お父さんと歩く帰り道

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 いつもの学童からの帰り道。もう春だというのにこごえそうな空気。なぜかというと、となりにお父さんがいるから。  朝起きてパジャマのまま食卓につく。 「おはよう」  目の前に座るお父さんを見もしないでわたしは言う。 「……おはよう」  お父さんはわたしと同じくまだ目がさめていないのかちょっとおくれて返した。  つかれてるのかな? 気になったわたしは視線を上げる。お父さんは何かを求めるようにわたしを見つめていた。 「どうしたの?」  何かあったにちがいない。わたしはちょっと心配になる。 「そっちこそ」  お父さんはぷいっと視線をそらす。  わたしの頭の中はハテナ、ハテナ、ハテナマークでうめつくされる。そっちこそってなんだ? わたしに言ってる? 言葉は出てこない。わかったのはお父さんがわたしにどうしたんだって思ってるってこと。ちらりとお父さんを見る。フキゲンそうだ。それからお父さんはいつもより早く家を出て行ってしまった。  学童のむかえが今日はお父さんだと気付いたのは夕方の六時、お父さんの顔を見た時だ。小学校の横を通るとザザアッと風が吹く。雨みたいに桜の花びらがふる。学校にいる間中、わたしは考えていた。もちろん、お父さんがフキゲンな理由だ。お父さんはわたしに怒っている。そうだとしか思えない。だって思い当たる節があるのだ。ウソを沢山ついてしまったから。それがバレたのだ。お父さんは何もしゃべらない。無言の空間に余計にやられる。 「ねえ、お父さん。先週の金曜日、宿題あるのにないって言ったの怒ってるんだよね? ごめんなさい」  わたしは思い当たる節の山の中から心に残って消えないものを話した。宿題をしないと痛い目にあうのは自分だと良くわかったのだ。わたしはきっちり先生に怒られ、二倍の宿題を出されたからだ。きっと先生が家に電話をかけてお父さんに知られてしまったのだろう。わたしはこわごわとお父さんの顔を見た。 「それは……ちゃんとしなきゃね」  お父さんはギョッとして、それからぎこちなくうでを組み、ムッとした。怒ってないけれど怒らなきゃって思ったのだとすぐわかった。  これじゃないみたい。わたしは思いをめぐらせる。お父さんが怒るのはどんな時か? そういえばこんなことがあった。危ないから止めなさいというお父さんの言葉をふり切ってわたしが坂道を走り下りて転んだ時、お父さんはふるえていた。でも怒っていたと思う。その時のことを話そうとするといやがるから。思い出したくないのだろう。お父さんはわたしが危ないことをする時、怒るのだ。お父さんと何度も来た公園を通り過ぎる。さみしそうに見えたのは誰もいなかったからだろう。 「あのね、お父さん。先月風邪引いた時、病院でもらった粉薬を食器棚にかくしてたの怒ってるんだよね? ごめんなさい」  わたしはその時、薬を自分でジュースに入れて飲むと言った。それは薬がいやでかくすことを思い付いたからだった。そのせいで鼻がつまって夜はなかなかねむれず、ずっと微熱が続きぼんやりして、学校を四日も休んでしまった。元気になって学校に行っても四日分のノートを友だちに写させてもらうのは大変だった。ちゃんと薬を飲んでおくべきだったと後悔したのだ。きっとお父さんは食器棚にあるあまり使わないマグカップをどうしてだか使う気になったのだろう。そしてその中にある四日分の粉薬を見つけたのだ。わたしはこわごわとお父さんの顔を見た。 「だからなかなか治らなかったのか。ちゃんと出された薬は飲まなきゃダメだよ、うん」  お父さんはちょっとあきれている。そういうことだったのかって顔だ。薬は見つけていないようだ。  これじゃないみたい。それにお父さんこそ何かかくしている気がした。わたしは思いをめぐらせる。お父さんが怒るのはどんな時か? そういえばこんなことがあった。勝手にお父さんの服でハロウィンの衣装を作った時、お父さんは泣いていた。でも怒っていたと思う。色んな写真にその服を着るお父さんが写っていたから。お気に入りの服だったのだろう。お父さんはわたしが大事なものに何かする時、怒るのだ。角を曲がると花屋のおばちゃんがわたしたちに気付いて手をふる。ふたりともちゃんとあいさつをしたけれど今日のわたしたちはおばちゃんにどう見えているんだろうか? 「お父さん。お父さんが楽しみに取っておいたイチゴ食べちゃったの怒ってるんだよね? ごめんなさい」  三日前にお父さんが買って来たイチゴ。わたしもお母さんもその日に食べたというのにお父さんはもったいないからまだ食べないと言って冷蔵庫にしまった。二日前もお父さんは食べようとはしなかった。そして昨日、またしても食べる様子はなく夜、テレビを見ながらソファーでうとうととしているお父さんを見てわたしはこっそり冷蔵庫を開けイチゴを全て食べてしまった。ずっとイチゴが気になって仕方がなかったのだ。けれど幸せだったのはイチゴのおいしさを感じていた時だけ。悪いことをしちゃったという思いで胸が痛んだ。そしてねむると、わたしはそのことを忘れていた。悪いことでも良いことでも眠ってしまえば忘れてしまうのがわたしのくせなのだ。わたしはこわごわとお父さんの顔を見た。 「え、イチゴ? ケーキ買ってあるの? あ、この前のイチゴか……」  お父さんはうれしそうに笑ったかと思えば、すぐにガックリと落ち込んだ。  ケーキ、ケーキ、ケーキ。なぜにケーキがそこで出てくるのか? ケーキはうれしい時に食べる。何かうまくいった時、悪いことが終わった時、それから何よりも誕生日。わたしはハッとする。今日は四月二十六日。そうだ、今日はお父さんの誕生日。忘れていたからお父さんに誕生日おめでとうと言っていない。毎年、朝起きたらまず抱きしめて、そう言うのに。お父さんはフキゲンだったんじゃない。さみしかったんだ。ごめんね。誕生日にごめんなさいばっかりで。 「お父さん、誕生日おめでとう」  ああ、どうして忘れちゃったんだろう。くやしい。こんなにおそくなっちゃった。わたしは涙を目にためてお父さんを見る。 「ありがとう」  お父さんは満面の笑み。満足って顔に書いてある。それ以外の感情は一つもない。  わたしの目から涙がぼたぼたと落ちる。わたしはお父さんを抱きしめた。えへへとか、うふふとか、ふたりして声がこぼれる。橋の下の短いトンネルを抜けるとピンク色の夕焼けが広がる。まるでお父さんを祝っているようだ。もうすぐ家に着く。あたたかい、我が家に。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!