第10話:その命の重さを……

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第10話:その命の重さを……

 水を打ったように静まり返った会議室。(みお)とセンター長以外の人間は存在しないかのような異様な気配。まるで宇宙船アナクティシの命運が、この2人によって決せられるかのような緊張感が辺りを包んでいた。 「なるほど、未来の叡智(えいち)は、4年後に光速宇宙船を可能にするか……。夢のある話だ。そして、希望が持てる話でもある。しかし、思い出して欲しい。亜光速宇宙船の実現は可能だが、光速宇宙船の実現は不可能。そう断言したのは、(みお)くん、君自身ではないか。我々はその整合性についてどう考えればいいのかね?」  センター長はそう言って沈黙を破ると、(みお)に厳しい視線を向けた。 「確かに私はそう断言しました、それは認めましょう。しかし、それは1年前の私の意見であって、今の私の意見とは異なります。人と科学は、時間と経験を積み重ね、常に進歩するものです。1年前の常識は、今の常識とは限らない。我々は、いつから光速宇宙船の実現は不可能だという固定観念に侵されてしまったのですか?」  (ひど)詭弁(きべん)だ。(みお)は自分自身が言った言葉に、強い嫌悪感を抱いたものの、ここでそれを受け入れてしまっては、一樹を救う道が閉ざされてしまう。その事実を(みお)は正確に理解していた。 「センター長。人類は困難に直面した時、常にそれを克服することに挑戦してきました。だからこそ、今の繁栄があるのです。今こそ新たな挑戦をする時なのです。アナクティシに搭載された亜光速エンジンは7年前には存在しませんでした。であるなら、4年後に光速宇宙船が存在する可能性も否定できないはずです」  (みお)は、語気を強めセンター長にそう迫るが、センター長の顔色は変わらない。 「確かに亜光速エンジンは、7年前に(みお)くんが書いた博士論文を基に、4年前に実用化されたものだ。だから、それより前には存在しなかった。それは事実として受け入れよう。しかし、その事実が、どうやったら、4年後に光速宇宙船が実現するという根拠になるのかね?」 「不可能と言われた亜光速エンジンを可能にした朝霧 (みお)がそう言っているのです。これ以上、何の根拠が必要だというのですか?センター長」  それは傲慢(ごうまん)ではなく、悲鳴にも似た、祈りにも似た、(みお)の叫びであった。しかし、(みお)のこの言葉に賛同するエンジニアが現れることはなかった。なぜなら、この会議室にいるエンジニアは熟知していたのだ。光速宇宙船がなぜ成立しないか? その根本的な理由を。 「落ち着きたまえ、(みお)くん。私だって、君みたいな天才エンジニアが言う言葉は信じてみたくもなる。だから、それはそれでいい。しかし、問題はそれだけではない。これは(みお)くん自身の言葉でもあったはずだ」 「それは亜光速航行時の宇宙船間移動についてでしょうか?」 「確かにそれもある、それもあるが」  センター長はそう言って静かに(うなず)くと、大きくため息をつき、黙って天を見上げた。そして、刹那の後、何かの覚悟をその瞳に宿すと、厳しい口調で話し始めた。 「(みお)くんが、現実を受け入れられないのはわかる。私だって同じ気持ちだ。しかし、我々は常に現実を見て判断しなければならない。その問題が解決できるか、できないか。我々は常にそれを判断し、取り組む問題を取捨選択する。そして、限られた時間の中でそれに全力で取り組む。そこではじめて、1つの問題が解決できるかできないかが土俵にのる。神が我々に与えた時間は限りなく少ない。そう、我々エンジニアは、人生という時間をすべて捧げたとしても、たった1つの問題を解決することでさえ、手に余るものなんだよ」  センター長は、一見優しい顔つきだが、その奥に潜んでいる厳しさを隠すことのない目で、(みお)をじっと見つめた。 「(みお)くん、君は新たな挑戦をすべきだと言うが、この問題は解決しなければならない課題が多すぎる。光速航行ができる宇宙船をどう造るのか? それを実現させる素材をどうするのか? それを実現させるエンジンをどうするのか? 光速宇宙船ができたとして、一樹くんの乗る宇宙船アナクティシまでの軌道計算を正確にできるのか? 追いついたとして、一樹くんをどうやって光速宇宙船に移動させるのか? その手段は亜光速で移動する宇宙船同士で成立するものなのか? たとえ一樹くんを救出できたとして、その後、どうやって光速宇宙船の進路を地球に向けるのか? 少し考えただけでも、これだけの問題が出てくる」  センター長は、宇宙飛行士といわず、あえて一樹と言うことで(みお)の覚悟を迫る。しかし、話はそれだけで終わることはなく、センター長は、辛辣(しんらつ)な表情を浮かべ、ある覚悟をもった口調で語りはじめた。 「これから、私が言う事は(みお)くんを大きく落胆させるかもしれないし、恨まれるようなことを言うかもしれない。しかし、できるだけ冷静に聞いて欲しい」 「(みお)くん、まず、宇宙船ソフィアはJUXA(日本宇宙研究開発機構)だけのものではない、理研(理科学研究所)との共同研究プロジェクトだ。だから、宇宙船ソフィアで一樹くんを助けるという判断はJUXA(日本宇宙研究開発機構)だけでできるものではない」 「そして、JUXA(日本宇宙研究開発機構)は慈善団体ではない。日本という国からだけではなく、多くの人からの莫大(ばくだい)な寄付によって成立している研究機関だ。だから我々は、スポンサーに研究の成果で応える義務がある。敢えてこういう言い方をさせてもらうが、今回の一件、スポンサーの方々は、(みお)くんの婚約者である一樹くんを救うためだけに、莫大(ばくだい)な費用がかかっている宇宙船ソフィアを使うことに納得してくれるだろうか?」 「センター長!」  急に会議室にこだまする女性の声、(みお)ではない、柚希(ゆずき)の声だ。 「さっきから、なにをいっているんですか! 目の前で苦しんでいる女性がいる。それ以上の理由が必要なんでしょうか?」  柚希(ゆずき)は、立ち上がり雄弁に語りはじめる。 「センター長のお考えは理解しました。しかしあえて反論させていただきます。我々JUXA(日本宇宙研究開発機構)は、多くの寄付金を民間からいただいている研究機関です。しかし、その資金の多くは国から提供されたものです。そう、我々の最大のスポンサーは、日本国であり、日本政府なのです」  柚希(ゆずき)は、(みお)ににっこり微笑(ほほえ)むと、再び、その瞳に強い決意を宿し、話を続けた。 「今から約100年前、1つの国際的な人質事件が起こりました。そしてその問題に対処した時の首相はこう言ったのです。『人命は地球より重い』と」 「我々の最大のスポンサーである日本という国は、助かる可能性がある国民を決して見捨てたりしません。日本という国は、たった1人の国民の命を守るため、全精力を注ぐことができる国なのです。私は、そんな日本を誇りに思いますし、そういう判断ができる国の国民であることを誇りに思っています」 「だから、私は皆様に2つの質問をします。真剣に考えてください。皆さんは一樹さんの『命の重さ』をどう考えていますか? そして、我々のスポンサーである日本という国は、その質問にどう答えると思いますか? 以上です」  柚希(ゆずき)が、そう力強く言いきると会議室は再び沈黙に包まれた。柚希(ゆずき)の言葉は、エンジニアが判断のよりどころとする技術論は微塵(みじん)もなく、ただの精神論でしかなかった。しかし、この会議に参加しているエンジニアは、その言葉に反論することができなかった。 「皆様、本当に申し訳ない。私の妻はすぐ熱くなる性格でして……」  沈黙の中、(しゅう)はそう切り出した。 「しかし、皆様は、私の妻の意見に反対意見を言う事ができなかった。それはなぜか? それは、皆様が一樹を助ける希望を捨てていないからです。今の時点で希望が残っているのなら、この会議は結論を出すことはできない。なぜなら、この会議の冒頭で、一樹を助けることを前提に、そして、その議論を尽くしてから決を取るとセンター長自ら宣言しているのですから」  そう言って(しゅう)がにっこり笑うと、会議室は和やかな雰囲気に包まれた。それは、会議の参加者全員が、心の奥底で求めていた答えにたどり着けたという安堵(あんど)の表れであった。 「しかし、そんな精神論では」  そうセンター長が口を開いたものの、それを柚希(ゆずき)が大きな声で遮った。 「お願いします、センター長。1週間時間をください。その時間をいただければ、私と(みお)が技術的な問題を解決し、みなさんが納得できる救出案を提案します。では続きは1週間後、同じ時間、同じ場所で」  柚希(ゆずき)がそう言い切ると、会議室は大きな拍手に包まれた。
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