リーザと鏡の貴公子

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 保安隊員のイアンは、犯人の女が意味不明なことをわめきながら馬車に押しこまれるのを、冷たい瞳でながめていた。  上官がふざけて脇を小突く。 「お前にむかって騒いでたぞ、友人か?」 「まさか。あんな頭のおかしいやつは知りません」 「たしかにどうかしてる、服についた血痕も落とさないとは。盗品が回収できず残念だが……」 「どこかに貢いでいたのでしょう。よくある話です」 「それにしてもお手柄だな、イアン。お前の読みが当たった。転属早々昇進があるぞ」 「よしてください、俺は職務を果たすだけです」  馬車が走り出し、犯人の叫び声が尾をひいて消えていく。  上官はイアンの肩をたたいて笑った。 「すぐ絞首刑だ。善良な市民のために、町を清潔にしないとな」  イアンは無言でうなずいた。  あまり感情を表に出さない性格だが、「昇進」という言葉には頬がゆるみそうになった。それこそが求めているものだから。  もともと彼は、地方警察の書記にすぎなかった。  大都市の保安隊への昇格をねらっていたが、厄介なことに彼よりも優秀な同僚がいた。野心家のイアンは彼の評価報告書に手をくわえ、自分が選ばれるように工作し、涼しい顔で都へやってきたのだった。  この都に配属されて以来、うまくふるまっている。ヘマさえしなければ未来は明るいだろう。  言い寄ってくる女を遠ざけているのは、上官の心象をよくして縁談を持ちかけやすくするためだ。コネを足がかりにして上流社会に食いこみ、いずれは政界で身をたてる……  彼は野望を秘めて勤務を終え、官舎に戻った。  平隊員でも部屋は広く、清潔だ。今も田舎でくすぶっているかつての同僚を思うと、書類を改ざんしたときの高揚がよみがえった。  あいつを下げてやったあの瞬間、俺は笑っていただろうな。 「そうさ、こんな具合に」 と鏡へ微笑みかける。  スタンドつきの丸い鏡で、薔薇の銀細工で飾られている。今日逮捕した犯人の部屋にあったものだ。先乗りで捜索した際、床板をはがして発見した。  われながら信じられないが、なぜか喉から手が出るほど欲しくなり、危険をおかして持ち帰ってきてしまった。  こうして見ると平凡な品だ。一体どこにあれほど惹かれたんだろう?  考えこんだ、そのとき。  見慣れた自分の顔が、いきなり形を変えはじめた。 「な、なんだこれは?」  イアンは驚いて身体をひく。しかし目をそらせない。  鏡に魅入られた彼の前で、見たこともない美女の姿が、ゆっくりと浮かびあがってきた。
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