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一輪目『現実の恋とは残酷なもの』
ああ、本当に腹立たしいことこのうえない。
よりによって彼女は、何故あんな男と。
あんな、軽佻浮薄が服を着て闊歩しているような――。
国立桔梗大学――高校卒業から進学した未成年だけでなく、社会人になってからも大学院進学から資格取得、キャリアアップなどのために入学してくる幅広い世代に人気の有名校だ。
無垢な雪色に染まった白亜の大学キャンパス内に、美しく咲き乱れる桜の道。
新たな春を歩む老若男女の学生達を歓迎するように、満開の桜の花びらは、春爛漫と舞い踊る。
しかし、キャンパス内に温かく満ちる春にそぐわず、明らかに不機嫌な表情の男子学生が一人。
大学敷地内に点在する中庭のベンチに背筋を伸ばして行儀良く座っているのは、理工学部所属・社会人コースの二回生『木下雅(二十五歳)』。
傍から見ての通り、雅はたった今臓腑が燃え上がるような苛立ちや衝動と奮闘している最中だ。
膝横に広げられた分厚い教科書にも目をくれず、雅の鋭利な視線が射止める先に見えるのは――。
「ほら見てごらん、ゆかりちゃん。あの少し咲きかけの桜の花、綺麗だね」
「ええ、本当に綺麗」
雅のいるベンチからやや遠くに見える中庭の湖畔には、親密そうに身を寄せ合う一組の男女。
紳士的な手付きで男子学生に肩を抱かれ、甘えるようにしだれかかっている女子学生。
彼女は、流麗な樹の幹のように背が高く枝のように華奢だ。
肩口でふわりと揺れる巻き髪は、花びらのように柔らかで。
雅の眼差しが一瞬だけ捉えた横顔も、目鼻立ちがすっきりしており、遠目からも彼女が美人であることは窺える。
中庭の湖畔で逢引きするカップル、と二人を遠目から睨みつけている雅の姿。
他人から見れば嫉妬に燃える恋敵かストーカーと見間違うだろう。
しかし厳密に言うのならば、雅の血走った瞳が睥睨しているのは、彼の可憐な美人女学生ではなく隣の――。
「とても綺麗なのに、どこか初々しい色合いをしている……まるで君のようだ」
「そんな、伊佐田君ってば。恥ずかしいよ」
「僕は素直に思ったことを言っただけさ。ゆかりちゃんは、本当に綺麗で可愛いよ」
「伊佐田君、私……」
ゆかりちゃん、と呼ばれた女性を覗き込むように見つめながら、歯の浮くような甘い口説き文句を臆面もなく並べる男子学生は――。
同大学のこころ学部・精神心理学科所属の四回生『伊佐田智治』。
日本人男性の平均を超える長身、すらりと伸びる手足も、嫌味なほどに真っ直ぐで美しい。
女のように色白で痩躯なくせに、その顔立ちは精悍な美しさと少年らしいあどけなさが、憎たらしいほど絶妙な調和を保っている。
耳の上でゆるりと舞うミディアムショートの髪型は、シンプルでありながら決して地味ではなく。
むしろ、伊佐田という男の紳士然としたで誠実そうな魅力を引き出している。
伊佐田の瞼や耳元で、桜の花びらと共にふわふわ揺れる髪の毛は、黒いペルシャ猫を彷彿させる。
そのうえ伊佐田は、ただ見た目がかっこいいだけの男ではない。
同じ日本人とは思えないほど紳士的な手付きで、女性の肩を抱き寄せる。
そして、優しげに揺れる眼差しにとびきりの甘えを湛えて、相手を覗き込む。
伊佐田が与えてくれる、夢のような甘い囁きと抱擁。
隣の女子は、桜香る酒にあてられたように恍惚とした眼差しで、彼にすっかり魅せられていた。
女子は遂に、伊佐田の広い胸に思い切ってしがみついた。
途端、屈託のない子どものような微笑みを、満足そうに咲かせる伊佐田。
まるで愛しい恋人に触れるような優しい手付きで女子を抱きしめ返すと、甘く熟れた果実のような声で囁く。
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