椿 1

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椿 1

 角ばかりだ、と前方の夜空を見上げて椿は思う。  四角いビルに四角い窓、四角の看板に四角い漢字。  タクシー代に、と最後に手渡されたお札も四角だった。  要りません要りません、と小さな声で言い募ったが、加瀬は無理やりテーブルに置いていった。ピンク色の、女子大生が初めて一人暮らしを始める時に買うような、所々が剥げて木の色がこぼれて見える安っぽいテーブルだった。  涙も枯れた頃に、もつれるように服を着て、彼の綺麗な長財布から抜き取られた皺の無い紙幣を四つに折りたたんで、部屋を出た。  逢う時はいつも、黴臭さを石鹸の臭いでくるんだようなホテルばかりだった。会社から三駅先で乗り換え、更に二駅離れた場所で落ち合い、すす汚れた焼き鳥や立ち飲み屋で会話も殆ど無いままに食事を済ませ、いつも何かから逃げるように入り組んだ路地に建つ古びたホテルに入った。  たまに花を買ってくれた。アクセサリーが突然裸の体に着けられていたことも何度かあった。包装紙は一度も見ていないし、もちろん保証書を渡されもしなかったから、高いものではないと十分に承知していた。  可愛いよ、と耳元で囁かれるだけで、のぼせ上って思考を止めたのは自分だ。ブランド物のスーツも靴も、時計も財布も、綺麗な顔の彼にはピッタリだったから。私はお金に困っていないし、素敵なジュエリーも両親からのプレゼントで割と持っているほうだから。  金は愛情の量とイコールではない。  コンビニの前で、何となくしゃがみこんでいた脚に力を込める。  今日が加瀬と約束をしていた日じゃなくて良かった。約束の日なら、きっと気に入りのパンプスを履いて来ていただろう。まだ下ろし立てのあの靴だったら、一歩も動けなかったかもしれない。  ダイヤが文字盤の中で揺れ動く腕時計で時間を確かめる。もうすぐ十一時だ。ここから適当にタクシーを拾って、沿線上の駅に着いてから電車に五駅分乗る。十二時までに家に辿り着けるだろうか。母の顔が浮かんだ。
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