ハンプティダンプティ、誰も元へは戻せない

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 春は桜が舞い落ちてからが本番なのかもしれない。  ひらひらと落ちる桜の花びらは、まるで新しい世界へ続く扉のベールを剥ぐよう思えた。  そんな眩しい春嵐の中を、彼はとびきりの笑顔を浮かべて駆けてきた。 「なに、話って」  やってくるなり彼は私の前にどっしりと直立した。人目をはばからず仁王立ちをキメた。私は彼の顔を見ることができなかったので、肩幅以上に広げた足の角度から彼がドヤ顔であることを推測した。私の視線はどっしりと広げている両足の付け根に釘付けだった。  高校は始まったばかり。クラブ活動も本格的ではない四月上旬の放課後は、まだ親しい友達も作れていないせいか、授業が終わるとみんなをすぐに学校から帰らせていた。  ひと気のない校舎裏は、桜の花びらが舞い落ちる音が聞こえる気がするぐらい静かだった。私の鼓動が彼に聞こえるんじゃないかと心配になった。 「うん。ちょっと、みんなの前で、言うのは、ためらわれたわけ、です」  私が言い淀んでいるさまを彼は愛おしそうに見ている気配がした。私はまだまともに彼の顔を見ることができていなかった。  私は大きく息を吸い込んだ。お腹を膨らませ、春の新鮮な風で肺をいっぱいにした。春の風は新しい世界への味がした。 「あの」  私の言いたいことは、胸の中で、心の中で確かに言葉になっていた。しかし、それが喉につっかえて口から彼の所へと飛び出してくれなかった。この胸のモヤモヤはなんだろう。初めて知る感情に私は少しイライラした。  彼は仁王立ちで待っていた。私の言葉を待っていた。私は視線を、仁王立ちでどっしり広げている足の付け根から彼の顔へと移した。彼は笑っていた。私を愛おしそうに見ている気配は概ね正解だった。
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