月夜に揺らぐ

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月夜に揺らぐ

 案の定、あの小さな人影は、赤い髪の男だったようだ。  目を閉じていても、こちらに向かってきているのが気配でわかる。  下弦の月の光のもと、舗装されていない土の道を、ツカツカとブーツを鳴らしながら歩み寄ってきている。  恐る恐る目を開けると、暗がりの中、赤い髪の男はもうすぐそこまでやってきていた。 (これは、…逃げないとっ)  ヒヤヒヤしながら一歩一歩と後退するカヌス。  しかし赤い髪の男はずんずんと距離を詰めてくる。  そして、 「アンタがあの店で受け取ったそれ、譲ってもらえませんか?」  声が届く程近くに来るや否や、赤い髪の男は身を低くして、獣のようにカヌスの持つ紙袋を奪おうと手を伸ばしてきた。 「うわっ!」 (なんなんだ!?)  突然のことに驚き、身を翻すとカヌスは紙袋を抱えて赤い髪の男から距離を取るように駆け出した。 (なに? なに? なんで?)  以前とは違い、赤い髪の男は、にわかに焦燥感にかられているようだった。 (…なんで、)  赤い髪の男の精悍な顔からは、余裕のあるあの作り笑いが消えていた。 (…どうして、)  カヌスの帰路は、街灯もなく、次第次第に一寸先さえ見えにくくなる。  そんな、よく見知った暗がりの道を、紙袋を抱えて懸命に逃げた。  しかし、 「うあっ!」  身体能力の差には勝てず、カヌスはあっさりと男に腕を捕まれた。そのまま男の方へと強引に引っ張られる。カヌスはよろめいた。 「ちょっ、ちょっと、なに、なんなの!」 「いいから、あいつから受け取った種を出せって言ってんだよ!」 「はあ?」  赤い髪の男と向き合う形となって、カヌスは改めてこの男の赤い瞳を見た。  夜の闇に紛れていながら、男の瞳は炎のように赤く煌めく。だがそんな力強さが、今は確かに揺らいでいた。   (……この人、)  赤い瞳からも、眉間の深いしわからも、男の焦りが伝わってくる。  反比例するように、カヌスの心は冷静さを取り戻しつつあった。 「離して。わかったから。渡すから、とりあえず腕を離して」  カヌスは真っ直ぐに赤い髪の男の目を見据えて、静かに言う。 (とにかくこの人に落ち着いてもらわないと、)  冷や汗が額にも背中にも滲むが、カヌスは努めて表情を殺したまま、はっきりとした声でもう一度言った。 「あなたに渡すから」 「……。わりぃ」  カヌスの冷静な声に、赤い髪の男はバツが悪そうに俯いた。そしてカヌスの腕を強く掴んでいた手を離す。 「………」  カヌスの腕には、にわかに男の手の跡がついていた。  跡を消そうと、腕を軽く振った後、カヌスは小さく息を一つ吐き捨てて、紙袋に手を突っ込んだ。 「…これですか、」  そしてつまみ上げたくすんだ色の種を、男の前へと差し出した。 「! なっ」  しかし、その種を見た瞬間、男は、驚きを隠せない様子で声にならない声をあげた。  その声にカヌスもびくりと驚く。  間髪入れずに男は早口で聞いた。 「アンタこれは最初から芽が出てたのか!?」  その声は、にわかに上擦っていた。 「え?」  男の指摘に、カヌスは改めて摘まんでいた種をまじまじと見つめた。 (………?)  暗がりで見えにくくはある。だが、言われてみれば確かに、種の先っぽが少し割れて、薄い緑色の芽のような何かが顔を出しつつあった。 「あ、ホントだ。この種、生きてたんだ」  カヌスは種を頭上の月明かりに照らし、呑気に言った。 「まあいっか、…はい、どうぞ、」  芽が出ていたことに少しテンションが上がったカヌスは、うっすら笑って男へ向けて再び手を伸ばした。男は大きな手のひらを広げてそれを受け取る。 「……うそだろ、」  受け取りざま、小さく呟いた赤い髪の男の顔は血の気が引いたように青ざめており、種を乗せた大きな手はにわかに震えていた。 「……。もういいですよね、」  男の異変を意に介することなく、カヌスはそそくさと赤い髪の男の横を通りすぎようとした。 「待て!」 「!」  しかし赤い髪の男はすれ違いざま、カヌスの二の腕を再びむんずと掴んだ。 (えええええ)  カヌスは困惑を隠すことなく、腕を掴む赤い髪の男を見上げ、ぎょっとした。  男はいつもの作り笑いを忘れたように、月夜に照らされたその顔は表情を失っていた。だが、赤い瞳だけはより赤く、鈍く光る。  その光りは怒りに近い。  そんな赤い瞳を見ていると、カヌスは身体の芯が冷えるような思いに駆られた。 (…どうして、…種は渡したのに、) 「あのっ」  理不尽に抵抗しようと口を開きかけたとき、 「事情が変わった。アンタを連行する」  赤い髪の男は、ようやくいつもの様子でニヤリと笑った。 「はあああ?」  この男に翻弄され続けるカヌスの声は、月夜の静寂に飲み込まれてあっさりと消えていった。
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