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12
次の日、英の体調は点滴のおかげかすぐに良くなった。しかし、稽古に行ってみても英を迎えたのは「何しに来た」の辛辣な言葉だった。冷たく鋭い月成の視線に一瞬怯んだが、ここで諦めては一生月成作品には出られない、と確信し、意地でも残ることにする。
仕方なく英は端っこで稽古を見学をした。
「ちょっと! ここはあんたが来てくれないと困るんだけど!」
途中で、小井出がイライラしたように怒鳴った。別段おかしなところはなかったようだが、その一言でまたかよ、とキャストの士気が下がるのが分かる。
しばらく見ていて分かったが、これはこのメンバーの粗だ。小井出が何でも自分中心で走り、周りはそれに戸惑っている。信頼関係の状態が見えるようで、英はその様子を見守る。
「さっきは来るなって言ったじゃないですか」
「それくらい、臨機応変にできるでしょ? これだから素人は」
素人扱いされた若手はさすがに頭に来たのだろう、月成に助けを求める。
「監督! ずっとこんな調子じゃ、稽古も進みません、何とかしてください」
「……お前は、本番中に不測の事態が起きても、フォローできずにおろおろするだけだな」
月成の言葉は予想していた。助けを求めた役者は、悔しそうに唇を噛む。
しかし、それ以前の問題だと英は思わず口を挟んだ。
「でも、お互いの信頼関係がないのなら、アドリブも利きません。小井出さん、どうせアドリブを試すなら、周りの反応を見てからの方が良いんじゃないでしょうか」
さすがに今の言葉で小井出のプライドを傷つけてしまったようだ、「外野は黙ってろ!」と一喝される。
「おいたんぽぽ、余計な事するんじゃねぇ」
そしてやっぱり月成には睨まれ、不本意ながらも引きさがるしかなかった。
すると、今まで黙って見ていた笹井が口を開く。
「監督。やはりこの時点でキャストを変えるのは無茶な気がします。俺も正直英との方がやりやすいし……他のキャストもそう思っています」
英は嬉しかった。笹井の言葉を聞いて、みんながうなずいてくれたのだ。
「みんな……」
やはりこのメンバーで、月成作品を完成させたいという気持ちが、英の中に戻ってくる。
「……俺たちはそうは思ってないぜ」
ぽつりと冷たい声がして、みんなが一斉にそちらを見る。英は、やっぱり、と嫌な視線で見てくる彼らを見返した。初めから友好的ではない小井出の取り巻きは、今までも細かい嫌がらせをしてきている。
「こんなド素人を月成作品の主役にしなくても良いと思う」
「そうそう、遥の方が役に合ってるし、演技力は言うまでもないしね」
「大体お前、養成所の成績も最下位じゃねぇか」
取り巻きの最後の言葉に、稽古場がざわついた。知られたくないことをばらされ、カッと頬が熱くなる。
養成所での成績が悪かったのは事実だ。しかしそれは顔で成績を決めるという、悪評高い講師の付けたものだったが。それでも卒業時にはそれが成績になるし、自分が上手いとも思っていない。
「養成所の成績はあてにしないって、Aカンパニーではそうなってるはずだろ」
同期の笹井がフォローしてくれる。成績の話は、同期なら全員がお互いのことを知っているのだ。
そういう笹井も、下から数えて二番目だ。
月成は表情も変えず、事務的に告げる。
「…………シーン七十二、小井出との掛け合いが上手くいくまで通せ」
「監督!」
笹井が叫ぶ。何が何でも、月成は自分の意見を曲げる気はないようだ。
「聞こえなかったか? さっさとやれ!」
月成の機嫌が悪いのは誰が見ても明らかだった。だが、どうしてそこまで英を邪険にし、小井出を推すのか分からない。
結局その日、シーン七十二の成功は出なかった。
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