菫玲 1

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菫玲 1

 愛想の無い重たいばかりの鉄製ドアを開くと、甘い肉と米の炊ける匂いが漂って来る。  「ただいまー」  明るいリビングに向かって大きな声をかける。先程最寄り駅からメールした返事によれば、今日のご飯は生姜焼きだ。  「おかえり!!今日は早かったね!出張お疲れ様」  扉を開けると、すぐ横のキッチンで菜箸を持った翔太がニッコリと立っている。ポーン、とキャリーケースを手放して、菫玲は翔太に抱き付く。  「ああーん、可愛い、可愛い翔太。ただいまあ」  「うんうん、おかえり!もうね、お肉焼けるから!着替えておいでよ」  熱烈なキスをし、翔太から離れる。ジャケットを脱ぎながらソファにどっかと寝転び、  「もうさああ、マジで無いわー石島と出張ってもおおお」  シャツのボタンを外し、パンツスーツと共に放り投げ、ストッキングもキャミソールも脱いで床にぶちまける。身体を覆っているのはブラジャーとパンツだけだ。長い髪の中に手を入れて頭をググっと揉むと、全身から一気に虚脱感が襲う。  「す、菫玲ちゃん…なんか、今日のオヤジっぷり凄いね。あ、ご飯だって言ってんのに」  「大丈夫!ご飯は美味しく食べるから、とにかく一服」  本当はブラジャーも取ってしまいたいが、最低限の布地だけは残した姿で仰向けに寝転んだまま煙草に火を付ける。  「あー…至福―…」  「ビール飲む?」  「飲む飲む!」  ソファの前にコトリと缶ビールが置かれ、床に翔太が座る。  「俺も飲も。乾杯!」  ググッとあおると、喉一杯に強い炭酸が通って行く。最高だね、と翔太が菫玲の伸び伸びとした様を見て笑う。  「三時間運転させてさー、私が頑張った仕事を九割は自分の手柄にしてさ、   ま、それはどいつもこいつも同じだから良いんだけど、ホテルでやたらと   自分の部屋に私を連れ込もうとするのがもう」  「えっ」  「一歩も入ってないよ?けど、飲み会前に部屋に迎えに来いっつって、『準   備が終わってないから資料見ながら入って待ってて』とか、飲み会が終   わったら『気持ち悪くて動けないから部屋まで連れて行ってくれ』と   か…」  「うーわあー。なんか、手強い女子みたいだね」  「そうなのよ、手口がねちこいったら。イライラしたわ」  座りなおして煙草の火を消し、ビールを一気に流し込む。 場所は何処でも、仕事終わりの一杯は最高の一言に尽きる。電車の中では毎回毎回、今日こそは飲まずに夜の長い時間にアレをしよう!コレをしよう!と考えるが、結局我慢出来ずに『アレ』も『コレ』も途中で寝てしまう。  しかし、こんなに美味しいから仕方がない。  ふわり、とお腹に翔太の頭がやって来た。子犬のような上目遣いで菫玲を見上げている。  「何にもされなかった?」  「ナニって、ナニを?」  「こういうコトとか」  ぺろん、とブラジャーの上部分を捲り、翔太の唇が菫玲の胸を吸う。あん、と声が漏れる。  「…こんなのされてたら、今頃ブタバコでクサイメシ喰ってるって」  翔太を上向かせて、可愛い顔に口づける。続きがしたくなっては来るが、今はとにかく空腹だ。翔太の尻尾が見えるようだったが、こちらがお預けを食うわけにはいかない。  「ありがとう。スッキリしてきた!生姜焼き食べよう!」  小さなダイニングテーブルで、再度乾杯の声が上がる。  翔太は三月半ばにクラブから連れ帰って来た男の子で、気づけば居ついている。大学院生らしいが、よくは知らない。明るい髪は長い睫毛に似合うクルリとしたパーマがかかり、とにかく人好きする顔をしていて、子犬のような元気さに癒される。昔から料理好きだということで、腕も男の割に良く、最近のお気に入りである。  大学入学と共に家を出て、かれこれ九年になる。始めは満喫するつもりだった一人暮らしだが、遊び好きが高じて次第に連れ込み癖が付いてしまい、家にはいつも男がいた。就職の際に借り上げで選んだ社宅も、これまでの自分を振り返って広めの2DKにした。「狭いと息が詰まるし、自炊もきちんとしたい。広い台所が欲しい」と言い張り、駅から遠い築古の安いマンションだったから、人事も了解してこちらの主張を飲んでくれた。「一人で住むんですよね」と何度も念を押されたから、恐らく半信半疑のまま受け入れてくれたのだろう。  年季の入ったマンションだったが、ファミリー向けに作られており、コンロは三口が置けたし、ダブルベッドを置いても部屋がラブホテルのようにならなかった。元来物に執着心が無かったから、必要な家具だけに絞れば二人でも広々と居心地が良い。同棲すれば、喧嘩も増える。ワンルームだと気が狂いそうになってしまう。  昨晩のビジネスホテルで少し見た深夜番組について話しながら、キャベツの千切りをむしゃむしゃと口いっぱいに頬張っていると、向かいに座る翔太が困った顔で菫玲を見る。  「菫玲ちゃん、その恰好でご飯ずっと食べるの?」  結局菫玲は下着姿のままだ。大きくは無いが形の良い胸に、時折缶ビールから滴った雫が零れ落ちる。一般的に見て自分の体が綺麗ではあるが、エロチックさに欠けるのは十分にわかっている。しかし、目の前の男には刺激が強いようだった。翔太の困った顔が心地よい。  「何よ、自分の部屋でどんな格好でご飯食べようが自由じゃないの。一応気   にして下着は付けてるんだから良いじゃない」  「うーん」  やれやれと立ち上がり、寝室からTシャツを取って来て菫玲の頭にずぼっと被せる。  「ご飯の味が分らなくなるよ。頼むから着てよ」  「しょうがないなあ」  箸を置き、袖に腕を通さずに、そのままゴソゴソと続ける。不思議に見続ける翔太の前で、ぴろりろりーん、と言いながら、ブラジャーが裾から引っ張り出された。  「一枚着たから、一枚は脱いで良いよね~」  「はあ…」
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