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心臓やぶりの階段で
八回目を数えた国土交通省と村民達の話し合いは、時に冗談も飛び出し、終始和気藹々としたムードの中進められた。
水上右近の孫、真梨は、柏木が、その若さゆえ、ほとんどが高齢者の水魂教の信者に受け入れてもらえないのではないかと心配していたが、皆の輪の中に入って良好な関係を築いている様子を見、安堵した。
祖父である水上右近の気持ちも、ダム建設認可に傾きかけているように映り、先日、自分が柏木の従兄弟から”たかられた”一件は、自らの胸の内にしまっておかなければと考えた。
全スケジュールにおける説明会が終了すると、ダム建設の是非を問う投票が行われた。結果、賛成派が過半数を占め、ダム建設が認可される。
そんな中、水魂教幹部の唐沢は、都築から、国土交通省のサイト内で使用するS村の写真について相談を受ける。唐沢が
「それなら教祖の孫である真梨さんに頼むのが良いと思います。
よくブログに、S村の里山風景をアップしていますから。
真梨さんには私から言っておきましょう」
と提案すると、都築も渡りに船とばかりに
「有り難うございます。
うちの方でも、職員を一人付けますので、日程が決まり次第、お知らせください」
と答えた。都築はその日のうちに、柏木を呼び
「HP写真の件、先方では水上真梨さんを案内役として推薦してきた。
数人で行く必要もないから、君が代表して行ってくれ。
それと、真梨さんには、取材協力費が支払われるよう、経理には頼んである」
と伝える。
柏木は「わかりました」
と答え、早速、準備に取りかかった。
国土交通省防災対策課、都築から指定された日の早朝、水上鏡子、真梨親子は
時間きっかりに姿を現わした柏木を見ても、
柏木が、いつものスーツではなく、カジュアルな服装で二人の前に現れたと言う事もあり「本人である」と認識するのに時間を要した。
「あら、柏木さんだったのね。
私、あなたじゃない人が来たのかと思っちゃって、失礼しました」
と、鏡子が詫びる。
「いえ、今日はいろいろ回って頂けると聞いてきたものですから、敢えて動きやすいラフな格好で来てしまいました。すみません」
「行く前にコーヒーでもと思ったんだけど、そろそろタクシーが着きそうなの。
後で、寄って行って下さいね」
「有難うございます」
そうこうしているうちに、タクシーが到着し真梨と柏木は、後部座席に乗り込む。
二人を乗せたタクシーの運転手は
「今日は晴れて何よりでしたけど、
せっかくのデートも、こんな狸親父がいては台無しかな?
何はともあれ、どんな所へでも参りますのでどんどんお申し付け下さいね」
と言って場の空気を和ませようとするものの、
何と返していいのかわからない二人は
無言のままやり過ごす。
客からの塩対応など日常茶飯事の運転手は特に気落ちするわけでもなく
「じゃ、行きますか?」と独り言のように言い、車を出した。
なるべく多くの画像があった方が良いと考えていた真梨は、要所要所で車を停めてもらっては、柏木を車から降ろし、撮影させた。
真梨は、最後の地点として、マストとも言える、S村を一望できる高台に建つ神社を選んだ。車を下に待たせ、二人で神社へと続く階段を上る。
当初「頑張って上りましょう」などと言って、数段先を昇って行った真梨だったが、中盤辺りに差し掛かかった時点で、心臓がバクバクし始める。
だが柏木の案内役に指名された以上、カッコ悪い姿は見せられない。
体力と気力のせめぎ合いの中、真梨はなんとか境内まで上り切った。
「ふぅ…辿り着いた」
と思った瞬間、突然地面が揺らぐ。
どうやら、貧血を起こしたらしい。
「大丈夫ですか!」
慌てふためく柏木の声が遠くに聞こえ、真梨は脱力感に身をまかせるようにして、柏木の胸に倒れ込んだ。
柏木のフランネル素材のシャツが真梨の頬を優しく受け止め、計り知れない安心感が真梨の身体を包み込む。
一方、柏木は、大変な事になったという思いから、再三
「真梨さん、真梨…」
と呼び掛ける。そんな中、その声を制するように
真梨の手が柏木の腰をぐるっと取り囲むようにして伸び、ベルトに手がかかった。
贅肉がついていない腰の感触は堅固で、真梨の中に、柏木に対する畏敬の念とも言える期待が沸々と湧き上がってくる。
森羅万象全てが息を殺し
嘘のような静寂だけが二人と共にあった。
もうしばらく、気分が悪いような素振りを続けていたい。
真梨は、明らかに戸惑いを感じ始めている柏木を余所に
一人静かに、恋に向かって走り始めた。
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