後輩のバイトくん

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後輩のバイトくん

 火曜日、ちょっといつもより遅れてTesoroに到着すると、若い男の子が雅人さんと何やら話しているところだった。  「あ、紗雪、こっち…」  私に気付いた雅人さんに呼び止められて、私は着替えるより先に二人の元へ行く。  「昨日から、働かせてもらっています不破 拓士(ふわ たくじ)です。よろしくお願いします。」  ヘアカタログに出てきそうなセンターパートのゆるふわマッシュヘアーの目がクリっとしたわんこ系男子が笑顔で挨拶してくれる。 私は「織田 紗雪です。」と言って一礼した。  ん?この笑顔、それに聞き覚えのある名前…  そう思って、もう一度顔を見た瞬間「さゆゆん先輩?」と呼ばれる。  私は、確信をもって「拓士」と認識する。  拓士は二つ年下の中高で一緒のバレー部の後輩だ。  もちろん部活自体は男女別れてはいたのだが、基礎トレーニングの時には一緒になったりすることもあって、卒業するまでには男女互いに名前も覚えて、世間話をする程度の顔見知りになっていた。私は部内で”さゆゆん”と呼ばれていたため後輩たちは皆、私を”さゆゆん先輩”と呼んだ。  後輩の中でも甘い顔の懐っこい拓士は、私の友達の間でも人気があって、弟的存在としてとりわけ可愛がられていたのだった。  「大学生?」  「はい、一浪して今4年です。」  「そっか…ヨロシク。」  「さゆゆん先輩、大人っぽくて綺麗になったっすね…ヨロシクです。」  「君はなんだか、軽くなったね…」  私たちが急に親しげに話し始めたので、雅人さんが「知り合い?」と会話に入ってくる。  「同じ高校の後輩」  「へぇ!世間狭いな。じゃ、、頼んだよー」  雅人さんはそう言って、裏へ消えていった。  私は身支度をして、拓士に仕事の手順なんかを教える。  火曜日は客入りはさほどないため、仕事の合間に昔話に花が咲いて、時間が学生の頃に遡ったようだった。  そして、ふと重大なことに気が付いた。  拓士は、先生のことを知っているのだ。  私は恐る恐る拓士に「結城先生って覚えてる?」と聞いてみた。  案の定「知ってます。2年の時に担任でした。」と言うではないか…  私は絶望した。  どうしよう…口止めしないと…でも、今日再会したばかりで、私情を話して協力を仰ぐなんてちょっと厚かましいのではないだろうか…と考え込むが、そんなことも言ってられない。背に腹は代えられない。  私は意を決して、結城先生と付き合っていること、元生徒だっていうことを秘密にしているっていうことを、コソコソと拓士に耳打ちした。  「え?嘘、マジっすか?」  「そう、だから私たちは一緒だったってことにして欲しいの。」  拓士は「いいですけどー…これは貸しですよ。何かの折に返してくださいね」と悪戯に笑った。  この軽い男は、ついポロリと言ってしまうのではないかと不安になる。  それと同時に、なんだか弱みを握られたようで心地悪い。  「頼んだからね、絶対だよ…あと、さゆゆん先輩やめよ?紗雪でいいから…」  「ハイハイ、分かりました。紗雪先輩」  拓士は二つ返事で舌をペロッと出して、メニュー表の暗記を始めた。  浮かれてばかりもいられない状況になってしまった。  大丈夫かな…やらかしてくれるなよ…と、念を込めて私は拓士の背中を睨みつけた。
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