2人が本棚に入れています
本棚に追加
「ちょっと、どきなさいよ」
昼下がりの市場、あたしは人を押しのけて道を急ぐ。
鏡を宿に置いてきたから、一秒でもはやく宿に帰りたかった。
いつもは持ち歩いてるんだけど、さっき盗みに入ったのは数階建ての集合住宅。壁をよじのぼるときに割れたら大変だと思って、隠しておいた。
部屋に飛びこんで、息をきらして床板をはがす。
「ただいま、貴公子さま……」
心臓が冷えた。笑顔が凍った。
ない。
鏡がない、消えてる。
「う、嘘、そんなわけない。しまうところ間違えただけっ」
部屋じゅう引っかきまわしても見つからない。あたしは髪をかきむしって絶叫した。
「泥棒、泥棒よ! あたしの鏡を、あの人を盗んだのは誰!?」
廊下に転がり出ると、下の階が騒がしかった。怒鳴るような声、足音がたくさん。
もしかして、泥棒がつかまったの?
すると誰かが階段を駆けあがってきて、ひらりと姿をあらわした。
「あっ……!」
あたしは雷に撃たれたみたいに立ちすくむ。
紺色のマントをなびかせて、貴公子さまがそこにいた。
深い青の瞳、亜麻色の髪。
すらっとした身体。
あたしを虜にした姿そのもの。
現実でも鏡の中でもどっちでだっていい、目から涙が噴き出した。
「よかった、会えた、また会えたね! もう二度と離れないから。あたしの、あたしだけの……」
よろめく足を踏み出した瞬間。
彼が優雅にサーベルを抜いて、あたしの鼻先に突きつけた。
あたしは彼を見る。彼もあたしを見てる。
夢にまで見た美しい唇が、はじめての言葉をくれた。
「都市保安隊だ。連続強盗殺人の罪でお前を逮捕する」
最初のコメントを投稿しよう!