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先生は私を見て「肩が泣いてる…」と言ってクスクス笑った。
「え?」
「大丈夫、予備あるから。」
「でも、私、弁償します。」
「いやいや、大丈夫だから。ちょうど、度数も合わなくなってきていたし…」
「でも…」
先生の優しい言葉に、私はだんだんと涙ぐむ。
「形ある物はいつかは壊れる、それがたまたま今日だっただけ」
先生はそう言って、私の手から壊れた眼鏡を取ると「それにしても、上手いこと足に当たってコントみたいだったね」と、またクスクス笑って「掃除終わったんでしょ?職員室寄ってから行くね。」と出て行った。
ポツンと社会科準備室に取り残された私は、大きなため息をひとつついて、足のつま先をじっと見つめた。
「『形ある物はいつかは壊れる』か…」
なんとなく、この言葉が心に引っかかった。
私に気を使わせないために言った言葉なのだろうが、先生らしからぬ言葉のように感じたからかもしれない。
いつも先生を見ていて感じることは、物をとても大切に扱う人だということ。
そんな人が、簡単に言い捨てられる言葉ではないと思った…
物よりも、人を大事に…
そんな風に思うと、また、好きがどんどん大きくなる。
どうしたって叶うはずがない。苦しいだけなのはわかっているのに…
いっそのこと、とことん子供扱いをして、叱ってくれたらよかったのにと思った。
そうしたら、少しくらいは嫌いになれたかもしれないのに…と。
*
思い出は芋づる式に呼び起こされるもので、先生と再会した日の夜、私は一睡もできなかった。
中学の頃、二年の時のあの時からは、ほどんど関わることはなかったけれど、その後も視界にとらえた時にはいつも目で追っていた。
思い返せば、今の私と同じ年だなんて思えないほど、あの頃の先生は大人だったように感じる。
9年経っても、ちっとも変わっていなかった。
相変わらず細身のウェリントン型の黒縁眼鏡がよく似合っていた。
優しい眼差し、人懐っこい笑顔、ゆったりと心地よく響く声。
少しだけ目じりに出来る皺が深くなってはいたが、それがまたたまらなく素敵だった。
風の噂で結婚したと聞いていたけど…
Tesoroの常連ってことは独身?
奥さんとうまくいっていない?
単身赴任?と言っても、異動は市内しかないはずだからそれはないか…
雅人さんに聞けばわかるのかもしれないけれど、それはなんだかルール違反な気がする。それに、雅人さんに先生のこと探ってると思われるのも嫌だ。
すっかり頭の中は先生のことでいっぱいになって、心がざわつく。
また会いたいな。
また来てくれるかな。
私は水曜日が楽しみで仕方なくなった。
そんな私の気持ちを他所に、翌週の水曜日、先生は来なかった。
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