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「ふぅ、助かった。ありがとう…」と、私は大きく息を吐いてから、拓士にお礼を言った。
「また、貸しできましたね」と、拓士はニヤニヤと笑っている。
「もう!そればっかり…」私は拓士の腕に小さく拳をぶつけた。
「先輩は…お泊りの帰り?こんな時間に送ってくれないなんて先生と喧嘩でもしたんですか?」拓士は私の荷物を指さして、珍しく真剣な顔でそう聞いてきた。
「ううん、違うそんなんじゃない…」私は、俯いて答えた。
グゥゥゥー・・・
よりにもよって、沈黙したタイミングで私のお腹が盛大に鳴った。
そう言えば、何も食べてなかったな…
「ぷっ!メッチャでっかい腹の音!」
拓士はゲラゲラと笑い出す。
「シ!ちょっと声大きいって…」と、言いつつ私もつられて笑った。
そして「じゃ、帰るね。引き留めてゴメン。お疲れ」と拓士に手をふって駅の方へ向かった。
「…待ってよ」
十歩程歩いてから、私は拓士に呼び止められた。
「あー…えっと、何か…食べません?」
私が振り返ると、拓士は、なんだかバツの悪そうな顔をしてそう言った。
私は、拓士のそんな表情はあまり見たことがなかったので、一瞬戸惑った。
「こんな時間だし、コンビニでおにぎりでも買って食べるから大丈夫…」
私はそう言って断ろうとしたのに、拓士は私に近づいてきて、手に持っていた荷物を奪い取った。
「え?何?」
「俺、今日車なんで送ります。途中コンビニ寄ればいいでしょ?」
拓士はそう言って、駐車場に向かって歩き出した。
「え、ちょっと、待って…大丈夫だって…返して…」
私は慌てて荷物を取り返そうとするが、ヒョイっとかわされて弄ばれるだけだった。
そして「フフ…構いごたえあるわー…」と、拓士はまたいつも通りの意地悪な笑顔を見せた。
私は、この小悪魔の手の中でチクリチクリといじめられて遊ばれているのだ。
弱みを握られているだけに、逆らえないのが悔しくてたまらない。
「もう、本当にお子様…」
私がそう言うと、拓士は少し不満げな顔で「子供じゃねーし」と拗ねた。
「どーぞ、乗って?」
白いワゴンタイプの軽自動車。
私が後部座席に乗り込もうとすると「なんで…ってか、後ろ荷物で乗れないよ」と苦笑いされた。
後部座席には拓士の言うように、袋に詰められたバレーボールと、ボールかごなどの道具が積んであった。そして、拓士はその隙間に私の荷物を積み込んだ。
「そんなに敬遠しなくても何もしませんよ…」
「いや、そうじゃなくて…やっぱり私、地下鉄で帰るよ」
「遠慮しないでって、あー…あれか、先生?…ただのバイトの後輩相手に、先生ともあろう人が嫉妬なんかしないでしょ…ただ送るだけなんだから」
「うーん…」
「先輩、じゃ、これはさっきの貸しの分でチャラにしてあげます」
私はそう言われてしぶしぶ助手席に乗り込んだ。
すっかり拓士のペースだ。
バイトの後輩とはいえ、男の子と二人きりと言うのは避けたいんだけどなー…
車内はふわりと甘い香りがした。
先生の車とは違う、甘いフルーティーな香り。
カーステレオからは今どきのポップなウイスパーボイスの可愛い女の子の歌声が聞こえる。
「じゃ、発車しまーす」
楽しそうに拓士が車を発進させる。
段差や、曲がるときは慎重で拓士らしい運転だった。
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