リーザと鏡の貴公子

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 もう馬車も通らない、三日月の真夜中。  シルクのガウンを羽織って髪をとかしてたら、騒々しくドアがひらいた。 「リーザ、帰ったぞ! いい子にしてたか」  戸口でわめき散らすのは、すっかり酔っぱらった大男。あたしのご主人さまだ。 「おかえりなさい、ヒューゴ!」  あたしは駆け寄って、ヒゲだらけの顔にキスをそそぐ。ワインのにおいで窒息しそう。 「お仕事お疲れさま。ずいぶん盛りあがったみたいね、帰ってこないんじゃないかと思った」 「バカ言え、お前を忘れるもんか。女房のツラは夢にも見たくねえが」 「やめて、奥さんのこと話しちゃイヤ」 「わかったわかった。ほらよ、おみやげだ」  彼は赤ら顔で笑い、平べったい包みを押しつけてくる。  布をほどくと、銀色がピカッとかがやいて、まばたきするあたしの顔を映し出した。 「鏡? あたしに?」 「金返せねえってほざく客がいてな、銀細工の工房を根こそぎ差し押さえたんだ。いちばんマシなブツを持ってきたぜ」  得意げなヒューゴだけど、その鏡はひたすら古臭かった。大きさは中途半端だし、スタンドの角度が調節できないし、薔薇のかざりもわざとらしい。  ぜんぜん好みじゃない。正直いらない。  まあでもあたし愛人歴長いから、いろいろ慣れてる。無邪気な笑顔をつくって甘い声をあげた。 「わあ素敵、ちょうどこういうの欲しかったの! ヒューゴすごーい、愛してるっ」 「よしよし、かわいいやつだ」 ってお尻に伸びてきた手をつかまえて、彼をベッドにほうりこむ。倒れこんだところを布団でぐるぐる巻いたら動かなくなった。これくらい酔いつぶれてくれると相手しなくていいから楽。 「いっちょあがり! さて、おやすみメイクしよっと。新しいクリームどうかな、この前のいまいちで即捨てたんだよねー」  あたしはにっこりして、自分の聖域・ドレッサーにむきなおった。  あたしの生きがいは、思いっきりおしゃれしたり、きれいなものを集めること。高級コスメもドレスも靴もアクセサリーも、ぜんぶ大好き。  で、すごくお金がかかる趣味だから、てっとりばやく愛人やってる。  十五才のときから何人も男を乗り捨ててきた。ヒューゴはかなり上玉だ。法外な利子と恐喝すれすれの取立てのせいで「地獄の金貸し男」って陰口たたかれてるのも気にならない。  お客の破産とか一家離散とかのニュースも、ふーんって感じ。誰が苦しんだって関係ない。あたしにとってヒューゴは、稼げて頼れる最高の男だ。 「センスはちょっとアレだけどね。どうなの、この鏡?」  あたしは謎のプレゼントをのぞきこんで笑った。  自慢の顔が微笑みかけてくる。はち切れそうな若さと美貌。お手入れした肌がしっとりキラキラして、やったーあのクリーム大当たり!  勝利の快感に酔った、そのとき。 「あっ!?」  鏡の中のあたしの顔が、いきなり変わりはじめた。 「え、嘘、やだ」  びっくりして頬にさわってみたけど、現実のあたしは変化なし。異変は鏡の中で起きてる。誰かの姿がどんどん浮かびあがっていって……  宝石みたいなブルーの瞳が、そこにあった。  若い男の、ななめから見た顔。どこか遠くをながめてる。高い鼻すじ、上品に閉じた口。細い輪郭に男の子っぽさが残っててドキッとした。  束ねた髪は波うつ亜麻色で、シャツから伸びた首がまぶしい。あたしより美肌。  あーこれは美麗すぎる、作り物でしょ。  って思った瞬間に顔がこっちむいて、あたしと目があった。  たしかにあった。  絶対あった、ほんと! 気のせいじゃない! なんで必死になってんだろうあたし。  ちょっと冷静になったとたん、彼の姿がボヤッとにじんだ。 「待ってよ貴公子さま、行かないで!」  あたしの叫びを無視して、鏡はただの鏡に戻った。  放心状態の自分と見つめあう。ひとりごとが震えた。 「す、素敵な人……」  あんなのぜったい貴族だし。シャツの衿がフリフリしてたし似合ってたし。うしろでいびきかいてるおっさん(ヒューゴ)とか完全に過去になった。 「今のどういう仕掛けよ。どうやったらあの人に会えるのっ」  鏡を手にとろうとして、あることに気づく。 「あれ、指輪どこやったっけ」  大きなサファイアのついたお気に入り。はずしてトレーに置いてたのに、床にも落ちてない。重いやつだから簡単に転がってったりしないはず。  あたしはハッと鏡をにらんだ。 「もしかして、あんたが盗ったの? タダじゃ見せないってことね」  宝石箱からアクセサリーを引っぱりだして、鏡の前にたたきつける。  思ったとおり、愛しの彼の横顔が浮かんできた。  長い髪をほどいて、さっきよりくつろいでる。背景ははっきりしないけどきっと自宅だ。ひとりきりみたい、よかった。  ドキドキして見入ってると、彼が身を起こして、ロウソクの火に顔を近づけた。 「あ……」  まだ消さないで。  あたしは思わず手を伸ばした。でも、なにもとどかない。彼がふっと息を吹きかけて、鏡のむこうが暗くなった。  すんなりした唇の動きが心に焼きつき、その夜あたしは眠れなかった。
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