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8.年貢の納め時
しかしながら、事件はそう単純には終わらなかった。佐紀の婚約者であったイタリア人のマルコは、イタリアでピアニストとして食い詰めている間にマフィアとの繋がりができ、麻薬を日本に持ち込んでいたのだ。そんな頃にイタリアの音大に短期の夏期セミナーで訪れていた佐紀の伴奏を務め、金持ちの日本人だと目をつけ、手練手管で落としたのだとマルコ自身が漏らしていた言葉を、マルコの友人が証言をしたのだった。佐紀の帰国に合わせて来日した後も、中々仕事にありつけず、生活費の為に麻薬の密売に手を染めていたことが、未成年に売春させて摘発されたバーの店長の証言、そして監視カメラの映像で裏取りをすることができた。
龍一のマルコへの悪印象は概ね当たっていたのだ。だが、龍一から逃れたい佐紀は、マルコの求愛に便乗するようにして受け入れてしまったのだった。
マルコが主に麻薬の取引を行っていたのは、新宿の二丁目界隈だということで、四谷署の組織対策課が裏付け捜査に加わったのだった。
行きがかり上、逸彦も龍一とマルコの背景を洗う捜査に駆り出され、横浜の山手署でしっかり久紀とランデヴーとなったのであった。
「ったく、どこまで腐れ縁なんだよ」
「そう言うなって。他の庭の空気が吸えて、良い気分転換になったよ」
「何だって少年係の久紀が……」
「マルコが撒いた相手は、未成年の、それも中学生と高校生だ」
例の如く、一仕事終えた二人は『SEGRETO』で早々と精進落としを決め込んでいた。
「二丁目で、え、中学生? まさか……」
「ゲイのウリ専。今多いんだぞ。普通の中学生や高校生が、男女問わず簡単に自分の体を商品にしちまうんだ。だからって、遊ぶ金欲しさが理由なだけじゃない。食費や塾代、兄弟の学費だったり……結構切実なんだよ」
久紀は大きく息をついた。この男、マル暴から少年係に鞍替えになってからと言うものの、こんな風にグッタリと項垂れて溜息をつくことが多くなったような気がする。逸彦から見れば、少年係は如何にも久紀には合わない。荒くれ共を相手に全身で大暴れしている方が、余程この男前が溌剌として見えるというものだ。
「早く戻してもらえよ、マル暴に」
逸彦の言葉に、久紀が珍しく素直に頷いた。
「おまえ、優しすぎんだよ。ガキ共に感情移入しすぎると、身が持たないぞ」
「ああ……でもさ、あいつらは、どうしても昔の光樹に重なるんだよ。何とかしてやらないとって……大人の責任だろ」
この男前でこんな事口走るから、女も男も放って置かず、モテるだけモテるのだと、逸彦はクスリと笑った。
「何だよ」
「いや、つくづく良い男だなって」
久紀がグラスを置いて逸彦を凝視した。
「おまえ、宗旨替えした? 」
「宗旨って……んなわけねぇだろ」
「じゃ、タッキーと何かあった」
ほれ、言えよ、とばかりに久紀が顔を覗き込んできた。無駄に整った顔で覗き込まれ、思わず逸彦はスコッチを喉に引っ掛けて噎せてしまった。
「はい、お水を」
すかさず、マスターが差し出してくれた水を煽り、逸彦は呼吸を整えた。
「俺さ、年貢納めてもらうことにした」
ドン、とグラスを置いた逸彦の告白に、数秒の静寂の後、久紀とマスターが同時に笑った。
「おまえそれ、おまえが、収めるんだろーが」
「違うよ、多岐絵に、納めてもらうんだ」
ムキになって言い募る逸彦に、久紀が話を促した。
「……多岐絵はまだ、本当のところは生活を変えるつもりはないのかもしれない。でも、俺が耐えられないんだよ。今度の事件のこともだけど、俺も、多岐絵を自分の手の届くところに置いておきたい。いや、それは傲慢だな。でも、帰ったら必ず多岐絵の存在を確かめられる、そういう関係でいたいんだ」
「つまり、結婚」
「俺は、する気満々」
「タッキーは」
「多分……だから、年貢を納めてもらって、言質を取るんだよ」
「うわ、刑事的ぃ、色気なさすぎぃ」
「うるせえっ」
そうからかいながらも、久紀は友の幸せを願い、グラスを掲げた。
「健闘を祈る」
「うむ」
違いがグラスを合わせたところで、マスターが甘栗を出してくれた。
「勝栗、とはいきませんけどね。縁起物で」
もぉぉっ、と相好を崩して礼を言う逸彦の口に、久紀がその栗を一つ放り込んだ。
「ほれ、この幸せモンが」
もぐもぐと口を動かしながら、逸彦がそうそう、と久紀の肩を叩いた。
「なもんでさ、もしかしたら俺は近い将来、閑職に希望を出すことも考えられる。子供でもできたら、絶対9時5時で帰るし、育休も取る気満々だし。そうなりゃ捜一なんざ絶対無理だ。でさ、お前に頼みたいんだけど……あの桔梗原、おまえが引き取ってやれないかな」
「引き取るも何も、階級並ぶんだぞ。それに、所轄だし。こっちがどうこう言える事じゃねぇだろ、上の命令に従うしかないし」
「そうなんだけど……いつか俺の部下にするって約束したんだ。でも、そんな訳で難しくなりそうだし……おまえなら、使いこなせるんじゃないかなって、あいつの能力。引き出してやってほしいんだよ。その時が来たら、俺から1課長に捻じ込んでやる」
「随分と惚れ込んだもんだな」
「ああ、あれこそ逸材だよ。捜一だってマル暴だって務まるスペックを十分に持ってる。交通課でチラシ撒かせてるだなんて、世界の損失だぞ」
「交通課でチラシ? そりゃまたひどいな……」
むむ、と久紀が唸った。
「まぁ、知らない仲じゃないしな。そういう局面になれば、勿論喜んで引き受けるよ。俺が部下になるかもしれないし」
「違いないや」
ゲラゲラとひとしきり笑いあった後、結婚かぁ、と久紀がしみじみと呟いた。何せ霧生家は今のところ誰も結婚をしていない。久紀と光樹は、結婚の形を取らなくても、戸籍上も家族としてずっと暮らしていくことができるのだ。
「幸せになれよ、逸彦」
「ああ……おまえもな」
「俺は毎日、幸せすぎて怖いくらい」
「はいはい」
マスターが早くも伝票を差し出した。そんなことなら早く帰って想いを伝えろとでも言うのだろう。
二人は素直に精算を済ませ、早々に店を後にしたのだった。
vol.2 了
物語は、次のステージへ!
警部に昇進した逸彦そして久紀。多岐絵と結婚を果たし、正に我が世の春を謳歌する逸彦に、新たな事件の影が忍び寄る……
https://estar.jp/novels/26117117
警部・深海逸彦 〜深海逸彦シリーズvol.3〜 へ!!
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