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説明会
五月、最終週の日曜、水上家では出前で頼んだ鰻重を前にしても、明日に控える曽根川流域ダム建設説明会を案じ、到底、食事を楽しめる雰囲気にはなれなかった。それでも
「ここの鰻は、かの木曽義仲も大変気に入っていて、良く口にしていたとも言われている。冷めないうちに食べよう」
とした右近の言葉もあり、各々、器の蓋に手を掛ける。
食事は通夜振る舞いのように粛々と進められ、鏡子と真梨は皆への茶を用意する為、席を立つ。
そうした状況を打破するかのように、鏡子の夫、賢治が
「そんなに気負う事もないんじゃないかな。
向こうも最初から、物別れに終わりたくはないだろうし」
と言うと、耕三が
「あぁいう連中を甘く見ると大変な事になりますよ。
寧ろ、初日から徹底抗戦で行った方がいいと思いますけどね」
と水を差す。
右近は、婿としての領分をわきまえ、娘とも良い関係を築いている賢治への感謝の気持ちもあり
「賢治くんの言っている事も一理ある。
連中がしめしめと帰って行ったからといっても、ボールは常にこちら側にある。
終始、主導権は、我々にあると思ってよい」
と、賢治をフォローした。
「私、明日は仕事の都合で欠席させてもらいますけど、別にいいわよね」
と早苗が言うと
「僕も、はずせない用事があって。賢治さんもそうでしょう?」
と、耕三が悪びれる事もなく言うと、賢治もすみませんと言うように頭を下げた。
「大丈夫よ。初回だし、幹部の人達がいてくれれば何とかなるでしょ」
鏡子はそう述べ、めっきり体力が衰えてきている父の為にも、自分が盾となり、父を守っていかなければと自覚した。
明朝、九時から催される説明会の為、岐阜市に前日入りした国土交通省職員、都築ら五人は、朝食時、腹が減っては戦が出来ぬとばかりに、バイキング形式で並べられた料理を皿に盛り、各自、人もまばらなテーブルに着いて胃袋に収めていた。
敢えて満腹を避けて、早々に食事を終えた都築は、コーヒーを飲みながら、ふと柏木のトレーにクロワッサンとミルクしか載っていない事に気づく。
奴も、腹がパンパンでは仕事に差し支えるというタイプなのだな、と勝手に解釈した都築は、嬉しくなり、思わず顔がほころびそうになるも、それどころではないと思い、こらえた。
桜井は一人「料理は普通として、コーヒーはなかなかのものだ」と、悦に入っていたが、室長始め他三名のしらーっとした視線を感じ、慌てて席を立つ。
そのままトイレに行き、帰ってきた桜井を迎えた四人は、ホテルの前に待機していた車二台に分乗し、水上家へと急いだ。
立派な門構えの家の前で降ろされた五人は、物陰から家臣が「無礼者」と言って切りつけてきそうな合掌造りの家を前にして、早くも戦意喪失となる。
しかし、玄関の戸が開き、そこから見目麗しい若い女が姿を現わすと、直ちに空気が一変し、蜜を探し求めていく蜂のごとく、女の下へと向かっていった。
「いらっしゃいませ。防災対策課の方ですね?どうぞ、中へお入りください」
社会勉強の一環として、特別に専門学校を休む事を許可された右近の孫、真梨は、先頭に立つ男の顔に、マイホームパパのような優し気な表情を感じ取り、一気に緊張の糸がほどける。
都築が、取り急ぎ自己紹介を終えると、五人は、真梨の後、幅2mはあろうかと思える廊下を突き進んだ。
真梨が既に襖が取り払われた状態の広間の前まで来ると、自身は脇にそれ、客達を中に入れる。
広間には、数十名の村民達が整然と待ち構えており、水魂教幹部の唐沢が、都築らを皆に紹介する。
「それでは、室長の都築さんからダム建設についての説明をして頂きます」
唐沢からの命を受けた都築は、ざっと、曽根川流域とダム建設との関連性を述べると、後は桜井に引き継ぎ、工事に入る前の事前調査、工事の規模などについて説明させる。
桜井の説明が始まってから5分後、村民の一人の携帯が鳴り、そのまま通話を始めてしまう。
国土交通省側の一人、寺田が
「ちょっと、あなた、失礼でしょう。電話を使うなら、部屋から出て下さいよ」
と言うと、当事者ではない誰かが
「なんだよ、その言い方。
そっちが頭下げて頼むって言う主旨の集まりじゃないのか?」
と、訳のわからない事を言い出し、議場は騒然となる。
都築は、一連の流れを一人、後方から見て「まずい事になったな」と考えた。
結局、こうなれば長居は無用と思い、スタスタと前に出ると、桜井に奥に引っ込むよう合図を送った。
「皆様、私、先程、御紹介に預りました防災対策課の都築でございます。
この度はうちの職員の言動で皆様を不快にさせてしまい、誠に申し訳ございませんでした。
本人には後ほど、厳重注意し、説明会は後日改めて開催致しますので、どうかお許し下さい」
都築は、そう言い、30秒もの間、頭を下げ続けた。
このとっさの応急措置で場は丸く収まり、村民達は、肩透かしを食らったような表情を見せながら、引きあげていった。
その後、防災対策課の職員達は、水魂教幹部に案内され、奥の応接室に移動する。教祖に次ぐ位置にいるとされる唐沢が、都築に
「先程は、一人の村人の不作法で多大なご迷惑をおかけし、お詫びのしようもありません。
初っ端から、あれではさぞかし嫌気が差したのではないですか?」
と、居たたまれない表情で言う。
それを受け、都築に代わり、桜井が
「今日の様な事は、日常茶飯事ですのでどうかご心配なく。
それと、今日お渡しするはずだった資料なんですが、見ておいて頂けますか?」
と言い、資料を渡す。
桜井は、引き続き、今日論じるはずだった議題のポイントを挙げ手短に説明する。
「今の説明ですと、事前調査で曽根川流域がダム建設に適さないとなった場合には工事自体中止になる、という事で宜しいですか?」
「えぇ、地形、地質などは大変重要な事項ですので、これで躓けばこの話は無かった事になります」
幹部らは、やや色めき立ち「それなら、さっさと調査をやってもらった方がいい」などと、言い始める。
水上右近は、そこに一石を投ずるかのように
「逆に地質調査で問題ないとなった時、どのような工程で工事が進んで行くのか教えてもらいたい。又、反対意見がどれ位であれば、計画が破棄されるのかも、お教え下さい」
と言い放ち、防災対策課の面々は、この地においてのダム建設が一筋縄ではいかない事を改めて思い知らされた。
帰途に就く列車内では、水上家での出来事もあり、誰も彼もが押し黙っていた。実際、二時間と言う時間は沈思黙考には最適で、列車が東京駅に着くと、そこで解散となった。
一週間後、都築らは再度S村を目指した。
今回は、寺田に細々とした裏方仕事を回し、村民との折衝を桜井と風間で行く事にする。
一行は指定時刻五分前に、水上家に着き、やはり水上真梨の案内で中に入る。
広間に通されると、そこには前回同様、真剣な表情の村民達が座って待っており、教団幹部の簡単な挨拶の後、都築が前回の件での詫びを入れた。
村民達は一様に都築の詫びに無関心で、寧ろ、直ちに説明会に入ってもらいたいというように映った。
桜井と風間が交互に、ダム建設の目的、工程、期間、費用、切り崩す予定の土地などについて説明していく。
「繰り返しになりますが、実際のダム工事に入る前、地元の皆様への説明とお願い、関係機関との調整、地権者との話し合い、用地補償、及び付け替え道路の建設といった事が必要となってきます」
桜井は終盤でそう述べると、今回は荒れる事なく済みそうだと確信した。
質疑応答に移ると、陶芸家のような出で立ちの男が我先に挙手し
「結局、心配なのは村にどんな連中が入ってくるのかって事なんですよ。
工事で出入りする全ての人間の身元確認を抜かりなく、やってほしいです」
と述べる。寺田は
「村に出入りする人間には、身元を保証するものを必ず提出させます」
と答え、警備員を常駐させる事も視野に入れた。
自身が村の青年団の一員であると前置きした男は
「今までの説明で大体の事はわかったんですけど、いい事だけ聞かされてもね。デメリットとか、聞いてもいいですか?」
と聞く。これを受け都築が
「大変重要な点を突いた質問だと思います。
ダム建設に付随するデメリットとして挙げられますのは、河川に隣接する山林において広範囲な規模での森林伐採が行われる為、その森林で食い止められていたはずの豪雨災害が発生する恐れがあります。
又、河川を分断して流れを変える事により、河川生態系の変化が起こり、それまであった自然の景観が損なわれます」
と説明する。一同は、一斉に動揺の表情を浮かべるも、包み隠さず述べられた事に関しては取り敢えず「良い」と評価したようだった。
そんな中、赤ん坊をおんぶ紐で背中に括り付けた母親が
「地滑りの影響はどうなんでしょう。
自然の物に、人工的に手を加えたりすると、土砂崩れとかが、起こりやすくなるんじゃないですか?」
と、正に、防災対策課にとって痛いところを突いてくる。
ここで、うろたえてしまっては元も子もないと考えた都築は
「ごもっともでございます。
私共は、そうした事に万全の注意を払い、事前に、地質学の権威にリサーチを依頼した上で、やってまいります」
と答えた。
無事に説明会を終えた河川防災対策課の五人は、会終了後、予定通り、岐阜に出て、列車を使い帰路につく。
東京駅に着くと、そこで解散となったが、都築と柏木は行き先が同じ横浜方面という事もあり、同じ列車に乗り合わせた。
都築は土産物を頭上の棚に乗せると、隣に立つ柏木に
「今日、二回目の説明会、君はどう感じた?」
と聞く。
「そうですね。前回は思わぬアクシデントに見舞われましたけど、今回は割と手ごたえがあったように思います」
「次回からは君も村の人達との質疑応答に加わってみようか」
柏木は漸く自分もこのチームの一員として認められたと思い
「はい。頑張ります」と笑顔を見せた。
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