記憶人形の魔術実験

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記憶人形の魔術実験

 私達は記憶人形の魔術の実験をする。  冬の澄んだ空気と柔らかな日光で満ちた森に魔女の家がある。ドアを開けると、薬草の苦い香りと、気が早い春の花の匂い。 「ようこそ賢者様。地下へどうぞ」  湯気で煙る地下の階段を下り大鍋に歩み寄る。スリットを翻す魔女の大股の歩みに私は早足で続く。  大鍋から漂うのはスパイスが溢れた甘ったるい香り。  魔女が鎌で大鍋をかきまぜる。とろみのある薄い土色が波を立てた。 「さあ、始めましょう」 魔女は大鍋の横の作業机から五つの札を出した。 「今回作るのは勇者の記憶人形でよろしい?」 「ええ」 「勇者と長年一緒にいた貴女の記憶から、人形を作ります」  私は勇者について語り出す。  勇者は城下町の小さな剣術道場で育てられた。実の子ではないが剣術の師範と親子のように暮らした。剣術の師範に連れられて魔法使いと一緒に修行する事が多かった。  姫が捕らえられた際、勇者は助けに行くと申し出る。彼と同時にたくさんの剣士が姫の救出に向かったが、魔法に対する戦いに長けていた勇者が最も強かった。  勇者と私を含む五人で魔王の城に向かう。姫の救出に成功し、勇者は姫と結婚して国を護る地位についている。  私は全て正しい事を話したのだが魔女の表情は変わらず、さらに話せといいたげである。 「それだけでは記憶人形は作れません」 「しかし……」 「賢者様は勇者をどう見ているのです?」 「何故それを話さなくてはならないのですか?」  魔女は五枚の札のうち、少し呪文を書いた紺の札と、まだ何も書いていない四枚の札を見せた。 「そのような誰でも知っている事だけでは記憶人形を作れないのです。貴女だからこそ知っている事が望ましい」  他が知らず、私が知る事とは。  魔女はまだ紺の札に何かを書き込んでいる。おそらく五枚の札全てに書き込まないと魔法は完成しない。まだ一枚目という事は、相当喋らなければならない。 「貴女と勇者の出会いは?」  城下町の外れの賢者の館に、当時十三歳の勇者とその師範が訪ねてきた。賢者は孫である私に勇者の稽古の相手になれと命じた。  私は稽古用の杖で、勇者は木製の剣で、週に三回戦った。彼は熱心で私にたくさんの質問をしてくれた。 「貴女は勇者をどう思っているのですか?」  魔女が少し笑い、銀のピアスが翻って輝いた。 「強くて優しいお方です」  私の紛れもない本心だ。勇者は陽だまりのように明るくて皆を惹きつける。勇者は優しいから姫を助けたいと望んだ。危険を顧みずに人を助けようとする人。 「勇者は優しいのですか」 「ええ。とても」 「貴女にとっても?」 「はい。私と稽古をする時、勇者はいつも一生懸命で熱心で、お土産に木苺のパイをくれた事もありました。本当に優しい人です」  私は賢者の地位を継ぐ者として毎日厳しい魔法の訓練を受けていた。友達と遊ぶ暇が無く私は寂しさを抱えていた。  単なる稽古相手なのに勇者は優しくて、いつも魔法の訓練ばかりで大変だねと私を労わってくれた。どうしてあなたはそんなに頑張れるのかと聞いた。 「辛い時は木苺のパイを食べる」 勇者は自分でも焼く程に木苺のパイが好きだった。食べきれない程焼いて、人に分ける事がよくあった。 「また食べたいな」 勇者の心のよりどころだと聞けば、私の中でも木苺のパイが特別になった。  ある夏、星空の下で勇者が持ってきた木苺のパイと私が淹れたお茶を飲みながら二人で話した。時折聞こえる虫の声以外はとても静かで世界に二人きりみたいだった。  大人とは話せない事をたくさん話して笑った。私の祖父を厳しすぎると言ってくれた勇者に、救われる思いがした。 「いつか大切な人を守りたいから修行してるよ」 星と月の灯りで勇者がわずかに頬を染めていると分かり、私は秘密を覗き見ているような胸騒ぎがした。勇者は照れを隠すようにもっとあげるよと木苺のパイの半分を私に寄越した。 「私もいつか、大切な人の助けになりたい……」 祖父に言いつけられるままだった魔法の訓練が、私の生きがいに変わった夜だった。  私の話に魔女が満足そうに口角を上げて紺の札を書き終えた。赤の札に筆を滑らせ始める。頷く魔女は先ほどまでと違い楽しそうである。 「これ以上、何を話せばいいか分からないのですが?」 「では、貴女が勇者と出会った時にどう思ったかを」  勇者の記憶人形を作るのに、どうして私の話をするのか分からないが、魔女の魔力の動き具合を見れば必要不可欠のようである。  十五歳で勇者と出会った私は母の御下がりの古いローブを着ていた。勇者の方はきちんとした剣術の道着姿だった。私は恥じらいのような感情を抱いた。祖父と剣術師範が勝手に私達の修行の取り決めを交わす中、勇者は私に軽やかな笑みを向けた。 「このオーブンいいね。おいしいパイが焼けそう」 「そう……?」 魔法薬ばかり作っていたオーブンだ。お菓子作りの発想がなかった私は戸惑った。勇者はにこりと笑った。 「これからよろしくね。俺は強くならなきゃいけないんだ」 勇者は先を見ている。力を得た後にどのように使うかという夢を持っている。  私はただ言われるままに力を強めていただけ。私はこの魔法の力をどう使えばいいのだろうと生まれて初めて考えたのだった。  魔女が札を選びながら私を横目で見る。まだ語れと。  勇者は強くなるためにがむしゃらだった。賢者の館を訪れ魔法の才が無いと言われると諦める人が多いのに、勇者は剣術を活かすための最低限の魔法だけは教えて欲しいと私の祖父にしがみついた。祖父は簡単に勇者を振り払った。  勇者が私を見つめた。祖父が駄目なら私にと。 「お願いだ。一番簡単なのだけでも教えてくれないか。どうしても剣が使えない時があるだろ?」 勇者に何度も説得され、ついに折れた私は最低限の魔法を教える事にした。 「その時の勇者の様子は?」 魔女がさらに深く記憶を見ろと促す。  勇者は私の腕を揺さぶり、肩を揺さぶる程の大胆さだった。それ程までに切羽詰まっていた。私を何度も頼った。 「お願い。ヒストリアだけが頼りだから」 そうだ、あの時に私の名を呼んだのだ。賢者の孫であるため人から名を呼ばれる事などなかった。私の名を呼ぶ勇者は本当に一生懸命だった。  魔法を教えると頷いた私の手を勢いよく握った。温かい手だった。  私が教えたのは氷魔法だ。氷魔法も極めれば難しいが初歩の初歩なら他の魔法よりはいいと考えた。 「炎や水、雷の魔法は何も無い所からそれらを生み出す必要がある。でも氷の初歩なら水を凍らせたり、魔物の体内の水分を冷やしたりできる。どうかな?」  勇者に何の魔法がいいか、三日三晩必死に考えた。本当に寝不足でぼんやりしていた。 「ありがとう! それを教えて」 私は本当に悩んで考えたのに、勇者はすぐにそれを飲み込んでくれた。嬉しそうに笑う頬の赤みを今でも覚えている。  他の人なら一か月で覚える冷やすだけの魔法を勇者は三か月もかけてようやく習得した。魔法は元からできる人だけが学ぼうとするものだ。こんなに熱く努力した魔法使いはいない。 「頑張ったね」 つい、二つしか違わないのに彼を褒めてしまった。生意気な事を言ったかと不安になったが勇者は怒らないでいてくれた。 「ヒストリアが一生懸命に教えてくれたから」 どうしてこの人はこんなにまっすぐなのと、私は大きな物に触れた気がした。 「時間はかかったけど、使えるようになったら関係ない!」 勇者は楽しそうに水たまりを凍らせた。  賢者の跡を継ぐと言われたままに考えていた。魔法への愛も無かった。水たまりを凍らせる彼を幼稚だと以前の私なら切り捨てていたのにどうして。水たまりに張った薄氷を好奇心に満ちた瞳で見つめる彼が私を熱くした。  私の指が熱を持ち、氷を溶かす。すると彼がまた凍らせる。彼の中で、物事には意味があった。できるかできないかだけでなく、できる事を喜ぶ心があった。  水たまりに氷が浮かぶ。勇者が夢中に水面を見つめている。私はその熱い瞳に釘付けになっていた。  剣と魔法の稽古の日々は私にとって安らぎだった。強くなるだけでなく、強くなる事で未来を作るのが彼だ。私は彼の隣にいる。そうすれば私も未来を作る事ができるのだ。  魔王が姫を捕らえたと国に知らせがいきわたった。ついに……と国民が俯いた。先代の魔王は魔族でありながら器のある人物で、私達の国とそれなりに友好な関係を築いていた。  先代の魔王は、私達の王国の王位継承権の無い王族を留学させる事で二国の安寧を保っていた。実質的な人質ではあるものの、留学の名前通りに魔族の魔術の初歩を教えていた。  姫が留学中に先代魔王が亡くなられた。虎視眈々とその時を待っていた王子は即位と同時に姫を人質にし、戦争か服従かの二択を迫った。  当然、戦争は避けるが服従するわけにもいかない。そこで姫を救出する小隊をいくつか送り込むという無謀な作戦を取った。  勇者は迷いなく志願した。はっきり言って私は嫌だった。 「危ないじゃない」 「今まで俺に稽古を付けてくれたのはヒストリアだろ」  勇者と一緒に修行する日々こそが私の愛する物だった。魔法を学ぶ事、勇者と共にいる事そのものに意味を見出した。でも勇者は成したい事のために私から学んでいた。最初から相いれないのだ。 「私も連れて行ってよ」 相いれない二人だが、せめて最後まで一緒がいいのだ。 「ヒストリアは賢者の跡を継ぐ必要がある」 「どうしてそんな事言うの?」  私だって勇者を心配しているのにと腹が立った。  魔女の筆が三枚目の札に向かう。 「それだけ?」  魔女のたれ目が鋭く光り、私は薄く笑った。
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