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アダムの命を受けた兵士が地下の牢屋に到着すると、牢番はシャーロットの囚えられている牢の前まで彼を案内した。
ガチャガチャと金属の擦れる音にシャーロットが顔を上げると、兵士は“出ろ”と冷たく言い放った。
冷えきった身体で長時間縮こまるようにじっとしていたためか、立ち上がろうと少し腰を浮かせただけなのに、骨は軋むように痛んだ。
牢から出ると、鎖のついた重く冷たい鉄の手枷をはめられた。
兵士はまるで家畜を扱うような無遠慮さでそれを引き、シャーロットを引っ張った。
細く柔らかな手首に枷は容赦なく食い込む。
行き先は告げられなかった。
シャーロットはぎこちない足取りで、振り返りもせずどんどんと進んでいく兵士に必死でついていくしかない。
息を切らしながら見慣れた場所をいくつも通り過ぎ、ようやく着いた先は父の執務室だった。
もしかして、父と面会をさせてくれるのだろうか。
部屋の前に立っていた兵士が中に呼びかけると、返ってきたのは低く響くアダムの声。
昨日の光景が蘇り、シャーロットの足がすくむ。
部屋の中にはアダム一人だった。長椅子に座り、彼は背もたれに肘をつきながら怒気をはらんだ目でこちらを見ていた。
アダムは兵士を部屋の外に下がらせた。
主をなくした鎖がじゃらりと音を立てて床に垂れ下がる。
「跪け」
侵略された側の人間がどのように扱われるのかくらい、シャーロットだって知っている。
ノアのそばに行くために、エリザの身代わりになると決めたのは自分だ。
当然これくらいのことは覚悟していた。
しかし自分を捕虜として蔑んだ目で見る人間が、ノアにそっくりな容姿を持っているというだけで、こんなにもつらく悲しい気持ちになるなんて。
初めてアダムの姿を見た時は、気が動転していたせいもあって“ノアに似ている”とは思ったが、まさかこれほどだなんて。
不意に目頭が熱くなる。
しかし繋がれた両手では、それを拭うことすらできなかった。
「どうした。今さら自分の悪行について後悔しているのか?それともまた芝居か?そんな安っぽい演技で俺は騙せないぞ」
銀色の髪も、透き通る金色の瞳も、なにもかもがノアと同じだ。
ノアが生きていてくれたなら、きっとこんな青年に成長していたことだろう。
早く終わらせてしまいたいと思う。
けれど、もう少しだけ懐かしいその色を見ていたいとも思ってしまう。
「人のものを欲しがり、ノアに色目を使った娼婦のような女め。ノアが死んだあとは姉を虐げ、民の血税で贅の限りを尽くした生活をしていたそうだな。王族としての公務も放ったらかしにして、気に入った男と日がな一日情事に耽り、逆らえば身分もなにもかも取り上げて城から放り出していたそうじゃないか」
アダムから浴びせられる言葉に耳を傾けると、その中にはシャーロットでさえ知らないことがたくさんあった。
きっと間諜を使い、憎き敵の情報を詳細に調べさせたのだろう。
(でも……彼には怒る権利があるわ……)
ノアは生前、兄アダムは自身のことをとても大切に思ってくれているのだと語っていた。
愛する弟を殺されたのだ。
彼が、この場にいない両親の分までエリザに怒りをぶつけるのは、至極当然のことだ。
「なぜ自分をシャーロットだと偽った。姉の命を身代わりに、自分だけ助かろうとでも思ったか」
やはり、自分は身代わりにされたのだ。
エリザの中に、肉親の情など存在しない。
自分さえ助かれば、シャーロットの命などどうでもいいのだ。
それはアダムの目から見ても明らかなのだと知り、妙に腑に落ちた。
アダムはシャーロットをエリザだと信じ込んでいる。
きっとなにを言っても無駄だろう。
「よほどあの牢屋がこたえたと見える。だが安心しろ。処刑の日が決まるまで、あそこがお前の部屋だ」
「え……」
「ははは、その顔。実にいい気味だ。贅沢好きの王女様にはさぞかしつらいことだろうな。俺はノアのように優しくはない。水も食事も与えてやりはしない。刑の執行までせいぜい死なないように頑張れよ」
死ぬことはもういい。
けれど、一度も部屋に戻してもらえないのだろうか。
最後の日まで、ノアと共に読んだ大好きな本に囲まれて過ごすことも許されないのだろうか。
その時シャーロットは、初めてアダムに向かって口を開いた。
「み、水も食事もいりません!ですがせめて、部屋に戻ることを許してはいただけないでしょうか」
「駄目だ」
「お願いします!あそこには大切なものが……どうか最後の日まで思い出と共に過ごす慈悲を私にください!」
「思い出とはなんだ。お前のことだ。どうせ民から搾り取った税金を注ぎ込んで得た宝石やドレスだろう」
「違います!……大切なものとはその……本なのです……。ではせめて、牢の中にその本を持ち込むことをお許しください!」
ノアの大好きだった鳥の図鑑。
中にはノアの書き残したメモも挟んである。
他の本にも二人の思い出はたくさん詰まっているが、あれだけはノアが一番気に入っていたものだから。
だがシャーロットの必死の訴えも虚しく、アダムは決して首を縦に振らなかった。
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