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3.面白いやつ
警部昇進試験には、逸彦も久紀も見事に合格した。何しろ実績も申し分なく、昇任選考考査だけでも十分なほどなのだ。それでも二人は一次、二次と順当に突破した。今回の合格者は、受験者267名中合格者は15名のみという狭き門であった。
これから大学校の警部任用科でみっちり三ヶ月の研修を受け、更に実務経験を積んで漸く警部として役職につくのだ。過酷な『蛹生活』への壮行会にと、いつもの『SEGRETO』で二人は落ち合い、酒を酌み交わしていた。
「ふうー、甘露甘露」
「古いなぁ、久紀の五体からは昭和の香りしかしないな」
逸彦はスコッチを、久紀はバーボンを、それぞれ愛おしそうに口に流し込んでいた。
「じいちゃんとの暮らしが長かったからな」
「へぇ、初めて聞いたな。久紀はじいちゃん子か」
「……親父と再婚した光樹の母親とは、ウマが合わなかったしな。俺はな、熱を出した10歳の光樹に2歳の和貴のお守りをさせて……あんなチビ達を放置したまま仕事に出かけて朝まで戻らないような女は嫌いなんだよ」
ふうん、と相槌を打ちながらも、逸彦はその先は聞かなかった。高校時代、年上の女との艶聞が絶えなかった久紀が、2年の年明けにはピタリと浮いた話が無くなり、その代わりバイトに明け暮れ、合間に弟達の面倒を見るという八面六臂な生活ぶりに豹変したことを知っていたからだ。よく、一番下の弟が熱を出したと教室に先生が知らせに来ると、久紀はすぐに鞄を担いで駆け出ていったものだ。
「和貴、だっけ。もう大学3年生? 」
「ああ。ピアニストとして事務所のバックアップもあるし、もう何とかやっていけるだろう。光樹も母親代わりは卒業だ」
「早いなぁ……初めて会った時は、まだ小ちゃな小学生だったよなぁ」
「ジジイになったんだよ、それだけ」
「言うな……まだ花も恥じらう31ちゃいだろ。俺なんかとっくに32だよ」
「警部になる頃には俺も32だ……1年が早すぎるな」
二人が同時に大きな溜息をついた。これから警部ともなれば、幹部職員として更に部下を持つ身となり、厄介な仕事も増える。年上の上司に扱き使われて現場で走り回っていた方が気が楽だったかもしれないと、逸彦は昇級をちょっと後悔したりしていた。
「めんどくせー、そう思ってんだろ」
「まぁなぁ。でも、良きに計らえ、でもいいんじゃね? 久紀は得意じゃん」
「おまえこそ、何やかんや、出世魚コンビやエビーのような曲者を上手に活かしてるよ……やっぱ警部補のままにしとくか」
するとマスターが、すかさずチョコレートとチーズの盛り合わせを二人の前に置いた。
「昇進のお祝いです。贅沢言ってはバチが当たりますよ。その分、お給料も上がるんですから、益々ご贔屓に願いたいくらいです」
それもそうだと、二人は爆笑した。
「マスターは、階級は? 」
すると、上目遣いに二人を交互に見て、ニヤリと笑った。
「こう見えても、辞めた時は警視でした」
お見それいたしました! と二人がカウンターに手をついて頭を下げた。
「と言っても、私は警務畑でしたから、お二人のようなケレン味のある仕事は経験していませんよ。貴方方は期待の星なんですから、ここで吐き出すだけ吐き出して、また頑張ってください」
「あっざーす!! 」
体育会系の返礼をし、久紀がバーボンをぐびりと煽った。
「そういえばさ」
空になったグラスを置いて、久紀が話柄を変えた。
「おまえ、おもしれぇ奴と仕事したって? 」
「おもしれぇ? ああ、桔梗原か。深窓の警部補サマ、な」
「桔梗原……警視副総監の御令息の、あの、鸞か」
「何だ、久紀は知ってんのか」
「ああ。鸞の兄貴が俺の2個下でさ、大学のゼミで一緒だった。真面目でいい男だぞ。俺と同じような体格で、俺はてっきり兄貴の方がキャリアになるとばかり思ってた。武術も中々のものだったはずだ」
「兄貴は違うのか」
「今は高校教師してるって聞いてる」
「へぇ……」
グラスの底に残るスコッチを手の中で転がすようにしながら、逸彦はあの可憐な蝶の妖精のような鸞の見事な腰払いを思い起こしていた。
「あいつ、いい腕だった。度胸もあるし、判断も早い。経歴は知らんが、大分実戦積んだ感じがするな、あの身のこなしは」
「鸞、か……俺が会ったのはまだ高校生の頃だったかなぁ。慎ましくて、深窓のご令嬢そのままの、ヤバイくらい綺麗な子だった」
「ああ。綺麗は綺麗だな。何しろ犯人が女の子と間違えたくらいだから。光樹とはまた違う儚げな綺麗さってのかな。それがかえって、何か爆発しそうな物を秘めているっていうか、危なっかしく見えるというか……何しろ、本人は無自覚だと思うが、時々凄い色気を醸し出すんだよ。ありゃぁ、大分屈託がありそうだぞ」
「……盥廻しにされてるからだろ。見た目で苦労するタイプだな、逆に」
「ああ、逆に」
「ってか、26でまだ警部補ってことは、院卒か? すげぇな。こっちは研修に次ぐ研修地獄だけど、あちらさんはサラっと昇進しちまうからな」
「やっかまれるワケだよ。可憐な深窓のお姫様は凄腕のキャリア組。今時少女漫画にも出てこねぇだろ。しかも別嬪さんで時々猛烈に色っぽい」
「あら逸ちゃん、浮気はダメよ」
警部になった暁には、そんな難しい人材も使いこなし、育てなくてはならないのだ。桔梗原鸞のように、父のバックがあり、キャリアで優秀で腕っ節も良く、現場での順応性も高い人材を、他の捜査員たちとどう融合させていくか。
「久紀はやっぱり、マル暴に希望出したのか? 」
「まぁな。尾道姐さんの下で少年係やらせてもらってたのもいい経験になったし、ここらで本職に戻りたいもんだ」
「本職っておまえ……」
「そういう逸彦は」
「やっぱ、捜一かな。結局ワーク・ライフ・バランスなんざクソの役にも立たない程の部署だけどさ……気に入ってるんだよ、結構」
クソの役かぁ、と久紀が二枚目を綻ばせて笑った。
「ったく、無駄に男前だなぁ、霧生警部殿は」
笑顔を見ながら、逸彦はグラスを掲げた。
「これからも宜しく、深海警部殿」
久紀も、既にバーボンが注がれてあるグラスを掲げた。
「栄光の腐れ縁に」
同時に飲み干し、二人はぷはぁーと景気の良い息を吐いたのだった。
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