放課後練習

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放課後練習

「あ・え・い・う・え・お・あ・お」 「か・け・き・く・け・こ・か・こ」 ・・・・・・・ ここは、県立第一高校学校の 放課後の屋上。 放送部員達が、 一列に並んで発声練習をしている。 そろそろ初雪が降ってもおかしくない冷たい空気の中に、 部員達の息が白く吐き出されていく。 「今度は来週の放送当番に当たっている者同士、 向かい合って、 もう一度はじめからやろう。 一年生は先輩の表情をよく見て。 発声練習は大声を出すだけじゃなくて表情が大切なんだ。 口角と頬骨の筋肉を上げて、 目はしっかり開けて相手に微笑むように。 聞く人の心に届くような声を出すんだという気持ちで。 じゃあ、はじめ!」 部員達に指示を出す木村陽大の向いには、 一年生の佐藤栞が 胸をときめかせながら立っていた。 有美の向いには志乃が、 桃子の向いには、 ちょっと緊張気味の男子の一年生、 しかし、義雄の前は、空いていた。 淳は今日も練習をサボっていたのだ。 〈来週は、木村先輩と当番だわ。 マイクの前に立つのは緊張するけれど、 頑張らなくちゃ。〉 おとなしい性格の栞は、 本来人前で話すのは苦手だったが、 中学生の時から憧れていた 木村陽大の側にいたいという一心で 放送部に入ったのだ。 木村陽大と千田有美が 幼馴染で仲がよいことは、 どこからともなく耳に入ってきていた。 叶わぬ恋。 ただ遠くから見つめているだけの 片思い…。 それでもいい、 ただ木村陽大を見ていられれば それで栞は満足だった。 発声練習が終わった。 「部室に戻って、 詩の朗読の練習とそれぞれ来週の打ち合わせをしてください。 内容が決まったら、 僕に報告をよろしく。じゃ、解散。」 「ありがとうございました。」 部室に戻る途中、 義雄が冷えた手をすり合せながら 陽大に話しかけてきた。 「おぉ、さぶくなってきた。 なぁ、陽大、金山君、 また練習に来なかったな。 今日も誘ったんだけど、 『俺は裏方に徹するから練習はいいよ。 用事もあるし。』って。 もったいないよなぁ、 あいついい声しているんだから、 ちゃんと練習すれば いい放送できると思うんだけどなぁ。」 「義雄も誘ってくれたのか。 僕も声はかけたんだけど…。 彼は機械に強いから裏方を引き受けてくれるのは助かるけれど、 練習はサボらないで欲しいんだ。 打ち合わせもあるし。 義雄、悪いけど、来週の当番の分、 一人で内容決めてくれるか?」 そう言いながらも、 陽大は心のどこかで淳が来ないことに ほっとしている自分を感じていた。 「あぁ、それはかまわないよ。 適当に考えて、後で報告するよ。」 「あの、木村先輩いいですか? 来週の放送の内容なんですけれど…」 「あぁ、栞さん、ごめんよ。 どお、何か考えてきた? 来週は僕が機械を担当するから、 君が話す内容と曲を決めてごらん。 困っているならアドバイスするから。」 「だいたいの内容と、 曲を書いてきたんですけれど、 見ていただけますか?」 「もうちゃんと書いてきてくれたんだ。 じゃぁ見せてもらうね。… …うん、いいんじゃないかな。 ちょっと硬い内容だけれど、 栞さんらしくて。 当日は原稿を読むんじゃなくて、 自分の前に人がいると思って、 その人に語りかけるような気持ちで話せばきっとうまくいくよ。 頑張ろうね。」 「はい、ありがとうございます。 よろしくお願いします。」 栞は、陽大に優しい言葉をかけられて、 鼓動が早くなるのを感じた。 〈どうしよう。先輩に聞こえないかしら。顔、赤くなってないかしら。〉 原稿を胸に抱きしめて恐る恐る顔を上げると、 そこには陽大のやわらかい笑顔があって、栞はほっとし、 ややぎこちなく微笑み返した。 「栞さんそこに座って。 朗読の練習をしよう。 僕が先に読むから聞いててね。」 陽大の朗読を聴きながら、 栞は初めて陽大に“出合った日”のことを思い出していた。 中学一年生の夏。 中学生になって、 一緒になったクラスメートとなかなかなじめず、 勉強にも行き詰って 落ち込んでいたある日。 給食が終わってお昼の校内放送が始まっていたが、栞の耳には入っていなかった。 大好きな『足長おじさん』でも読もうかと文庫本を開いては見たものの、 それを読む気にもならず、 頬づえをついて「ふう」とため息をついた。 その時スピーカーからどこかで聞いたことのある曲が流れてきた。 〈なんていう曲なんだろう。 綺麗なメロディー。〉 その音楽は乾いてひび割れた大地に 水が沁みこむように、 栞の心を癒してくれた。 「お送りした曲は 『グリーンスリーブス』でした。 暑い毎日が続いています。 もう少しで待望の夏休みですね。 暑さに負けないで今日も元気に過ごしましょう。 今日の担当は、木村陽大でした。」 〈木村陽大…〉 暗く翳っていた栞の心に、 小さな明かりが灯ったようだった。 同級生に「木村陽大」の名前はなかった。 〈一年先輩なのかしら?〉 いつも陽大のことが心から離れなれなくなり、 お昼の校内放送の時間が待ち遠しくなった。 その後、秋の文化祭で放送係を担当している有美と陽大の姿を見た。 〈あの人が木村先輩…〉 それから陽大の姿を学校で見かけることがあると、 栞は一日幸せな気持ちになるのだった。 陽大はしばしば有美と一緒にいて、 その時陽大はとても楽しそうにしていた。 〈千田有美先輩…、綺麗な人…。 勉強もできるって…。 木村先輩は千田先輩が好きなのかしら…〉 美人ですらりと背の高い有美に比べて、 余りにも平凡でとりえのない自分が、 栞は悲しかった。 〈でも、木村先輩を想う気持ちだけは誰にも負けたくない。 一生懸命勉強して木村先輩と同じ高校に行こう。 そして放送部に入るんだわ。〉 栞は懸命に勉強に励み、 陽大の後を追って、 県立第一高校を受験した。 そして望みどおりに放送部に入ると、 自分に少し自信がついてきた。 放送部には有美もいたが、 もうそれは気にならなかった。 一緒に部活動してみると、 栞は、明るくて優しい有美も大好きになった。 お似合いの有美と陽大がうまくいってほしい、 そんな気持ちさえ生まれていた。 「じゃあ、今度は栞さんが読んでみて。」 「はい。お願いします。」 「うん、ずいぶん上手になったね。 ただ、栞さんは声が低めだから、 もう少し意識して高めの声を出したほうがいい。 ニュースなどの報道だったら、 低い声のほうが信憑性が感じられていいんだけど、 僕達のやる校内放送は、 みんなの気持ちを明るくさせたり、 元気を与えるものだと思うんだ。 音階の“ソ”の音があるだろう? その音が一番良く通って、 聞く人の気持ちを明るくさせるんだそうだ。 だから、もう少し高めの音を意識してもう一回読んでみてくれるかな?」 「そう、それくらいがいいね。 慣れるまでちょっと大変かもしれないけれど、今みたいな感じでやってみて。 じゃぁ、来週よろしくね。」 「はい、よろしくお願いします。 ありがとうございました。」     この想い 君に届かぬ ままなれど     我を励まし 我が花咲かさん 一方、有美と志乃は… 「有美、今度どうする? 何か考えてある?」 「志乃、今回は私に任せてもらってもいいかしら? みんなに紹介したい曲があるのよ。 それにちょっとおしゃべりを交えて、 あと詩を朗読したいの。 自作の下手なのだけれどね。」 「へえ、有美が自分で詩を書くの? いいんじゃない。 じゃ、今回は有美にお任せね。 よろしく。 それにしても、 今日も金本君練習に来なかったね。 人前でしゃべるのが嫌いなら なんで放送部に入ったんだろうね。 ほんと、不思議な人。 まぁ、最近は当番サボらなくなっただけいいけどね。」 「ほんとね。ふふふ…」 〈そういえば、 用事があるって帰ったけど、 なにしてるんだろう。 淳君がどこに住んでいるかも 私はまだ知らないんだわ。〉 淳と心が通い合ったことを信じながらも、 どこか踏み込めない謎めいたものを 有美は感じていた。 もっと彼のことが知りたかった。     あなたとの 隔てを全て 無くしたい    もっとあなたの 近くにいたい
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