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プロローグ
彼が逝ってしまったのは、五年前の夏の盛りのことだった。
燦々と照りつける太陽の下、薔薇色に輝くシャーロットの金の髪を綺麗だと言ってくれた大切な友だちで、生まれて初めて好きになった人。
「……見て、ノア。今年も綺麗に咲いたでしょう?」
シャーロットは膝をつき、両手いっぱいに抱えた薔薇を小さな墓碑の前に供えた。
薔薇は、彼が一番好きだった花。
だからこの日のために供える薔薇は、育てるのがとても難しい花だけれど、自らの手で世話をしたものだけと決めている。
『王女が土いじりなんて……』と嫌味を言われても気にしない。どうせシャーロットがなにをしようと、この城には自分を気にかけてくれる人など誰もいないのだから。
「また来るわ……約束ね」
後ろ髪を引かれる思いでつるりとした冷たい墓碑の表面を優しく撫で、シャーロットは立ち上がる。
市街を俯瞰できる丘の上に建つオルレアンの王城。シャーロットの視線の向こうには、不気味なほどに赤く、闇の中に呑まれるように沈んでいく夕日が見える。
日が沈み切る直前、城門の跳ね橋を上げる合図の鐘が鳴る。門番が号令を上げた時だった。
(なに……?)
最初に目に入ってきたのは黒い点。だがそれは次第に数を増し、跳ね橋めがけて凄まじい速度で迫って来る。
市街から響いて来る甲高い声と、無数の蹄の音。
一体どこでどうやって身を潜めていたのか想像もつかないほどの大軍が、王城めがけ、一斉に駆けてくる。
「て、敵襲だーーーーー!!」
衛兵の声が響く。
だが気づくのが遅すぎたようだ。閉じ損ねた跳ね橋は呆気なく突破され、先頭を走る集団は脇目も振らず城内へと向かって行く。
鐘楼に上った衛兵が警鐘を叩くと、間を置かずして王宮からは人々の逃げ惑う声が響いてきた。
そしてその中に断末魔の声が混ざり始め、シャーロットの足がすくむ。
(……父上……エリザ……!!)
しかし王宮内にいる父と妹、そして長年仕えてくれている者たちの顔が脳裏に浮かぶ。
(行かなきゃ)
シャーロットは必死に己を鼓舞し、白く小さな両手でドレスの裾をたくし上げ、前へ向かって足を踏み出したのだった。
正面から突入してきた敵の目を避けるため、回り道をしてなんとかたどり着いた玉座の間。
しかしそこは既に敵の手に落ちていた。
扉の前には血を流して倒れるオルレアンの兵士。シャーロットの心臓が鼓動を激しくした。
「父上!!」
部屋に飛び込んだシャーロットの目に映ったのは、玉座の前で跪いた父と、その首元に剣を突きつけている黒い鎧を纏った騎士。
「っ……!」
騎士から放たれる恐ろしいまでの威圧感と殺気が、部屋全体を支配していた。シャーロットは思わず息を呑む。
「あ、あれがエリザですわ!」
玉座の近くから上がった声は妹のエリザの声。父に気を取られていたせいで気づかなかったが、妹はお気に入りの侍女であるマイラと護衛騎士のハンターと共に、兵士に見張られながら部屋の隅に座り込んでいた。だが彼女は今、シャーロットを自身の名前であるはずの“エリザ”と呼んだ。
わけがわからず、シャーロットはその場に立ちすくんだ。
「……お前が……」
父王に剣を突き付けている騎士の兜の奥から、低く、くぐもった声が聞こえて視線を移す。
騎士は、剣を持つ手はそのままに、片手で兜を脱ぎ捨てた。
現れたのは、白銀の髪と金色の瞳。まるで雪原に暮らす狼のような色をした青年だった。
「……ノア……!!」
恐怖を忘れ、思わず声が出た。
あまりにも青年は似ていた。シャーロットが今も忘れられない大切な人に。
「お前がノアを殺したエリザか」
騎士は鋭い眼光をシャーロットに向けた。
なぜノアの名前が出てくるのだろう。
(まさかこの者たちはエルミオンの……?)
「ノアを私が!?違います、私の名は……」
「そうですわ!その女がノアを殺したのです!私の妹のエリザが!ノアはわたくしの大切な友人だったのに!!」
シャーロットの言葉を遮り、本物のエリザが叫ぶ。
「そうです!あの方がノア様を殺したエリザ様です!!」
そしてマイラも。
騎士は父王に向けていた剣を下ろし、ゆっくりとシャーロットに向かって歩いてくる。
恐ろしいのに、騎士からいっときも目を離すことができない。
目の前まで来て足を止めた騎士は、今度はシャーロットの首元に剣先を突き付けた。
「俺は……弟を殺したお前を決して許さない。覚悟しておくんだな」
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