序 この「怪物」から助けて

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序 この「怪物」から助けて

『ギフテッドが広く知られること自体はいいことだと思います。しかし、周りの大人が才能を見つけることに必死になりすぎると、子どもが楽しそうにしていることの裏に見え隠れしている才能の芽に気づけなくなってしまう。ギフテッドであってもなくても、子どもに過度の期待を押し付けるということは子どもを息苦しくさせ、時には潰してしまう可能性すらあります』 『捜査関係者によると、青葉被告は「ガソリンを使えば多くの人を殺害できると思った」と容疑を認める半面、動機については、京アニの作品を挙げながら、「小説を盗まれた」と逮捕前から一貫して供述。京アニ側は盗作の事実はないとし、一方的に恨みを募らせた末の犯行とみられる』 『「『浮遊霊』だった自分が『生霊』と化して、この世に仇をなした」』 『乳幼児期や学童期に「社会的存在」になれるなり、学童期や思春期に「努力教信者」になれれば「浮遊霊」になってしまうことはありません。もし「浮遊霊」になってしまったとしても「生霊」になってしまうことはまずありません。もちろん自分は「生ける屍」であり「埒外の民」でした。そして気がつくと「浮遊霊」になっており、事件直前には「生霊」と化していました。』  子供の頃から、親や教師が呪文のように繰り返してきた。幼い私自身ですら理解できなかった、大人たちだけが拍手喝采、舞い上がっていて語りあっていた「私自身への賛辞」。今でいうところのプリスクールと言うのだろうか、英才教育を施される代わりに、才能のない子供たちの人権は認められない養鶏場、養豚場にも似た教育現場とは到底言い難いアウシュビッツのような「ハコ」。  そこで私は何人もの教師(教諭と言うべきだろうか?)に言われたのだ。 「香ちゃんの語彙力は素晴らしいですね!」  卒園しても、それ以降も、ずっと私の「言葉」を褒める。それ以外は全科目ダメだったのに。勉強だけではない。人間関係もいじめや喧嘩でずたずたの惨状に崩れ落ちた私の現状を慰めるように。その「語彙力」とやらが天才じみた「才能」と呼ばれるものなのか、卑屈な私には判断しかねた。無論、それらが今でいうところの「ギフテッド教育」であるということなど知る由もない。年齢相応の発達からズレた私を慰めるように、その時々の教師、教授たちは主に母を洗脳するように熱意を持って私の「ギフト」について語り続けた。」 「お母さん!見てください!こんないい絵をカオリちゃんは描いたんですよ!独創性がありますよ!」 「カオリちゃんの語彙力は目を見張るものがありますよ!これは本当に才能ですよ!将来性があります!」 「カオリちゃんはいつも通信簿も文系オール五で、実に問題ない良い子ですよ!」 「記憶力が凄いですね!とても物覚えがいい!これを維持して受験に活かしましょう!」 「今村さんは独自の世界観を持ってるのね。それがいいわ。創造力がある」  徐々に、同級生たちも私を褒めたりするようになってきた。それが嘘偽りなのか、本当なのかはわからないが。 「政治とか社会の問題に興味を持ってて凄いと思います。真面目で偉いなあと思います」 「集中力えぐいよね。全然周り視えなくなるっていうか、わき目も振らない、っていうか?」 「今村、また倫理が全国一位か!今年に入って七回目だな!今村の強みだな!」 「今村さん、国語が全国六十位なんてすごいわ!難しい模試なのに!いい、みんな!松山東高に模試の結果でやり合えてるのは今村さんだけじゃない!愛光学園よりも上を行ってるじゃない!」 「凄い!今村さん、第一志望に受かるなんて!あんなに大変なこといっぱいあったのに、よく頑張ったね!やっぱり今村さんには、才能があったのよ!」  大学に行っても同じだった。 「今村は熱心に研究していて才能がある、それに比べて他の連中は遊びまわって居眠りして……馬鹿が」 「今村は才能がある!絶対ある!」 「今村さんは真面目だなあ!熱意がある!」    しかし、手放しなそれらの称賛と期待を寄せられていた「それ」は結果的に「ギフト」ではなかった。どれほど火おこしをしようとしても、煙が出るばかりで一向に発火しない木材のように。いつしかその木材で私の掌は皮膜が裂けて噴き出した血潮で染まってずるずるに湿ってい濡れていた。煙が出るはずのくぼみは血が溜まり、ぐじゅぐじゅと異音と鉄錆の匂いを漂わせていた。  また、それこそ土・水・適切な温度があっても全く芽吹く気配のない種のように、私は土を破ることができなかった。それほどの力が出なかった。力いっぱい頭で天井をやぶり、大輪の花を咲かせようとしても、もう硬い土を破る力は私になく、ようやくモヤシのように生えてみせても外はとうに冬になっていた。  私がどれほど、息切れするほど、喉が擦り切れ血反吐を吐くほど、足裏の皮膚がめくれ血の足跡が残るほどに、全力で頑張ったとしても何一つ結果は芽吹かない。いいね、星、ハート、コメント、金賞、銀賞、何かの賞、プレゼントとして送った小説……私に期待されていた「才能」「ギフト」は無かったことになり「ただの発達障害」「発達遅滞」「精神遅滞」という悪のレッテルとなった。その瞬間の、私を誉めそやしていた親族や教員、傍観者の方々の顔が忘れられない。勝手にギフトを期待して、何を勝手に失望しているの?  それは職場だって同じだった。なまじいい大学を出てしまったせいで、 「今村さんは準旧帝大なんやね!すごい!期待しとるから!」  なんて、勝手に期待されて。それなのに仕事で注意欠陥多動性障害の注意欠陥が出てミスが増えると掌を返し 「今村、ホント使えん。同じこと何回言わせるん。ホンマウザっ!」 「今村無能すぎて早く辞めて欲しい。狭いトイレですぐ過呼吸でうずくまって邪魔!」 「仕事をやってくださぁい!仕事中でぇす!仕事は教えないので探してくださぁい!ほらこんなところに仕事があった!これも仕事なのにぃ?」 「ウッザ!休むんなら仕事やってから休めよなー!」  みんなそうだった。何人の人に、優しい笑顔を見せられて、その笑顔が悍ましいこちらを蔑視する形相に変化するようなものを、小面や若女が般若に生々しく変化していく様を、そして般若すらも越えた「嘲笑」へと変貌し、ある日突然職場に行ったら 「あなたには辞めていただきます。持ち物はお休みの間にこちらで全て処分しておきました」  と言われて放り出される。私の「ギフト」はもしかして、重荷ではないか?私の疑念は重くなっていった。わたしの足底はその重みに耐えかね、小石が突き刺さり血のにじむ足跡をべっとりと街中に残した。  私が抱えているものは神に与えられた「贈り物、ギフト」などではない。そう断じて私が診断を受けたのは、数回目の医療事務の職場を不注意由来のいじめで追い出されてからだろうか。ケナガイタチのようなお局に追い出された。カナヘビのようなお局とデブネコのようなお局もいた。思い出しても、ひたすらに希死念慮が体をがんじがらめにして金縛りにしていくだけの職場だった。思い出したくもない。あんな病院、医療ミスでも起こしてしまえばいいのに。そのまま病院の近くから出ているバスに乗り、私は数回に渡って検査を受け、遂に発達障害と精神障害になった。具体的には「自閉スペクトラム症」「注意欠陥多動性障害」「双極性障害Ⅱ型」。これが「ギフト」の正体だった。何のことはない、私は「贈り物」をもらったのではなく「ごみくその山」を負わされたのである。  それからは生き地獄だった。何をしても、どんなに今まで楽しめていたことをしても、「私は障害」がついて回る。がっかりした、もう終わり、どんな生き方をしていけばいいの、今までの人生は何だったの、と語る両親の姿を何度見たことか。健常者として成功していく同級生を横目に泥を啜るような生活。そして何よりも辛かったのが、本物の「ギフテッド」たちとの交流。彼ら彼女らに悪意はない。それでも私は辛かった。 「障害は辛いけど、今度結婚することになりました!同じ障害の彼氏が出来てー」 「イラストでお金を頂けるようになりました!障害で大変だけど頑張る!」 「本でコラムを書きました!」 「発達障害は私にとってギフトでした!」 「〇〇さんは発達障害の集中力を活かして切り抜きアートで成功し……」 「××さんの小説凄いよな、いつもすぐハイクオリティで秒で上がる」 「△△さんの発達障害漫画救われた……ホントそれなばっかりで……」  その世界に私は必要なかった。私は何も持たない非力な、否、いない方がいい日陰者の「邪魔者」だったのだ。私には期待された能力もなく、求められた才覚もなく、ただ「ヒステリックなメンヘラ」と笑われ、今や「語彙力に目を見張る」と言われた文章も 「何を言いたいのかわからない文章を読まされるのは苦痛でしかない」  と講評される始末。それを嘆いたら 「結局こいつメンヘラかよ。ウザwやっぱり脳に障害がある奴とは話が通じないねw」 「おいさっさと何か言えよクソメンヘラww出てこいやww」  とメンヘラという抽象的な誹謗中傷を雨あられと浴びせられるようになった。私にはもう、何もない。もう、荷物、というより負わされた「呪い」しかない。昔は信じていた神仏も、もう呆れ果てたのかあるいは私を嘲笑っているのか、もう助けてはくれない。そう、私をいじめて、馬鹿にして、悪意を返してきた同級生やお局たち、ネットの人々のように、嘲笑って囲んで棒で叩く。  今、私は地元の自治体機関の障害者枠で働いている。そこで、チラシの管理や諸々の決裁準備をしているのだ。だが、相変わらず些細なミスは治らない。私はいつ、自分が首を切られるのか怯えて生きている。一緒に入職したパートの女性は美人で、定型発達で、しっかり者なのがまた私を惨めにさせる。 「郵便戻りましたー」  その女性が郵便を受け取って戻って来た。手際よく振り分けている。私のように、いちいち事務分掌表を見たりはしない。ノロマな私は、いつでもゆっくり振り分けて、時に開けてはいけないものを勝手に配って怒られるのに。 「これ、イベントの供覧なのでお願いします」 「あ、えぅ、ありがとうございます」  返事ひとつまともにできない。受け取ったイベントチラシを供覧専用の封筒に入れようとして、その大きなフォントが目に入った。 『発達障がいは私にとってギフトでした!~発達障がい〇〇誕生~』 『自閉症のアーティストからアーティスト〇〇××へ。五年ぶり地元で個展開催』 『子供の頃から文才を発揮していたご当地芥川賞作家に聞く!彼女のギフトとは!』  満面の、満足げに笑っている当事者たちの笑顔が憎たらしかった。ぞわぞわぞわ、ずるずるずる、と足元から何かどす黒い泥濘のような冷たいものが這いあがってくるような気がした。それに反して、頭がかぁっと熱病のように燃え上がり、頭蓋の輪郭を破る程どっくんどっくんと頭の血管が脈打った。反射的に、カッターでチラシをびぃっ、と切り裂いてやりたかった。それか、見なかったふりをして雑紙の中に放り込んで他の禄でもない故紙と共に紐でぐるぐる巻きにして炎の中に突っ込んでやりたかった。何なら、びりびりに引き裂いてしまいたかった。他のスタッフがいるからできないが。   『ギフト』  私だって、そうなりたかった。 『ギフテッドって、国が支援してくれたり配慮してくれるんよね。ええね』  夜のニュースを見ていた母の呟きが耳に残っている。 『調べたけど、あんたみたいなんギフテッド言うんやろ?才能があるんやろ?』  歓喜に沸き立っていた、在りし日の母の姿を思い出す。私は目の奥や輪郭がじんわりと熱くなり、鼻がつんと痛くなるのを感じた。駄目だ、個人的理由のために職場で泣いては駄目だ。また「障害者が構ってほしくて泣いている」と揶揄される隙になるから。だけど、あんまり悔しいのだ。悲しいのだ。私にも、ただの発達障害じゃなくて、本物のギフトが、彼ら彼女らが持っていたようなホンモノの称賛される「ギフト」が授けられたのだったなら。私は黙って離席して、トイレに籠り「ぐぅ」と鳴いた。いつだってそうだ。息苦しくなると、もう逃げるしかない。  ——私には何もなかったのに。ただの無能な発達障害、ダメ人間、ごみくずだったのに、勝手に「ギフテッド」と決めつけて持ち上げたのはあなたたち「定型発達」じゃない。勝手に決めて、勝手に責めて、いい気分じゃない!——  こうして逃げ隠れするとき、何故か私はがぷっ、と自分の腕を噛み潰したくなるのだ。生き血を啜り、怒りのままに傷を開き、毛をむしり、物を投げ捨て、暴れ、吼え、ぎゃんぎゃんとけだもののように四つ足になって暴れたいのだ。私はけだものなのかもしれない。オオカミ人間のようなものなのかもしれない。双極性障害、躁の時は普通の人間、鬱の時は……このけだもの。誰かどうかこのけだものを、慰めて、受け止めて、どうか鎮めてください。  誰でもいいですから、どうか。
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