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閑話 恋は盲目
『くそっ、』
姿が見えないとパーティー会場であるホールを抜けて探しに来てみれば、会場の隅の廊下から響く声。
何事かとため息と共に歩み寄れば、自らのスマホを睨みつけ悪態をつく姿を発見し、おおよその事情を察した。
「振られたの?」
隣へ歩み寄りあえて事実を口にしてやれば、ぎ、と鋭い視線がこちらに向けられる。
「うるっさい!このオレが振られるなどと、あるはずがないだろうが。」
強気な言葉を返しながらも、応答のなかったのだろうスマホはスーツの内ポケットへ。
あわよくばまた食事にでも連れ出すつもりだったのだろうけれど、その様子では完全に脈ナシだろう。
そもそも、今はコンサートの成功祝いにとスポンサー様主催のパーティーの真っ最中。フォーマルなスリーピースなどという目立つことこの上ない格好でどこへ行こうというのやら。主役にはもう少しここで大人しくしておいてもらわないと。
「スポンサー様が探してたわよ。振られようがどうしようが勝手だけど、ビジネスの相手にはきちんといい顔しておいてほしいわ。」
「はぁ?アイツらどうせ祝いのパーティーなんて名ばかりで、関係者で集まって次の商売の話をしたかっただけ…」
「そうよ。次の日本公演の話も含めてね。」
愚痴をピシャリと切り捨てれば、端正な顔がむむ、と歪む。
「どうせ予定しているワールドツアーが終わったあとはまた日本に来るつもりなんでしょ?だったら会場で愛想笑いくらいしなさい。」
「……ふん。」
嫌そうに眉間に皺を寄せ鼻を鳴らすものの、反論はないらしい。
ただ、少しくらい休ませろという希望は聞き入れてやる事にした。
オリヴァーは肩に背負っていた愛器のケースを足元に置いてから壁にもたれ掛かり、ネクタイを緩め深く息を吐く。
コンサートを終えた足でパーティーだ。心労も疲労もピークなのだろう。彼も、自分も。
そういえば今朝から息をつく暇もなかったなと、彼にならってこちらも壁にもたれて息を吐いた。
視線の先では、全面ガラス張りの廊下の向こうで百万ドルとも一千万ドルとも評される夜景が煌めいている。……まぁ、ぼんやりとしたオーシャンブルーの視線の先で夜景は像を結んでいないようだけれど。
この男の脳裏に浮かんでいるのは、間違いなく応答のなかった電話の相手。
「……ほんと、ずいぶん趣味が変わったじゃない?」
オーシャンブルーの瞳がピクリと一瞬こちらに向けられ、ふん、とすぐ真逆にそらされる。
「いつもだったら……そうね、あのスケーターみたいな子でしょ?」
「ああ、アスカか。確かにアスカもアスカの創りだすものも美しいからな。……シーはもっと綺麗だが。」
理解できない。
オリヴァー・グリーンフィールドという男が常に求めているのは芸術的美だったはず。小比類巻彗という人間の、見目にも所作にも美しさがあるとは到底言い難いはずなのに。
小柄な人種である日本人の中でも彼はさらに小柄だし、何よりあの顔に似合わぬ大きな眼鏡を見るかぎり美的センスもそう期待できない。
「シーってどう見ても普通の人じゃない?」
素直にそう口にすれば、はん、と鼻で笑われた。
「おい、アマンダは世界で最も愛するものに拒絶されたらどうする?自分じゃない誰かがその愛を一身に受ける隣でなおも愛を貫けるか?」
「はぁ?」
思わず眉をひそめてしまっていた。
突然この男は何を言っているのだろう。言いたいことの百分の一も理解できそうになかったけれど、なぜだかふふんと自慢げにこちらを見下ろしてくるのでとりあえず問いには答えてやる。
「報われないなら諦めるしかないんじゃない?隣で見てるなんて御免だから大人しく諦めて全く違う道を探すわね。」
「だろうな。……だからシーは強く何より美しい。」
「は?」
今の問いから何故そういう話になるのか皆目見当もつかない。けれどオリヴァーは自分自身の言葉にうんうんと頷いた。
「シーはシキや……もしかするとオレ以上の、世界最高の音楽家だからな。」
「……、」
話が全く見えてこない。
まぁ、この男に対話なんてものを求めるのがそもそも間違いなのだろうけれど。
それでも、ヴァイオリン界の貴公子様がこれといって目立つ魅力のないあの日本人にご執心であることだけはわかった。
「で、最愛の人に拒絶された貴方はどうするの?」
こちらの嫌味に、ぎ、と鋭い視線が返ってくる。
「あ゛あ?誰が、何だと!」
射殺さんばかりの厳しい視線、動揺したのか声がうわずっていたけれど、すぐにふん、と腕を組みいつものようにその場にふんぞり返った。
「こ、このオレが、拒絶などされるわけがないだろうが。」
オリヴァーは平静を装いながらニヤリと唇の端をつり上げる。若干ひきつっているように見えたのは……後がめんどくさいので指摘することなく見ないふりをした。
「あるわけないだろ。このオレが拒絶など、あっていいはずがない。……拒絶などとふざけた事をする奴にはわからせてやるだけだ。」
この男の辞書に諦めの二文字はないのだろうか。思わずこめかみを押さえてしまっていた。
それは自信なのかそれとも意地なのか。
ふっふっふっ、と肩を震わせ不遜に笑うその横顔からは判別できなかったけれど、この男にここまで執着されるなんて、可哀想に。二人がどうなろうが、かなりどうでもいいことだけれど、とりあえずシーには同情する。
ひとしきり笑って満足したのか、オリヴァーは自らの腕に着いていた時計を確認してから足元に置いていたヴァイオリンケースを手に取り肩にかけた。
「おい、アマンダ。この近くにまだオープンしている楽器店はあるか?」
「へ?ええ、あるわよ。もしもの時のために調べておいた所がまだ開いてるはず。」
「よし。ならば今から何曲か弾いてスポンサー様を満足させてから早々に退散するぞ。」
こちらの返答を待たずにオリヴァーはさっさと歩き始めたので慌ててあとを追いかける。
「いきなりどうしたの?」
「ん?作戦変更だ。どうすればオレが平凡とやらになって対等に話をできるかと思っていたが……そもそもなぜオレが合わせてやなければならないんだ。そうだ、シーにはわからせてやる。ふはははっ、」
だから、この男はさっきから何を言っているのだろう。
ああ、これがあれか、Love is blindというやつか。
もはや会話することすら疲れたので、悪の親玉よろしく高笑いする雇い主に、黙って好きにさせてやることにした。
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