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下校時に、低い家や田んぼの広がる向こうにめらめらと揺らぐような夕陽を見ていた。
ランドセルを背負って、手提げをもったまま、けっして大きくはない道の端に立ちどまって、ただじっと太陽を見ていた。
大きくて燃えている太陽が私と対峙しているのは不思議な気がした。
何も言わないけれど、何かを訴えているような気がした。
子供の私は──あれは小学五年生の頃、初めて生理がきたすぐ後の頃に、ようやく気づいた。
あの夕陽の中には、燃える胎児がいるのだと。
太陽の胎児は鮮やかな存在を見せているのに、周りの人たちが、大人でさえ、そのことに気づいていないのは不思議だった。
もちろん、太陽の胎児は決して生れ落ちることはないだろうけれど、私たちに何かを教えてくれているのだと思った。
最初は不順だった生理もやがてほぼ月に一回くるようになった。このどろりとした汚い血のなかには、人間になれたかもしれない卵が入っている。気にしなければいいのだろうけれど、ナプキンを捨てるときいつも心に掻き傷のつくような思いにとらわれた。
私は幸い生理痛はほとんどなかったけれど、やはり生理は憂鬱だった。
無数の人間の芽を捨てていく営み。
夕陽を見ると受精卵の中で育つ胎児の姿がくっきりと見えるようになり、いつも目が離せなくなった。
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