第6章 第1話

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第6章 第1話

 月曜の朝になったから、私はまた会社へいく。 働いて仕事して稼いだお金で、おじいちゃんの作品を取り戻す。 それが私の働く理由。  一週間がまた過ぎた。 今日もきっと、オークション会場には誰かの作品が並び、それを競り落とす人がいる。 全てが本当だと信じている人々の狂乱の渦に、それはニセモノだと叫んでも決して届かない。 おじいちゃんの庭で、美しく咲き誇る白薔薇に、水をまいていた手が止まる。 秋まっただ中の澄んだ空がどこまでも高く広がる、よい天気だ。 私の上に降りそそぐ太陽の光だけは、せめて本当の光であってほしいと願う。  白バラの生け垣の向こうで、人の気配がした。 卓己かなと思ったそれは、やっぱり卓巳だった。 彼はいつものように、両手に食品の大量に入った袋をぶら下げている。 そのまま入ってくるだろうと思っていたのに、彼は朽ちかけた門の前でうろうろと迷ったあげく、くるりと背を向けた。 「何よ。入るなら入って来なさいよ」  私の存在に気づいていなかったらしい彼は、全身をビクリと震わせた後で、いつものぎこちない笑みを浮かべた。 「う、うん……」  もぞもぞと門をくぐって来た彼から、その荷物を受け取る。 「ありがと」 「……。うん」  いつもなら、そのままぺちゃくちゃおしゃべりしながらキッチンに入り、勝手に冷蔵庫の中身を整理して、ぶつぶつ文句を言いながら絡んでくるのに、今日はいつまでもその場でもぞもぞと突っ立っている。 「なに? どうしたの?」  彼は黙ったまま激しく首を横に振ったかと思うと、うなだれたままじっとしている。 「私、まだ水やりが終わってないんだよね、庭を片付けてくるから、こっちはお願いしていい?」  屋外のテーブルに置かれた、買い物袋に目を向ける。 彼は言葉を探しながら散々ためらった後で、ムッとしたようにそれを掴んだ。 開け放したままのテラスから、家の中に入ってゆく。 「なんだアレ」  まぁいいや。 今日は卓己の機嫌が悪い日。 それだけのこと。 「紗和ちゃんは、ちゃんとご飯食べてる?」  庭の片付けが終わるころ、テラスから卓己が顔を出した。 「冷蔵庫の中身が減ってない」  まだ不機嫌そうな卓己は、再び奥へと引っ込んだ。 このままリビングに戻って、いつものように卓己の小言を受け流しながら、いつもの休日が終わるんだ。 そう思っていたのに、リビングに戻った私を待っていたのは、ムッツリとしたままの卓己だった。 何を言ってもどう聞いても、もぞもぞと「うん」としか答えない。 卓己は今日は、本当に何をしに来たんだろう。 私は諦めて、ワザとらしい盛大なため息をついた。 「ねぇ、何か言いたいことがあるなら、さっさと言ってくれる?」 「う、うん……」  彼はやっぱりうつむいたまま、顔を横に背けた。 私はじっと彼が何を言うかと待っていたけど、全く口を開く気配がない。 「用がないなら帰って!」  その瞬間、彼はガバッと立ち上がり、逃げるように玄関へ向かった。 オタオタと靴を履く背中を見ていると、ふいに卓己が振り返る。 「さ、紗和ちゃんは、ほ、他に……」  彼は強く頭を横に振った。 「ううん。違う。ほ、他に、僕以外に……、だ、誰か……! ううん。ほ、他に、てゆーか、お、俺はもう……」  散々言いよどんだあげく、大きく息を飲み込んだ彼は、真っ赤な顔で叫んだ。 「なんでもない!」  そのまま飛び出していった彼を、イライラと見送る。 卓己のことは、いつにまでたっても分からない。 幼なじみで、何でも知っていて、全て分かっているようで、何一つ理解できない。 彼はそんな私のことを、どう思ってるんだろう。 いつまでも家族のような関係でいることに。 私はもう、そこから出て行こうと決めたのに。  白薔薇園の垣根の向こうに夕日が沈む。 また明日がやってくる。 私はきっと、ずっとこの場所にいて、誰もいない空っぽの家で、埋められない何かを埋める努力をし続けなければならないのだ。  秋の西日がテラスから差し込む。 卓己の置いていったビニール袋の輪郭を、ゆっくりとなぞってゆく。 流れてしまった時の長さを、改めて思い知らされたような気がした。
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