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 コーナーにボールをおいて、相手チームのゴール前を睨んだ。ユーズの選手は我々のゴール前にいる二人のフォワードを残して、全員が下がり、守備をかためている。我らノーザンプールも、キーパーとセンターバック以外、全員がゴール前に散らばり、得点のチャンスを逃すまいとしていた。  コーナーキックを促す笛が鳴り、私は勢いをつけて、ボールをゴール前に蹴った。ボールは私の予想どおりにやや高めのコースを飛び、赤い髪の頭に着地する。  飛びあがっていたレインは、全身を折り曲げて、プールに飛び込むようにそれを頭で押し込んだ。  ゴールを認める笛が鳴り、スタジアム中が轟音で揺れた。今期初得点である。 「やったぜ!!」  興奮に湧く観客席に駆け寄ってガッツポーズをするレインに、チームメイトが抱きついて祝福をする。私も彼の頭を撫でた。  電光掲示板を見れば、三十分を過ぎていた。いい時間帯だ。このまま一点を守って前半を終了すれば、良い状態で後半に専念できる。  ベンチにいるバーン監督に目をやれば、周囲がはしゃいでいるにもかかわらず、普通に座っていた。両腕を膝におき、背中を丸めて、深々と腰を沈めている。とても静かだ。  私は了解した。長いシーズンの幕開けなのに、最初から浮かれていては仕方がないのだ。  ゴールが決まったので、再びセンターサークルから試合が始まった。相手チームのボールである。ユーズの選手たちはシューズにイカロスの翼でも生えたのか、太陽にでも駆けあがっていくような勢いで、我々のゴール前に突撃する。しかしノーザンプールのディフェンダー陣に、全ての翼をもぎ取られてしまった。  まもなくアダムス審判が前半の終了を告げ、ハーフタイムに入った。我々はサポーターたちの拍手を背に、ドレッシングルームへ戻った。そこで水分を補給し、疲弊した肉体を休めた。すぐにバーン監督も現れた。 「みんなよくやった。この調子で、次の後半戦も戦おう」  監督の指示で、中盤と守備の連携を若干手直し、ドレッシングルームを出た。 「見ろよ、ヴィク」  ペットボトルを口にあてたポーティロが、私と肩を並べると、顎をしゃくった。その先へ視線を流すと、我々の後ろから、監督と日本人の彼が一緒に歩いてきた。ポーティロが言わんとしたことを嗅ぎとって、首を横に振った。 「交代ではないだろう」 「そうか? 監督はいやにあいつの肩を持っているぜ」 「それは、バーン監督を馬鹿にしているのかい?」  どれだけ能力を秘めていようとも、合宿やリザーブの試合でろくにその片鱗も見せなかった選手を起用するはずがない。ポーティロの言葉は監督に対する侮辱である。 「まさか。尊敬しているさ」  口元を手の甲でぬぐって、私をじろりと睨んできた。 「余計なことを考えていないで、試合に集中しよう」  ポーティロは肩をすくめた。  後半戦も我々に有利な展開で終始した。二十五分過ぎ頃には、ゲイリーが豪快なミドルシュートを決め、スタジアム中がお祭り騒ぎになった。  四十分を過ぎたあたり、ユーズの選手からも諦めの匂いが濃くなった頃、ボールがタッチラインの外へ出た。ユーズの選手が出したので、我々のボールである。ケリーがスローインをするために走っていた時、選手交代が告げられた。  交代はノーザンプール。掲示板は、背番号七番と二十一番とある。七番はレイン。二十一番は、あの日本人だ。  チームのベンチから、小柄の赤いユニフォーム姿が出てきた。相手のゴール前にいたレインは、小走りに彼の元へ駆け寄ると、気安げに手を叩きあい、背中を軽く押す。サポーターたちがレインの交代に惜しみない拍手をした。レインと入れ替わるようにピッチに出た彼は、脇目もふらずケリーがボールを投げる近くまで走っていった。  ケリーは両腕を伸ばし、ボールを高く掲げた。  咄嗟にスターンが走り出て、釣られるようにケリーはボールを投げた。  スターンは足下でボールを転がし、猛然とドリブルで突破すると、ゲイリーへあわせた。  ゲイリーは後ろ向きでボールを受けとると、つま先で弾き、半回転して、相手陣営のゴールに突進する。その間ユーズのディフェンダー二人を置き去りにした。  ゲイリーはいい角度からシュートした。しかしユーズのゴールキーパーが直感を閃かせて、横滑りに飛び、拳で弾く。ボールは右サイドのコーナー付近へ転がった。すると、その先に彼がいた。  彼はゴールポストへ姿勢を傾けると、力強くボールを蹴った。ボールは美しい曲線をえがき、地球の引力に従う。何もなければ、そのままゴールネットに飛び込むはずだったに違いない。  しかし、ゴールキーパーが重力に逆らい起きあがった。ボールは突然出現した壁にあたり、方向を変える。そばにいたディフェンダーが、慌ててラインの外に蹴りだした。  すべて、一瞬の出来事だった。サポーターのため息が長い尾となって、スタジアムを一周する。アディショナルタイム前に三点目が入ったら、決定打となっていた。  彼はその場に立ち、ボールが消えた方向を見つめている。手が拳を握っているので、悔しいのだろう。まだ少年の顔立ちがしかめっ面をしている。私もボールのあとを辿りながら、静かに驚いていた。いつのまにかボールの前に躍り出ていた彼の俊敏さに舌を丸めた。まるで気配を殺した動物のようだった。  結局、試合は二対〇で終了した。  開幕戦を勝利で飾ることができて、チームはもとより、サポーターも大いに喜んだ。勝どきを祝う大合唱がうねり、私たちは手を叩きながらピッチを後にした。通路では初得点を決めたレインが取材を受けていた。  ドレッシングルームへ戻ると、バーン監督やコーチたち、クラブ関係者が集まっていて、私たちと勝利を祝いあった。エヴァンスマネージャーもいて、満足そうな笑みを浮かべている。前期の開幕戦と同じ光景だ。 「やったな、ヴィク。もっと嬉しそうな顔をしろよ」   ゲイリーが私の頭に手をおいた。 「もちろん、喜んでいるよ」  私はその手を払いのけた。子供のような扱いは真っ平である。 「それにしちゃ、浮かない顔をしているな」 「君がきちんとシュートを決められるか心配していたのさ。まるで赤ん坊が初めてミルクを飲むのをハラハラしながら見ている父親のような心境だったよ」 「おいおい、子供扱いするなよ。俺はちゃんと一人でトイレにだって行けるんだぜ」  私たちは笑いあった。  バーン監督が手を叩いた。 「みんな、よくやった。我々のサッカーができた。この調子で次の土曜日も戦おう」  監督の言葉にチームメイト全員が頷いた。開幕戦での勝敗は、チームの心理状況に深い影響を及ぼす。幸先の良いスタートだ。  ドレッシングルームがまた賑やかになった。エヴァレットやスターンとも手や肩を叩きあって、健闘を讃えあった。レインはみんなから髪の毛をぐちゃぐちゃにされ、ひどいことになっている。  私はそれとなく室内に目を散らした。チームメイトが騒いでいる中、黒髪の小柄な青年は隅にいた。一人だった。  彼がチームの勝利を歓んでいるのかどうかは、その無表情な面からは少しもわからない。ただ目の前で繰り広げられている様子を、じっと眺めている。 「ヴィク!」  私は目を伏せた。歓び方を思い出すのに、しばらく時間がかかってしまった。
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