん

 天空都市を覆う膜は、障壁のような役割を果たしているそうだ。高度、約八千メートル。成層圏直前と言う厳しい世界で、この天空都市の気温を一定に保ち、住民たちの生活を守っている。そこに映し出された人工の夕焼けが、夜を告げる為にその深さを増していく。  タイクウは人気のない町を歩きながら、夕空を眺めていた。  この辺りは観光の中心部で、昔は楽しげな人々で埋め尽くされていたそうである。地上との往来が絶たれ、彩雲は元々少ないエネルギーのほとんどを障壁に回さざるを得なくなった。もう一時間もすれば、節電のために周囲の建物も一斉に照明を落とすだろう。  暗くならない内に帰ろうと、自然とタイクウの足は早まる。ふと彼が視線を前方へ移すと、ガードレールに背中を預け、同じく夕日を眺めている人物を発見した。昼間に話をした御笠夕陽(みかさゆうひ)である。 「夕陽さん?」 「あ、あの時の運び屋さん……」  彼は昼間と同じ装いで、少しぼんやりとして答えた。タイクウは柔らかく笑って、彼に近づいていく。 「タイクウだよ。よろしくね。こんな所でどうしたの?」  ここはまだ住居エリアよりも、タイクウたちの事務所の方が近い。彼が考えさせてくれと言って、事務所を出て行ってから数時間が経過している。ずっとこの辺りにいたのだろうか。 「つい、その、考え事を。タイクウさんはお買い物ですか?」  夕陽はタイクウの手元に視線を落として言う。そこには、少し中身の膨らんだ買い物袋があった。 「うん。そんなところかな。となり、いい?」 「え? ああ、はい」 「ありがとう」  タイクウは夕陽の隣に並び、彼と同じようにガードレールに背を預けた。  夕陽の手元を見ると、一枚の写真が握られている。亡くなったと言う両親と幼い頃の夕陽だろうか。幸せそうな家族が、カメラに向かって笑みを浮かべている。 「ああ。これは父が肌身離さず持っていた物なんです。こんな時代だと、アナログの方が逆に便利ですよね」  顔を歪ませて笑い、夕陽はその写真を黒皮の手帳に挟んで仕舞う。ちょうど、ビルとビルとの間に、沈んでいく夕日の映像が鮮明に見えた。偽物だと知らなければ、その鮮やかな橙色に感動すら覚えたかもしれない。 「申し訳ありません。即答、できなくて」  夕陽が不意に口を開く。彼は眉を寄せて、自嘲のように笑った。 「地上に行きたい気持ちは本当なんです。でも、ここでの生活も、決して悪いものではなかった。だからいざとなると、考えてしまって」  現在、彩雲の人口は数万人と言われている。人間は案外たくましいもので、地上との往来が途絶えても、限られた資源を使って営みを続け、極力エネルギーを使わない娯楽や、ちょっとした日々の中に幸せを見出して生きているのだ。  教育や医療など最低限の生活は保障されているし、ずっと先の未来を見据えなければ、ここで生きていくという選択も決して間違いではない。 「いや、それって当たり前だよ! 誰だってあんな風に言われたら、そりゃあ困っちゃうよね」  でも、と言って、タイクウは言葉を区切る。 「地上は理想郷でもなんでもない。ここより少し便利なだけの、普通の場所だよ。だから、そこに降りることを本当に望んでいるのかどうか。命を懸ける価値があるのかどうかを、よく考えてほしくて」  この選択は、その後の人生を大きく左右する。だからこそ、しっかり考えて選んでほしい。運び屋「藍銅鉱(アズライト)」はしょっちゅう閑古鳥が鳴いているが、短気なヒダカも、決して依頼人を急かしたりはしなかった。 「どちらが後悔しないかと言うよりも、僕は結局、どちらを選んでも後悔しそうで怖いんです。あまり自分に自信がある方ではないので。――お二人みたいな方なら、自分の選択に自信を持てるんでしょうね」  タイクウは目を大きく見開いて、慌てて手のひらを顔の前で激しく振った。 「そんなことないよ! 僕なんか、しょっちゅういろんなことで後悔してるよ。ヒダカに矯正されたから、いつまでもメソメソ引きずることはなくなったけど、未だによく『あんなことしなきゃよかった』って思うよ」 「そう、なんですか?」 「そうそう。小さい頃は特に酷くてね、走って転べば『走らなきゃ良かった』、買ったお菓子が好みじゃなければ『あっちを選べば良かった』。自分でも面倒くさくて、ウンザリするくらい」 『こーわーいー! やっぱり地上を見るなんて、ムリだったんだよぉー! こなきゃ良かったぁ!』 『うるせぇ! タイクウがついてくるって言ったから、こっそり滑走路までつれて来たんだろ⁉ 泣くな! うっとうしい!』 『うわーん! おちるぅー!』 『さわぐな! 見つかるだろーが!』  ふと懐かしい記憶がよみがえり、タイクウはくすぐったい気持ちで笑う。昔は何かあるとすぐ自分の選択や行動を嘆き、いつまでもグズグズめそめそと泣いていた。そんな自分に付き合うヒダカは、さぞ鬱陶しかったことだろう。 「だからね。難しいことをお願いしてるな、とは思うんだ。僕はいつも悔やんでばかりなんだから」  タイクウは目を伏せ、袖とグローブで隠れた右腕に、そっと触れた。 「でもね。『後悔』って、余程どうしようもないことじゃない限り、その先の行動によっては、切り替えたり絶ち切ったりできるものだと思うんだ。だから万が一後悔するようなことがあっても、夕陽さんが頑張れば、いくらでも良い方向に変えていけるよ。だから今回選ぶのは、それができそうな方を選んでほしいかな。……って、その方がよっぽど難しそうだけどね」  タイクウは歯を見せ、おどけたように笑う。つられたように夕陽は、少し弱々しい笑みを浮かべた。  タイミングよく、誰かの腹の虫が空腹の音を鳴らす。顔を赤らめ、夕陽は自分の腹を押さえて俯いた。 「……失礼しました」 「あらら。ずっとここにいたなら、お腹空いてるよね。んー、でも今食べられる物何か持ってたかな?」  デニムやコーチジャケットのポケットを探るタイクウに、夕陽が慌ててお構いなくと声をかける。 「そうだ! 小さすぎて、お腹の足しにはならないかもしれないけど、良かったらコレ食べて」  タイクウが差し出したのは、小さなビニール袋に入ったラムネ菓子だった。真っ白で丸いシンプルな形状はどこか錠剤を思わせるが、袋にはピンク色で製菓メーカーのロゴが入っている。 「これ……」 「ああ、お菓子のオマケ。知ってるかな? 老舗の企業が出してた『飛べ飛べウササギくん』シリーズって言う」  タイクウの言葉を遮るようにして、夕陽は目を見開き表情を輝かせた。 「え⁉ やっぱりあの、羽が生えたウサギの、申し訳程度にオマケがついてるシリーズですよね? 懐かしいなぁ! まだあったんですね」  思いがけず同志を見つけた嬉しさで、タイクウはパッと表情を明るくした。 「そうそう。元々それを作る工場で働いていた人たちが『彩雲』にいて、趣味と実益を兼ねて作っている物なんだ。個数も少ないし値段もお高めなんだけどね。いつも仕事終わりのご褒美で買ってるんだー」  ラムネ菓子を差し出すと、夕陽は両指でそっと大切そうにそれを受け取った。閉じた唇に力が入り、何かを噛みしめるようにしながらそれを見つめている。 「本当に懐かしいな。母がまだ生きていた頃、よく両親にねだって買ってもらってました。このラムネも意外と好きだったんだよなぁ」  彼の声は、泣いているかのように震えている。タイクウは見守るような眼差しで、彼の横顔を見つめた。 「――僕のこの、『夕陽』と言う名前。夕焼けからいただいたそうです」 「うん」 「もう大分薄れてしまいましたが、幼い頃の記憶の中には、絶えず変化する空と、その下で笑う両親の姿がありました。この食玩も、保育園の帰り道によく買ってもらってたんですよ。あの時の夕焼け、綺麗だったなぁ……」  彼は今、幼い頃の思い出の中にいるのだろう。夕陽の両目から不意にこぼれ落ちた物を見て、タイクウは思わず息を呑む。 「ねぇ、タイクウさん」  夕陽が顔を上げ、空を見た。 「地上の空は、今も変わっていないでしょうか?」  彼の顔は、涙で顎まで濡れている。タイクウは力を抜くように息を吐くと、柔らかく微笑んで告げた。 「変わってないよ」  心の底から絞り出すように、夕陽は嗚咽を漏らした。 「ただいま」  薄暗い事務所の扉を開けて、タイクウは中にいる相棒へ声をかける。扉を閉めてパーテーションを覗き込むと、ヒダカは事務椅子に胡座をかいて座っていた。髪が湿っているので、シャワーでも浴びたのだろう。彼はタイクウの姿を一瞥すると、ぶっきらぼうに声を発する。 「メシは?」 「ん? 外で食べてきたよ」  シンクを覗くと、食器カゴにまだ水滴のついた食器がふせられている。彼はもう食事も片付けも終えたらしい。 「そうだ。夕陽さんに会ったよ。彼、『飛べ飛べウササギくん』知っててさ! 嬉しかったなぁ、語れる人がいて」 「俺はいい加減にして欲しいけどな。テメェの机の上で増殖しまくってる謎の生物が、鬱陶しくて仕方がねぇ」  ヒダカの向かい、タイクウの机の上には、羽とくちばしの生えたウサギの人形(フィギュア)がズラリと整列している。中でも謎のウサギが風船を持っている人形(フィギュア)は、片手で数えきれない数になっていた。 「あはは、上手く揃わない物だよねー。もっと吟味してから買えば良かったのかなー?」 「知るか、ンなこと!」  吐き捨てるように言ったヒダカに、タイクウは思い出したように告げた。 「そうそう。近々、仕事になるよ。準備しておかないとね」 「――そうか」  それで察したのか、ヒダカは好戦的に犬歯を見せつけるように笑う。そんな彼を少し寂しげな笑みで見つめて、タイクウは彼の名を呼んだ。 「ねぇ、ヒダカ」  ヒダカから視線を逸らして、自嘲気味に笑う。 「後悔しないって、本当に難しいね」 「まぁな」  ヒダカの声は珍しく、どこか柔らかい響きをしていた。
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