赤い髪の男

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赤い髪の男

 同僚たちの食事の誘いを断りはしたが、カヌスもその実、同僚たちと同じ様に、真っ直ぐ帰るだけの帰路を少し逸れて、王都近くの街へと立ち寄っていた。    ストレス発散のために、カヌスが好んで食べる飴を買うためだ。  カヌスの住んでいる郊外の一角はスラム化が進んでおり、現在、店がいくつも閉店に追い込まれている。そのため、食料を買い足すには、少し離れた街へと赴く必要があった。  とはいえ、めったに来ない夜の街の明るさと賑やかさは、後ろ暗い仕事をしているカヌスにとっては異世界の様相にも似て心が踊る。  高揚ついでに居酒屋などに立ち寄りたくもなるが、カヌスは酒が飲めないため、外から賑やかな店内を眺めながらニヤニヤするくらいで充分楽しかった。 「…ん?」  ところが今日は、街に足を踏み入れたときから、街全体がなにやら不思議な違和感に覆われているように感じられた。  どうにも背筋がムズムズする。 (…気のせい、なのかな、)  カヌスはいつもよりもキョロキョロ辺りを見渡しながら、目当ての飴屋を探していた。  だがなぜか、何度も通っているはずなのに、今日はどうしても目的地にたどり着けない。 「…あれ? この辺にこんな店あったっけ?」  そんな、あちらこちらの軒先を眺めながら歩いていたカヌスは、ふと、一件の見慣れない佇まいの店を見つけて足を止めた。 「何屋なんだろ、…花屋? ではないな、…なんだろ、」  煌々と光の漏れる大衆食堂や居酒屋などがひしめく一角で、そこは、全貌が把握できないほど青々とした蔦で覆われていた。 「………?」  恐る恐る入り口の木製の扉に近づいてみた。扉には菱形のガラス窓があしらわれている。そこから中を覗いてみるが、店内は間接照明が設置されているらしく、薄暗くて詳細まではよく見えない。   「…営業してんのかな?」  薄暗くはあるが、ここはバーなどの艶めいた雰囲気はない。しかし、不思議と薄気味悪さは感じなかった。 「……?」  改めて店の外観に目をやる。 (なんだろう、不思議、)    生い茂るこの蔦は、何かを守ろうと枝葉を伸ばしているようにさえ見えて、カヌスは思わず見入ってしまった。 「…すごいな、」  カヌスの灰色の瞳に柔らかな笑みが宿る。  (…羨ましい)  ここはまるで店そのものが、大地に抱かれているかのようだった。それは同時に、大地に愛されているかのようでもあった。 「…いいなぁ、」  ふと、カヌスの胸に去来したのは、あたたかな羨望。  途端にカヌスはこの得体のしれない店に足を踏み入れたい衝動に駆られた。  何かに導かれるように、自然と扉のノブに手をかける。そしてゆっくりと扉を開きかけたその時、 「ここに入るんですか?」 「!」  意図せず不意に背後から声をかけられて、カヌスは飛び上がるほどに驚いた。  慌てて扉のノブから手を離し、声の方へと振り返る。 「……っ」    そこに立っていたのは、背の高い、赤い髪をした見知らぬ若い男。男は、精悍な顔つきに似つかわしくない作り笑いでこちらを見下ろしていた。 (…だれ、)  細身のパンツに半袖のTシャツというラフな格好ではあったが、男は妙に姿勢がよかった。 (…この人、)  その凛とした佇まいから、この男が、普通の男ではないことは容易にわかった。 (…軍人、…?)  思わずカヌスの眉根が寄る。  カヌスは無意識に、防護服の入った鞄を自身の身体の後ろに隠した。 「………」  だが赤髪の男は、そんなカヌスの行動に一瞥をくれただけで、 「入らないんですか?」  整った顔に作り笑いを張り付けたまま、執拗に店内へと誘おうと促した。 「…ええ、まあ、…今日は忙しいんで、」  先程までは確かに入店する気満々だった。しかしそれを人に見つかると、途端に入りたい気持ちが萎んで消えた。  カヌスは、白々しい言い訳を残しつつゆっくりと店から足を遠のかせた。  しかし、 「でも、ここには美味い飴、ありますよ?」 「……え、」 「飴、買いにきたんでしょ?」  赤い髪の男は変わらずニヤニヤと笑う。 (…どうしてそれを、)  色濃い不信感がカヌスの灰色の瞳を曇らせた。カヌスは訝しそうに、眉間のシワを深くする。 (この人、なんなの…)  同時に、この赤い髪の男への言い知れぬ畏怖が心を埋め尽くした。  カヌスの背中に一筋、冷たい汗が滲んで消えた。 「…私、飴なんて買いに来ていませんから。」  誤魔化すように笑ってみたが、それが笑みだと理解されたかは、自信がなかった。 「…すいません、私、急いでいるんで、」  そう言いながら、男に背を見せることなく、カヌスは逃げるように赤い髪の男の傍らを通り過ぎて駆け出した。      *  *  * 「はあ、はあ、はあ、はあ、」  自宅の玄関扉を固く閉めて鍵をかけ、扉を背にして荒い呼吸を整える。  カヌスは、あれからどうやって家まで帰ってきたのか覚えていない。  ただあの赤い髪の男から、我武者羅に走って逃げたことは間違いなかった。
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