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第12話:量子テレポーテーション
「澪、すごいじゃない。負の質量を使うアイディア、最高じゃない!」
HPCセンターから帰ってきた柚希は、興奮を隠しきれない。
「これで、光速宇宙船でアナクティシに追いつき、宇宙船間を移動し、軌道修正をして地球に戻るという3つの課題の内、1つが解決したというわけね」
「いいえ、柚希。たぶん、2つの課題が解決できたと思う。負の質量を使えば、宇宙船の質量をある程度コントロールできると思うの。例えば、負の質量を宇宙船の外に廃棄してしまえば、宇宙船の質量が増える。そうなれば、質量に作用する重力を使うことができる。つまり、ブラックホールの重力を使って軌道を変えることができると思うの」
「なるほど、ブラックホールを使ったスイングバイね。確かにそれなら既存の技術だからいけるかもしれない。となると残る問題は、宇宙船間の移動だけってこと?」
「そう、そうなんだけどね……」
そう暗い声で返事をする澪に対し、柚希は明るい声で言葉をかける。
「うん? その様子だと、未だノーアイディアかな?」
「澪、今回は時間が限られてるから、新しいアイディアを実用化するのは無理だと思う。だから、スイングバイみたいに、既存の技術を応用する、もしくは、スケールを大きくする形で考えた方がいいと思うの」
「もしかして、柚希、その技術に心あたりがあるの?」
澪のこの言葉を聞いた柚希は、たまらず笑い出した。
「あたり。でも、物理博士の澪さんなら、とっくにご存知の技術だと思うんだけど」
「え、なんなのそれ、教えなさいよ」
「あせらない、あせらない。ちゃんと教えるから」
柚希はそう言って、もったいぶってみせた。
「その技術の名は、量子力学の基本中の基本、量子テレポーテーション」
「りょ、量子テレポーテーション」
澪は、柚希の言葉に思わず絶句した。確かにそれなら可能かもしれない。一部、実用化されてる技術でもあるし、応用しやすい技術でもある。しかし、宇宙空間の中で、亜光速で移動する宇宙船同士で可能なものであろうか?
澪は、その成立性を検証するため、量子テレポーテーションについて、もう一度、基礎から考え始めた。
まず、量子力学の概念を端的に表しているシュレディンガーの猫から考えてみよう。これは、1時間の間に50%の確率で毒ガスが出る密封した箱の中に猫を閉じ込めた場合、1時間後、箱の中の猫は生きているか、生きていないか、を問う思考実験だ。
そして、この思考実験の量子力学的答えは、箱の中を確認するまでは、生きているともいえるし、生きていないともいえる。つまり生きている状態と生きていない状態が同時に存在する重ね合わせの状態、それが量子ゆらぎ。
「うーん、ここまでは簡単なのよね」
澪は、心の中でそう呟くと、再び考察を深めていく。
1つの物質で考えれば量子ゆらぎになるんだけど、2つ以上の物質の場合は、話が変わる。例えば、箱の中に当たりとハズレのくじが1つずつ入っていたとして、2人がそのクジを引いたとする。
この状態は、どちらか1人がクジを開いて当たりかハズレを観測しないかぎり、そのクジは当たりでもあるし、ハズレでもある重ね合わせの状態であり続ける。つまり2つのクジ両方が50%の当たりと50%のハズレの2つの状態をもつ量子もつれの状態になるわけだ。
そして、どちらか一人がクジを開き、中身をハズレと観測した場合、その瞬間、もう1つのクジは観測せずとも100%の当たりとなる。つまり50%の当たりがもう1つのクジに瞬間移動したことになるわけだ。これが量子テレポーテーション。
そして、これは、澪と柚希が使っているクアンタムコンピューターでも使われている技術であり、今、この時代、ある程度の大きさの物質であれば、疑似的に量子もつれ状態を作り出し、量子テレポーテーションさせる技術もある。
しかし、それを生物で、しかも亜光速の状態でやろうというのだから……。澪は、それを考えた柚希の大胆さに心底驚いた。
「でも、柚希。量子テレポーテーションを成立させるためには、量子もつれの状態をお互いの宇宙船で作らなければいけない。つまり、爪とか髪の毛とか、ある程度の生体サンプルをアナクティシに置いてある人でないと、量子もつれの状態を作ることはできないはず」
そう質問をする澪に、柚希は笑って答えた。
「どうせ、澪のことだから、そこに関しても何かしらの解決策を思いついてるんでしょ?」
柚希にそう問われた澪は、黙って頷いた。
「でもね、澪。問題は観測者なの」
「宇宙船ソフィアからう宇宙船アナクティシへの移動は、存在を確定させる観測者として一樹さんがいるからいいとして、宇宙船アナクティシから宇宙船ソフィアに帰ってくる時の観測者をどうするのか? それが問題なのよ」
そう言って、頭をかきながら考える柚希に対し、澪は笑顔をみせた。
「これ、地球と連絡を密に取るために考えていた技術なんだけど、もしかしたら使えるかも」
澪はそういって、星野から手渡された電子ペーパーを柚希に手渡した。柚希は渡された電子ペーパーを最初はめんどくさそうに読んでいたが、その電子ペーパーを5、6枚めくっていくにつれ、徐々に表情が真剣になり、最後は大きく頷いていた。
「澪、すごいじゃない。確かにこの技術を宇宙船に実装できれば、観測者問題も解決できる、でも」
そこまでいって柚希は言葉を濁す。
「そう、他の研究機関の協力を得られるかどうかが問題なの。JUXAじゃこの技術に対応できないみたいだから……」
澪がそう話すと、気まずい沈黙が2人を包む。しかし、そんな沈黙もすぐに破られた。柊がノックもせず、2人の研究室に入ってきたからだ。
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