13人が本棚に入れています
本棚に追加
/27ページ
第07話:ジャラルディン空港にて
一樹がアルファケンタウリに出航して1年。産休を取った澪は一樹との間に生まれた娘と共に日本で幸せに暮らしていた。しかし、幸せな日々と充実した日々には明確な開きがあり、澪は、幸せだけれども、何かが満たされない、そんな虚無感を抱えていた。
澪は、一樹との間に生まれた娘に桜花と名付けていた。桜花が生まれた時、病院の窓から見える八重桜の見事さに感動し、その花言葉である「理知」に思いを馳せてつけた名前であったが、やや独善的なきらいがある事はいなめなかった。
そして、明日、一樹が乗った宇宙船から1回目の交信データが地球に届く。一樹の直筆という表現は正しくないかもしれないが、コンピューターによる自動通信ではない、一樹の想いが込められた初めての電子データが届くのだ。
桜花が生まれたことは、6か月前に宇宙船へ送ったデータが届いていれば、一樹の知るところとなっており、澪はそのニュースを聞いた一樹の反応が楽しみで仕方がなかった。
「私が勝手に名前をつけちゃったこと、怒ってないかな?」
澪は、自分が妊娠していたこと、黙って子供を産んだこと、全部棚にあげ、そんな自分勝手な独り言をいいながら、いたずらな笑顔を浮かべ、桜花と共に、ジャラルディン空港の到着ロビーに立っていた。
「この暑さは、相変わらずね」
澪は、陽の光を目を細めて見上げると、ふるさとでもないのに郷愁の念を抱かざるを得ない。澪は、オートカートに荷物を載せると、柚希と待ち合わせをしている空港内のカフェに急ぐ。
「澪、こっちこっち」
ふいにカフェから聞こえる懐かしい声。間違いない、柚希の声だ。TPOをわきまえない大きな声に、澪は、呆れた感情と、喜びと郷愁に似た感情を同居させながら、桜花と共に声の元に急いだ。
「ちょっと、柚希。恥ずかしいから、そんな大声ださないでよ」
そうあきれる澪に対し、柚希はどこふく風で、明るくケラケラと笑う。
「なにいってんの、澪。ここはインドネシアなんだから、日本語でなに言っても、誰もわかりゃしないって」
柚希がそう言うと、澪に軽くウインクしてみせた。
「で、この子が噂の桜花ちゃん? かわいいね!」
柚希の問いに澪が黙ってうなずくと、柚希は立ち上がって、澪が抱いている赤ん坊をじっとみつめる。
「そうか、この子が一樹さんと澪の子なんだ。どことなく一樹さんの面影があるわね」
「え、わかる?」
柚希のこの言葉に、澪は嬉しそうな笑顔を見せると、柚希の正面の椅子にゆっくりと腰をかけた。
「そりゃ、わかるわよ。この目元なんか一樹さんにそっくりじゃない。でも、口元はちょっと澪に似てるかも」
「そうなの。よく言われるの」
柚希の言葉に澪は頬を緩め、満面の笑みで応える。澪と柚希は1年ぶりの再会になるのだが、そんな空気は微塵も感じられず、まるで、昨日別れて、今日再会したかのような、そんな雰囲気の中、二人は話を続けていた。
空港の壁全面のガラス窓から、太陽の光がさんさんと降り注ぐ。カフェの横を通り過ぎるトランジットを急ぐ人々と、その荷物を運ぶオートカートが奏でる不規則な雑踏が、澪と柚希の周りを包む。しかし、その雑音も、澪と柚希の会話を支えるベース音にしかならず、澪と柚希は二人だけの会話を、三人だけの世界を満喫していた。
「しかし、わざわざインドネシアまでくることなかったのに、一樹さんのデータなら私が送ってあげたのに」
柚希は、手に持っているコーヒーをテーブルに置き、優しいまなざしで澪の顔を眺めてそう話すと、澪は、少し照れくさそうな顔を浮かべて返事をする。
「柚希に会いたかったから来たのよ」
「はいはい、そういう心にもないこと言わなくていいから」
柚希は、1秒でも早く一樹さんからのメッセージを見たいだけでしょ? という言葉を胸にしまうと、澪の言葉をそうあしらってみせた。澪も澪で、柚希に本心が見抜かれたと感じ、急にこう切り出した。
「じゃあ、私もコーヒー買ってくるから、しばらく桜花を見ていてね、柚希。そうそう、首はもう座っているから大丈夫だと思うけど、気をつけてね」
澪はそう気軽に言ったものの、まるで壊れ物を取り扱うかのような慎重さで、桜花を柚希に預けた。
「大丈夫、桜花ちゃんのことはまかせておいて、澪。でも、できればコーヒーをテイクアウトにしてもらえないかな?」
柚希の言葉に、澪は反射的に頷いたものの、その言葉が意味することを正確に理解ができず、不思議そうな顔で柚希に聞き返す。
「あれ? 柚希。今日は予定は何もないからゆっくりできるって言ってなかった?」
柚希は、右手で軽く頭をかきながら
「いや、確かにそうなんだけどね。ただ、駐車場に旦那を待たせっぱなしで」
柚希がそういうと、澪の顔色が変わる。
「え、じゃあ、柊さん、2時間近くスカイカーで待っているってこと?」
柚希は、申し訳なさそうな顔を浮かべると、澪の質問に対して黙って頷いた。
「そういうこと早く言ってよ。それならすぐに柊さんが待つ車の所にいかなくちゃだめじゃない。柚希って、昔から、そういうところあるわよね。大事なことギリギリまで言わないというか」
澪は、そういいながらも足早にカフェのカウンターに向かう。そして、その姿をみた柚希は、大きくため息をついた。
「澪は、早く行かなくちゃと自分で言ってるくせに、コーヒーを飲むのを我慢するという選択肢がないのよね。ほんと、昔から、自分がやると決めたことは必ずやる性格なんだから。そういうところ、ちっとも変ってないわよね。お互いに」
柚希は、腕の中に桜花を抱きながらそう独り言をつぶやくと、すぐさま桜花に話しかけた。
「桜花ちゃんは、私やママみたいな性格になっちゃダメだぞ」
そして柚希の言葉を聞いた桜花は、意味もわからず笑うのであった。
最初のコメントを投稿しよう!