正夫の朝は忙しい

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その日、王宮の周りは五千万人を超える群衆で溢れ返っていた。 全てこの城の主であるエリカに会うために集まった者たちだ。 皆それぞれ新しい国創りの設計図を持参している。 この中から一人だけがエリカに選ばれ、自分の持ってきた設計図で新しい国を創る事ができるのだ。 集まった者は皆、自分の設計こそが一番だという自信に溢れ。自分こそが新しい国創りを担うに相応しいと思っている。 この大群衆の中から果たして誰が、どうやって選ばれるのか。 自分の描いた設計図は盗作を恐れ、決して他人に見せる事はない。 従って設計図の内容は皆、自分のものしか分からない。 勿論、エリカに自分の設計図を見せた者などいる筈もない。 エリカはどうやってこの中から国創りに相応しい者を選ぶのだろう? それはここに集まった全ての者が疑問に思っている事だった。 そんな中、その大群衆に向かって放送が流れた。 「エリカはラウロを選んだ」 そういう放送だった。 その瞬間、五千万を超える人々の溜息と、納得できない怨嗟の声が響いた。 ラウロが選ばれた瞬間だった。 ラウロはごく普通の家庭に生まれた。 無口で厳格な父親と明るく優しい母親の愛情を一身に受け、幼年期を過ごした。 農業を営むラウロの家は豊かではなかったが、特に貧しいという事もなかった。 毎日、皆と同じように学校へ行き、帰ってからはラウロ一族の歴史を父から口伝で聞かされた。 何代も前から連綿と続く一族の歴史は、ラウロの先祖たちが実に様々な職業に就き、そこでそれぞれが目覚ましい功績を上げてきた事を物語っていた。 そんな一族に生まれた事をラウロは誇りに感じた。 それと同時に、先祖たちが自由に生きたこの国の在り方を望ましいものだと思うようになった。 そんなラウロは、成長していく過程である時から、自分は父とも母とも友人たちともどこかが違うと感じるようになった。 自分には何かが足りない。 しかしそれが何かは分からなかった。 それを感じ始めてから、自分にはいったい何が欠けているのだろうという思いで悶々とする日々を送るようになった。 ある日、ラウロは思い切ってそのことを母親に相談した。 母は一瞬驚いた表情をし、それから涙を流した。 「旅に出る日が来たわ、ラウロ。貴方はこれから国を創るのよ。新しい国を」 ラウロはその時、母親の言う事の意味が分からなかった。 その夜、ラウロは父と母から自分のするべきことについて話をされた。 ラウロは一族の中に時々現れる「旅人」だという。 「旅人」はずっとこの国で暮らす事を許されない。 時期が来た時、この国を出て、この国と違うところに別の新しい国を創らなければならない。 その新しい国創りは王宮で行われる。 新しい国を創る為に王宮へ向かうものを「旅人」と呼ぶ。 「旅人」として産まれた者は新しい国の設計図を描き、それをもって王宮へと向かう。 そこで自分の設計図が認められれば、新しい国がその旅人の描いた設計図通りに創られ、その設計図を描いた「旅人」は新しい国の創造主になるという。 ラウロはそういう宿命を背負って産まれて来たのだと教えられた。 「ラウロよ、お前は他の者が産まれながらに持っている設計図を持っていない。なぜならそれはお前自身が描かなくてはならないからだ。お前が感じる違和感は皆が元々持っている設計図を持っていないところから来るのだ。さぁ、描きなさい、設計図を。お前の理想とする国の設計図を描いて王宮へ向かうのだ。父さんと母さんの役目は『旅人』として産まれたお前が王宮への永旅に耐えられる丈夫な体と強い精神力を身に付けるよう育てる事だったが、それも今日で終わったのだ」 父は言った。 それから一週間、ラウロは家の手伝いもせず一人部屋に閉じ籠って新しい国の設計図を描いた。国のインフラや行政機関の仕組みは勿論の事、国民に定着させる価値観などその国に住む人々の根本的考え方まで設計し、その為の教育方針も定めた。 一週間後、出来上がった設計図を持ち、ラウロは家を出、「旅人」としての使命を果たす為に一人王宮へと向かったのだった。 ラウロは両親の育てた方針のとおり健康で頑健な体力と精神力を持ち、他のどの応募者よりも足が速く、積極的だった。 五千万人以上の応募者が四方から王宮に向かって押し寄せて来た時、一番先に王宮の門を叩いたのはラウロだった。 エリカは始めから、最初に門を叩いた者を選ぼうと決めていた。 群衆の中で最も果敢な者がそうするだろうと思っていたからだ。 しかし本当にそれで決めていいのか…。 エリカに躊躇が無かったわけでないが、そうする以外方法はないと思った。 各応募者が持っている設計図がどんなものかなんて分からないのだから、今それを考えても仕方がない。 五千万人を超える人々の持つ設計図を全て検討する等端から不可能だ。 ここは、事の本質とは関係のない基準で選ぶしかなく、およそ世の中の成功者はそういう風にして決まるものだ。 なんでもいい、エリカの思い付いた方法で選べばよいのだ。 「そう、それでいいのよ。ラウロの持っている設計図がどんなものかは分からないけど、どうせ誰を選んでも似たようなものに決まってる。勿論、皆同じだとは思わないし、本人達には強いこだわりがあるかも知れないけど、そんなの他人からしたらごく小さな違いだわ」 エリカは自分に言い聞かせた。 王宮の重厚な門が開いた。 五千万人以上の応募者から、ラウロ一人が入城を許され門は硬く閉ざされた。 門を入ったラウロは、後ろで門が閉じられた瞬間、体中にものすごい圧力が掛かるのを感じた。 自分の全てを包み込み全方向から自分に迫ってくるもの、ラウロの中心に迫ってくる何かがあった。 「なんだこれは」 ラウロは反射的に全力でそれに抗った。 だが暫くすると、その圧力の中にまだ見た事もないエリカを感じた。 冷静になってその圧力を感じてみると、それは圧倒的にエリカだった。 ラウロは抗うのを止め、体の力を抜いた。 その迫ってくるものはラウロの全て、体の中身までも包み込んだ。 「こんにちは、ラウロ」 「エリカ?」 ラウロの目の前に、一人の女性がいた。 少し赤みがかった黄色のドレスに身を包み、柔らかな表情をしたその女性がエリカである事は直ぐに分かった。 「私は貴方を選びました」 「有難う御座います。でも、何故私を選んでくれたんですか?」 「それは秘密。そんな事はもうどうでもいいでしょう。それより貴方の設計図を見せて頂戴。私達にはそんなに時間がないの」 「あ、はい」 ラウロは自分が設計した国の設計図をエリカに見せた。 「あら、私のとはずいぶん違うみたい」 「そ、そうですか」 「ええ、でもそんな事はいいの。貴方のと私のと、それぞれいいところを組み合わせて国の設計をするのだから」 ラウロはこの時初めて二枚の設計図を組み合わせて最終的な国の設計図が出来上がる事を知った。 「そういう仕組みなんですね」 「ええそうよ。皆自分の国の形に似た設計図を描くわ。だから誰か一人の考えた設計図で国を創ったら、その国に住む人がまた同じような設計図を描いて、結局どれもこれもみんな同じような国になってしまう。だから、私のものと貴方のものを合わせて、私のものとも貴方のものとも少しだけ違う国を創るの。そうすれば様々な国が出来るでしょ。農業の盛んな国、工業の盛んな国、芸術に秀でた国、疫病に強い国。そういういろいろな特徴を持った国ができる。そうすれば、この世界に壊滅的な災害があっても、どこかの国が生き残るかも知れない。そうやって私たちの祖先は生き延びてきたの」 「そういう事なんですね」 つまり、自分とエリカが創る国の設計図はまだ出来上がっていないという事だ。 「ではラウロ、さっそく始めましょう。設計図作りを」 二人はお互いの設計図を比べながら、それぞれの仕組みについてどちらかの考えを採用しながら新しい設計図を作り始めた。 ラウロにとって、自分が思ってもみなかった国の在り方を知る事や、これまで否定的に考えていたものもエリカの説明を聞いてそういう事もあるのだと思う事は、新鮮な喜びだった。 「ところでエリカ、さっきから外で鳴っているあの音は何ですか? どこかで工事でもしているような音だけど」 「ああ、あれはね、私たちが創る国の外側に保護壁を作っているの」 「保護壁?」 「そう、私たちの設計図が出来上がる頃、私たちは保護壁に守られながら別の場所へ移動するの。そこに新しい国を創る事になるわ」 「そうか、ここではない別の場所に新世界を創るんですね」 「そう、そこに私たちの創造した新しい国ができる」 ラウロは自分たちが今描いているものが本当に形あるものになるという事を実感し、胸が震える思いがした。 自分は新世界の創造主になる。 それは他に代えがたい喜びと、責任感を感じさせた。 「さぁ、もうあまり時間がないわ。急ぎましょ」 二人は力を合わせ、国の仕組みを細部まで設計していった。 それはやがてこの国に生きる事になる者たちにとって何が最適か考え、しかも他の仕組みと矛盾のないよう緻密に考えていくという困難で過酷な作業だったが、それを二人で乗り越えていく過程は楽しくもあった。 二人は、ラウロが絶対に譲れないところ、エリカがこだわるところ、それぞれを尊重し、あるところではお互いに譲歩し合って、二人が考える理想的な国を設計していった。 設計が終盤に差し掛かる頃、いきなり地面が揺れた。 「あっ」 ラウロはよろめくエリカを支えた。 「なんだ?」 「私たちはついに移動を始めたの。これから私たちの国を創る場所へ向かう事になるわ」 エリカは言った。 「そうか。もうその時が来ているのか。では急いで最後の詰めをしなければ…」 「そうね。もう少しね。頑張りましょう」 二人は最後の最後まで手を抜く事なく、細部に至るまで二人の想いを実現できる国にしようと設計を詰めていった。 そしてついに設計図は完成した。 「やったね、エリカ」 「ええ、やったわ。私達、ついにやったのよ。後は彼らに任せればいい。彼らがこの設計図どおり忠実に国を創っていくわ」 それまで気が付かなかったが、二人の周りには大勢の人間が待機していた。 これだけの人間がいつの間に集まっていたのか…ラウロは驚いた。 「さあ、これよ、これが設計図。これで私たちの国を創って頂戴。後は貴方たちに任せたわ」 エリカは出来上がったばかりの設計図を、待機していたものの長らしき人間に手渡した。 「かしこまりました、エリカ様。後は我々にお任せ下さい。しっかり創らせて頂きます」 そう言うと。幹部らしき数人と設計図を見た。 「ああ、ここは…こうされたのか。ここも、ここもか。これは素晴らしい。これはこれまでにない理想郷になりますね。な、そうは思わないか」 「うん、これは凄い。これは誰も思いつけない。これはいい」 「こんな国ならみんなが幸せに暮らせる」 設計図を見た幹部たちはみな称賛の声を上げた。 「エリカ様ラウロ様、こんな素晴らしい国を有難う御座います。これは私たちが責任をもって実現させて頂きます」 「頼んだわ」 建築部隊が設計図をコピーしそれぞれに回していると、ガクンと地面が傾いた。 「おおおっ」 「なんだ?」 続いてガン…ガン…と言う耳をつんざくような大きな音が二回鳴り響いた。 「何かしら? これはなんなの?」 エリカが不安そうな声を上げた。 いったい何事かと周りを見渡していたラウロが地平線の先に小さな異変を見つけた。 「おい、あれはなんだろう?」 皆がラウロの指差す方を見た。 地平線の一か所が崩れていた。 「防護壁だ、防護壁が破られた」 誰かが叫んだ。 「何? それはまずいぞ」 と先ほどの長らしき者が叫んだ。 そうかこの周りは防護壁で囲まれているんだった。 あれは防護壁の一か所が壊れたという事か。 ラウロがそう思っていると壊れた部分から、亀裂がものすごい勢いでこちらへ向かって来た。 「キャー」 エリカが絶叫する。 ラウロはエリカを支え逃げようと思ったが、エリカの足は防護壁の床に何故か張り付けられていた。 どうする? 亀裂はどんどん迫ってくる。 亀裂の入った防護壁の裂け目はどんどん広がっていき、裂け目の向こうに何かが見えた。 その瞬間、地面はその裂け目を下にするように大きく傾いた。 大きく開いた裂け目の向こうに何か黒い物が見える。 「おっとと」 「あ、あー」 「ああー」 「ぎゃー、落ちるー」 「助けてー」 エリカとラウロを取り巻いていた者たちが裂け目に向かって滑り始めた。 彼らは互いに命綱で結びあっているので、三分の一程度が滑り始めると残りの皆も引きずられる様に滑り始めた。 裂け目はさらに広がり、防護壁は完全にその役目を果たさなくなった。 突然の出来事に呆然とするラウロの脳裏に、エリカの言葉がこだました。 …この世界に壊滅的な災害があっても、どこかの国が生き残るかも知れない。そうやって私達の祖先は生き延びてきたの… 私の国を創る事は出来なかったのか…。 「ああー」 やがて防護壁はほぼ真っ二つに切れてしまい、阿鼻叫喚の中、建築部隊の連中は裂け目から下へ落ちていった。 そして、ついに、エリカとラウロも滑り始めた。 「私たちの国は、国は…。ラウロ、ラウロ。有難う」 それがラウロの聞いたエリカの最後の言葉だった。 エリカもラウロも、防護壁の床を滑り落ち、大きな亀裂から外へ落ちていった。 ジュウッと音を立てるフライパンに蓋をした。 透明な蓋が湯気で白くなる。 「よしっ」 今日は黄身を壊すことなくフライパンに落とす事が出来た。 暫くプライパンの様子を見ていると、チンと音が鳴ってトーストが焼き上がった。 正夫はトースターからパンを取り出すと皿に乗せ、先ほどからジュウジュウと音を立てているフライパンからハムエッグをすくい上げその上に乗せた。 今日は綺麗にできたな。 そう思いながら、五分で朝食を摂る。 正夫の朝は忙しい。
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