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記憶人形の勇者
賢者の館で剣術と魔法を融合させる研究が日夜行われている。
祖父を凌ぐ賢者になったと言われる事もあるが、私には誰にも言えない事がある。
記憶人形と共に過ごしている。
「ずっとヒストリアの事が好きだったんだよ」
「ええ。私も。ずっと……」
なんて楽しい。
勇者が私を抱き締めるなんて。
「明日は木苺のパイを焼こうと思うんだ。ヒストリアも食べるだろ?」
「ええ。一緒に焼きましょう?」
久しぶりに稽古が休みの日。
暖かい春に包まれた二人は、庭いっぱいの木苺からパイにする分だけを摘んだ。
私が他の支度をしている間、記憶人形はずっとオーブンの中を見ている。
おいしそうな匂いが遠い記憶を蘇らせる。
夏の夜に勇者が焼いた木苺のパイを二人で食べて愛を語っていた。
語っていたのはあくまで愛であり、互いを語っていたとは限らないのだ。
ずっとずっと、修行していたのだから魔女の魔術だって一捻りできてしまう。
「姫の事が好きなの?」
記憶人形の笑顔には一つの嘘も無い。
「なんとも思っていないに決まっているだろ?」
つい、くすっと笑ってしまいながらできあがったパイを切り分ける。
本当は戦士とも弓使いとも獣人とも分け合える量だ。だけど彼らは真実も運んでくる。
魔族の村の外れで倒れている姫と勇者。
当時は意味が分からなかったが今思い出せばよく分かる。
どんな事をしても生き残らなければ、姫を救えない。
自分の力では及ばない事もあると勇者はよく知っていた。
酷い事をしても生き残ると、私にまっすぐで純粋な瞳を向けた勇者。
彼は確かに私を見ていた。
私だって分かっている。
勇者の想いが私にもあるという事を。
胸一杯の感謝と、罪悪感。
「焼けたよ」
記憶人形がパイができたと私を呼ぶ。二人でお茶を淹れて向き合った。
勇者は姫を想う熱を私に隠さなかった。
真実を知らなければ、その記憶だけを映せば、熱を帯びた瞳で私を見ていたという事実はあるのだ。
「私の事愛してる?」
ティーカップを置いて、私を見つめる。外側の再現。
「もちろん」
締め切った春の館で何度もそれを確かめていた。
私はパイの残りを食べながら研究を続ける。
「やはり、記憶人形の魔術は完成しないわね」
パイを一切れ食べ終えた。
研究のノートの隅にいたずら書きみたいに勇者の子供の名前の案を書いている。
このパイを食べ終えたら二人を祝福に行く。
「ヒストリア?」
記憶人形が私を気遣い、起きてくれた。
「今行くわ」
パイを食べ終えるまではこのままで。
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