第09話:現在(いま)の技術と未来の叡智

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第09話:現在(いま)の技術と未来の叡智

 宇宙船アナクティシのトラブルが発覚してから約2時間、キリキリと張り詰めたピアノ線のような緊張感が部屋全体を覆っていた。  ここはMCC(ミッションコントロールセンター)に隣接された大会議室。この会議には、MCC(ミッションコントロールセンター)に所属するすべてのエンジニアが集められていた。 「それでは、事故が起きた宇宙船について会議を始めたいと思います。まず初めに、状況の報告をお願いします」  センター長がそう告げると一人の男が立ち上がり、会議室前方に備え付けられたホログラム(3D)ディスプレイに資料を映し出す。 「我々が宇宙船の事故を把握してから2時間しか()っていませんので、今、わかる範囲での報告になります。まず、こちらをご覧ください。これが今後予想される宇宙船の航路になります」  そう切り出すと男は、いっさい感情を混ぜることなく、淡々と客観的事実を伝え始めた。  このままでは、宇宙船アナクティシの時間で9日後、地球の時間では9年後、宇宙船アナクティシは耐G性能限界となるブラックホールの重力圏内に入るということ。スラスターの制御を回復しないと宇宙船アナクティシは減速さえできないということ。食料はどう切りつめても20日しかもたないということ。今わかっている故障箇所(かしょ)を1人で修理するとなると1年以上の時間がかかるということ。宇宙船の修理に必要な部品が充分(じゅうぶん)に積まれてないということ。  報告者の苦悶(くもん)の表情と共に1つずつ明らかになっていく事実は、会議に参加しているエンジニアの希望を少しずつ(むしば)んでいった。そして、すべての報告が終わった時、会議室を覆っていたのは、どうしようもない絶望感であった。 「まず皆さんにお伝えしたいことがある」  センター長はそう切り出した。 「我々、JUXA(日本宇宙研究開発機構)は、人命を第一に考える組織だ。だから、宇宙船に乗っている宇宙飛行士を救出することを前提にこれから議論を進めていきたい。宇宙船に対する今後の方針については、その議論を尽くしてから決をとることにする」  センター長のこの言葉は、一樹を必ず助けるという強い意志が込められたものであったが、その顔を覆うのはどうしようもない悲壮感であった。そして、その表情は、この会議に参加する他のエンジニアも同様であった。すなわち、一樹を助けたいという気持ちを誰もが持っていたが、一樹を助けることは不可能であると誰もが思っていたのだ。 「センター長」  重苦しい空気の中、とある男が口をひらく。 「もし我々が、宇宙飛行士を助けに行くとすれば、まず現場にたどり着かなければなりません。それを達成する唯一の手段は、4年後に完成する宇宙船ソフィアを使うことですが、たとえ宇宙船ソフィアを使って現場に直行したとしても、地球の時間で4年以上の月日がかかります。しかし、その時には、宇宙飛行士がのった宇宙船は、耐G性能を()えたブラックホールの重力圏内です。残念ながら、我々がもつ科学技術では、宇宙飛行士を救出することはできません」  男がそう言い終わると、会議室は大きな嘆息に包まれた。なぜなら、センター長が会議の冒頭に宇宙飛行士を救う事を前提に、とわざわざ明言したにも(かかわ)らず、最初に出された意見は、このような非情な結論を促すものであったからだ。  そして、(みお)はこの会議を覆う違和感に気がついていた。この会議に参加しているエンジニアは、一樹の名前やアナクティシの名前を出さずに議論を進めている。それはまるで一樹を助け出すことができないという現実を甘受するために必要な儀式であるかのように。 「他に意見がなければ、そろそろ宇宙船の処遇について決を採りたいのですが」  長く重い、永遠に続くと思われた沈黙の後、センター長が悲痛な面持ちと沈み切った声でそう告げる。そして、その言葉に(あらが)う意見を持ち合わせているものはこの会議室に誰もいなかった、ただ一人の例外を除いて。 「待ってください、センター長」  この会議で、その言葉を発する権利を一番有していると思われる(みお)が声をあげた。 「我々の議論は、現在の科学技術を前提に結論を出そうとしています。しかし、今建造中の宇宙船ソフィアが完成するまで、4年の月日が残されています。これだけの時間があれば、人類の叡智(えいち)は、科学技術をさらに発展させることができます。したがって、議論の前提に、これから4年で獲得できる見込みがある科学技術を含めるべきです」  (みお)のこの一言に、会議の参加者から思わず嘆息がもれる。しかし、センター長は(みお)の発言を真摯(しんし)に受け止めた。 「(みお)くん。君がこの件で冷静でいられないことは理解ができる。そして、その意見も論理的で説得力を有している。しかし、我々はエンジニアだ。そんな不確定な未来を前提に物事を進めることはできない。もし、君の意見を形にしたいのであれば、これから4年でモノになりそうな、一樹くんを助けることが可能になりそうな、そんな科学技術を我々に具体的に示してもらえないだろうか?」  (みお)は、センター長の言葉を最後まで聞き終えると、歯を食いしばり、喉から絞り出すかのように言葉を紡ぐ。 「我々が叡智(えいち)を結集して、4年で光速航行が可能な宇宙船ソフィアを作り上げることができれば、4年で宇宙船アナクティシに追いつくことができます。もし私がそれを実現できるプランを提示することができれば、皆さんが、今、心の中で出している結論を変えることができる。そう考えていいんですね、センター長」  これは、苦しいながらも、現状を変える可能性のある(みお)の精一杯の一言であったが、この一言がもたらしたのは、会議に参加するエンジニアの悲しげな嘆息と重苦しい空気だけであった。
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