兎と奸物

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火炬(たいまつ)で照らされた軍営内を、そんな話をしながら並んで歩けば、どの兵も、胸前で勢いよく手を打ち鳴らし、凱歌への敬愛を示す。 凱歌は将軍だが、戦場から幕舎に帰還すれば、兎耳と武器以外は、歩兵と変わりがない装いだ。そういう、気取ったところがないのも人気の秘訣なのだろう。 開戦すれば先陣を切り、采配を振るえば常勝。 戦場で最も価値のあるものを持ち合わせた凱歌は、直情的で、齢は二十を過ぎたばかりの女という、大きめの欠点に困ってはいないようだった。 その証拠に、行き交う兵たちは、凱歌に話しかけられて、次々に溌剌たる表情になった。 「――気に病むことはないぞ」 唐突にそう言って、凱歌は杞梓の肩に手を回して軽く叩いてきた。力が強すぎて骨がきしむ音がする。 「杞梓はいつも適切な助言をしてくれる。我のかけがえのない戦友だ」 兎め。余計な気遣いを。 兵を勝利へ導く将軍と、営中で日がな、削刀と筆で中央への簡牘(しょるい)を作成する文官とでは、兵の尊崇の度合いが違う。 杞梓の(くつ)は、朝起きるとなぜかいつも泥濘に沈んでいる。 別に泣いてなんかいない。戦国女子が涙を落としていいのは、とっておきの時だけだ。 「――だが、杞梓の性格の悪さと理屈っぽいところが、疎ましく感じるときもあるな。故事がどうたら、古人がどうたら、そんなの、敵襲の前では何の役にも立たない」 そんなことはない、古典から学ばないからクソ兎なんだ凱歌は。古典には何もかもが載っている。最善の政治術も、宮廷での立ち回り方法も、王になる方法だって―― と言いさして、杞梓は舌を噛んでしまった。 総身の毛が逆立ち、咄嗟に凱歌の背に強くしがみついていた。決して離れないように。 職業武人である凱歌は判断が速く、腰帯に吊り下げている武器を抜き放ち、杞梓を庇う。 「――あれは何だ、杞梓!」 「何を言っているんですか?」 「杞梓こそ何を言っている? ――あれが見えないのか⁉」
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