31人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
よりを戻して二ヶ月。診療所では村人の健康管理と維持に協力し合う二人が、週末になると熱い想いを交わす恋人になる。
逢瀬の場所は、成瀬の自宅。
松岡はまず、母屋へ立ち寄り大家と世間話をしたのち恋人の元へ向かうのだが、毎週足繫く通うことに気が引けて(成瀬がゲイだと公表しているため)裏口から忍んで来ることもあった。
そんな時の彼は、いたずらをした子どものような顔で「直接来ちゃった」と苦笑し、出迎えた恋人を抱きしめる。
休耕地に植えられた梅の木々が凛とした花を咲かせるこの時期、松岡の体は冬の名残を感じさせる外気の香りを含み、頬を寄せると吸い付くように冷たい。寒い中、わざわざ逢いに来てくれたことが申し訳なくも嬉しい成瀬は、体温を分けるためにピッタリと体を寄せるのだった。
月日が経つと、成瀬の心情に変化が現れた。
これまで死んだ恋人の思い出を縁に生きてきた彼は、松岡を受け入れたのちも踏ん切りがつかずにいた。甘えたくても塔矢の影が ちらつき心を完全に開くことができない。そして何より、相手を失った時のショックを考えると胸に飛び込むことに躊躇する。奈落の底に突き落とされるようなあんな思いは二度と御免。しかも、それを初恋と次の恋でも経験した成瀬は愛される歓びより悲しみの比重が重くて、【のめり込むのは危険】と心にストップをかけていた。
しかし、愛される充足感や甘えられる心地よさ、心の拠り所を得た安堵感を一度味わってしまうと、辛かった思い出が霞んでいく。しかも、肌を重ねる時には愛される歓びと劣情を感じて身も心も蕩けてしまう。
そんな成瀬の変化を知ってか知らでか、恋愛においてサディスティックな一面を持つ松岡がこんな意地悪な質問をしてきた。それも、最中に……
「おれのこと、どう思ってる?」
荒々しい息遣い、しかも聞きなれぬ人称で尋ねられた成瀬は体を熱くしながら「すき」と答える。
「愛してる?」
『愛している』なんて歯が浮くセリフ、塔矢にも言った記憶がない成瀬は頷くだけにとどめた。すると、「ねえ、どうなの?」と、入れっぱなしの杭を揺さぶってくる。60歳とは思えぬ精力に呆れながら「愛してます」と絞り出すような声音で答えると、普段は紳士で言葉を選ぶ松岡が邪神に変わった。
「彼より?」
「えっ……」
「だから、彼よりもかって聞いてるんだ」
「それは……」
「はっきり答えて」
「…… 」
「そこ、嘘でも『yes』と言うところなのに」
「相変わらず つれないな」と、抗議するように感じる箇所を抉られた成瀬は首を打ち振った。
「イヤっ…… 先生…… 」
「わかってる、そんなこと。死んだ人には敵わないっていうのは定説だから」
意地悪なことを言われたうえ、下半身が燃える様に滾ってきた成瀬は、涙を滲ませながら松岡の腕に爪を立てた。
「俺には…… 先生しか」
「そう言ってくれて嬉しい、君の支えになるのが願いだったから。でも、君の心は今も閉じたままだ」
「そんなこと……」
「また大切なものを失うんじゃないかと怯えているように見える」
その言葉に成瀬の瞳が見開いた。松岡は誰にも明かしたことのない不安に気づいていた。
「だから、僕は訴えたい。心配しなくていい、ずっと傍にいると」
「どうして言い切れるんです?」
「自信がある」
「自信って……」
根拠のないことを言われた成瀬は首を振ると、
「人生何が起こるかわからない。病気をしたり事故にあったりするかもしれないのに」
「極力気をつける」
「奥さんがいながら恋愛してたくせに」
「ここで君以外の誰がいるっていうの」
「そんなの知りません」
「永遠の愛を誓うよ」
【永遠の愛】などと歯の浮くセリフを言われた成瀬は呆れて押し黙り、松岡は静かに、しかし熱く訴えた。
「信じて。もう悲しい思いはさせない」
「……」
「ならどうすればいいの? …… あ、そうだ」
と、妙案が思いついたのか、その顔が一転する。それは、宝物を見つけた子どものような表情で……
「君をパートナーだと公表しようか」
最初のコメントを投稿しよう!