記憶人形の魔術実験

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 賢者の跡を継ぐと全て受け入れて何も感じず生きてきた。そのような私に、何かをするために何かをできるようになるという希望をくれたのが勇者だった。  それなのに賢者を継ぐ必要があると言われたから腹が立ったのだ。貴方がそれを言うなどと。  勇者は私を置いて一人で旅立った。私が彼の上着のポケットに入れたお守りにも気付かずに。  一か月後。勇者がぼろぼろの姿で戻ってきた。 「ヒストリア、ごめん」 誰もが勇者を心配する中、彼は真っ先に私に駆け寄る。  勇者が壊れたお守りを見せる。 「俺はまだ弱い……」 勇者が堪え切れず泣く。私の手を握り、私を見つめる。  私を見て泣くこの人に、私にできる事はなんだろう。  魔物に殺されかけて戻って来たのはどうしてだろう。旅を諦めたいのだろうか。いや違う。勇者はそれ程弱くない。 「しっかりしてよ」 私の言葉に頷き、勇者は顔を上げた。涙の跡が濃い顔だが、私を射抜くように見つめた。 「本当は俺だけでも姫を救える力がなくてはならないんだ」 軽く息を整えて、勇者は拳を握った。 「俺は姫を救いたい」 泣いて赤い瞳。私は射抜かれた。 「ヒストリア。強いきみの力を貸して欲しい」 勇者が目元を乱暴に拭った。 「俺は酷いけど、それでも姫を救わなければならないから……」 私の心に、小さな波紋ができた。 「私の力が必要なの?」 歯を食いしばり唇を結び、勇者は大きく頷く。泣きそうな瞳は必死だった。 「分かった」  姫を助けに行くまで、順調に進んでも一年程かかる。その間、私は勇者と一緒にいられる。  二人で姫を助けると決意して旅立った。彼の剣術と私の魔法で、たくさんの苦労はあれど少しずつ力を付けていった。  たくさんの人と出会い、私達に力を貸すと、三人の仲間が増えて五人の旅になった。  姫が魔王に寝返ったと知らされたのは突然だった。姫救出に向かった小隊の中で最も魔王の元へ近づいていたのは私達だった。救出ではなく討伐せよと命令が下った。 「泣かないで」 小隊はふさぎ込む勇者を心配し、少し休もうという戦士の提案で村の宿に留まった。いつも厳しい顔の弓使いもこの時ばかりは勇者を慰めた。獣人も勇者の好きなごちそうを作って励まそうとした。  獣人に好物を聞かれた勇者が木苺のパイだと決して言わない事が気にかかった。  星をぼんやり見つめる勇者の隣にそっと座ると、勇者は弱弱しいが笑みを向けてくれた。 「私は何があっても貴方を裏切らないのに」 勇者の心に寄り添いたい余り、少し強い口調になってしまった。するといつもの笑顔を見せてくれた。 「ありがとう」 旅だってから、こうして二人だけで話すのは久しぶりだった。  勇者の寂しそうな背に触れられたらと思ったのに、できなかった。一時間程じっとしていたが、どうしてか私は勇者の肩にも触れられない。勇者が立ち上がって今まで通りの笑顔を見せた。  勇者が少しは元気になれて嬉しいと思ったのに、私は何か違う物も同時に思っていた。    鍋が沸騰し、大きな泡がはじけた。  私の記憶が蘇る。  魔王から教わった魔術を使い、姫が魔族の傷を手当てしたとの情報があった。だが姫は同時に人間も助けたという。姫の真実について国の意見が割れた。  姫がどのような人か私は知らない。  既に何人かの魔族とやり合っていたが、全ての魔族が悪とは限らないと小隊で言い合っていた。ならばそれに付く姫も悪だと限らない。  姫の行動には意味があると勇者は言い切った。弓使いは疑った方がいいと心配したが、戦士と獣人は勇者に同意した。 「ヒストリアはどう思う?」 勇者が最も意見を求めるのはいつも私だった。それは嬉しいのだが、その時の私は何も言えなかった。  私は姫をそれ程疑っていたわけではない。ただ、勇者が姫に入れ込む事が気になったのだ。  最後の出撃だ、その前に景気付けだと戦士が言い、宿屋で飲む事にした。弓使いに酒のつまみを作れと言われた獣人と勇者が宿屋の主人を手伝う。  勇者が作ったのは木苺のパイだった。酒に合わないと弓使いは言ったがなんだかんだで残さず食べていた。  木苺のパイかと、私は不思議と寂しさを覚えた。  私達は魔族の国に到達した。国境の魔族との戦いを覚悟したが、彼らは魔王の圧政に異を唱える立場だった。いくら同族と言えど悪政は許せないと、彼らは私達に協力した。  その手助けを借りつつ、私達は魔族の少数民族の村の隠れ家に滞在させて貰った。  村の外に姫らしき人間がいると聞き、勇者が慌てて走り出す。  やはり勇者は姫を気にしている。  ずっと一緒に旅してきた私達より姫を優先するなんておかしい。いつもそうだ。だが戦士も弓使いも獣人も、勇者から一歩引いた様子で見守るだけなのだ。  倒れている姫に寄り添う勇者。勇者の冷静な態度に私は安堵したが、そうではなかった。勇者の手が姫の額にある。まさか、と気分が悪くなる。 「レオ……。あなた、どうしてここに」 姫が勇者の名を知っている。 「助けに来たに決まっているだろ」 勇者が姫をじっと見つめている。その瞳は見た事がある。  大切な人を守りたいと二人で語り合った夏の夜。私が教えた氷魔法を夢中で使う勇者の瞳。 「ヒストリア?」 勇者が私を見て、ぎくりとした顔になる。その顔は一体? 「姫を皆の元へ連れていきましょう。一応、疑う者もいるから二人きりは駄目よ」 私は勇者に聞きたいことがあるけれど、今は勇者の御供として正しい事を言う。姫の手を握る勇者の手が優しい。 「信じられるよ」 「疑っていないけど、一応だってば!」 私の語気の粗さに私が驚く。私は疑っていない。何も知らず姫を疑う人達と私を一緒にされるのは嫌だ。 「俺と姫は前からの知り合いなんだ」 姫はぐったりと地面に倒れ、額に当てられた勇者の手に気づいていない。 「どんな事をしても生き残ろうと姫と約束していた」 勇者がまっすぐ私を見つめた。強く、私の全てを惹きつける。 「酷い事をしても生き残ると決めた」 「酷い事?」 「姫は悪い事はしていない」 勇者が目覚めない姫を起こし、横抱きにする。  何か、私と勇者の間に分からない物がある気がしている。 「皆の元に姫を連れて行く。姫には起きてもらわないと」 「起きたらどうするの?」 「もちろん、魔王の事を聞くよ。魔王に不満を持つ側近と手を組んで魔王に従う振りをして魔力の一部を盗んだらしいけど、本当に盗めたか、怪しいらしい」  敵の魔力を盗む方法はある。先代の魔王が得意とした魔術だ。姫は先代の魔王に目をかけられてよく教わっていたと聞く。  宿に戻り小隊に姫を会わせた。 「おいおい。本当にこんな所まで来ていたのか」 戦士が髭を撫でながら眠ったままの姫に驚く。弓使いと獣人も。 「裏切ったと見せかけて魔力を奪うなんて。姫なのに度胸がある」 確かにそれは否めない。 「ヒストリア。姫の具合はどうだ?」 「いつ目覚めるかは分からないよ」 「姫の中に魔王の魔力があるかだけでも分からないか?」 別に私は姫の事を疑っていない。それなのに、何か、私達に隔てる物がある。 「頼むヒストリア」 勇者が私に懇願する顔になる。わざわざその顔にならなくてもいいのに。  姫の魔力を見ると、魔術の才能は並だった。それなのに高度な魔術を習得したのだから、先代の魔王が気に入るのも無理ない。  勇気があり、努力家。似ているではないか。誰に似ているかなんて、笑えてしまう。  少しとはいえ、魔王の魔力がある。 「魔王の魔力はほんの少ししか盗めていない。これじゃあ魔王にダメージも与えていないし、私が取り出す事もできない量よ。作戦は失敗なんじゃないかしら」  勇者を初め、その場の全員が明るい顔になった。 「やっぱり、裏切っていなかったという事か」 勇者が安心したように微笑んだ。  姫の作戦は失敗しているのに、どうして私は姫を憎めないのか。  これからどう動くか作戦を練りつつ、少数民族の魔族に協力を願うためにその酒場に留まった。  酒場に戻ると姫が目覚めているのが入り口から見えた。酒場のカウチに寝転び、赤い顔で何かを見上げている。私は入口から入るのをやめて、勝手口に回る。 「大丈夫?」 勇者の声だけが聞こえる。私は音を立てない程度にだが足を速めた。 「冷たい……」 姫が口にした事が気になり、私は魔力の流れを建物越しに見た。  熱のある姫の額を勇者が氷魔法で冷やしている。  汚い感情なのだろうか。私は勝手口の隙間からちょうどよく二人を覗ける位置を見つけて盗み見た。  姫の額や手を冷やす。おそらく魔王の強大な魔力を微量ながらも盗んだせいで熱が出ている。  高度な氷魔法で姫の内側の熱を冷やせば魔王の魔力とぶつかり合い悪影響があっただろう。  だが勇者の氷魔法は些細な物で、氷嚢を肌に乗せているようなものだ。  水たまりを凍らせる程度の魔力。  私が教えた。  勇者は優しいから姫の苦しみを癒しているのだ。  勇者は優しいから。  魔女が五枚の札に呪文を書き終えて鍋に入れた。しばらく混ぜているととろみのあった液体が固体に変わっていく。 「そろそろ完成します」 「この人形は勇者と同じくらい強いのですか」 「ええ。剣術と魔法を組み合わせた戦法の研究に役立つでしょう」  勇者のように剣術と魔法を組み合わられる者が少ないので、勇者と似たような強さを持つ人形を作るのが今回の目的だ。  鍋の中身が完全に固まった。 「今から取り出します」 魔女が鎌で鍋の真ん中を叩くと、鎌に塊が刺さる。 「ちょっと戯れを試していいでしょうか?」 「戯れ?」 「本当は、勇者は私を愛していたのです」  魔女が驚いた顔をする。そして鎌に刺さった塊が床に落ち、勇者の形になる。泥が完璧に姿を変えて勇者になった。  勇者が動き、にっこりと私のよく知る笑みを浮かべた。 「ヒストリア。また会えて嬉しいよ」  私のよく知る勇者の微笑みだ。  ただし、本来は姫に向ける笑みである。  魔女は驚いている。 「正確な記憶人形を作れるようになるのは、まだまだ先かもしれません」 「なるほど。精進致します」  私は記憶人形の勇者を連れ帰った。
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